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水面の月を抱く国  作者: 橘 塔子
第七章 黎明の残月
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帰還の知らせ

 翌日、ナタレは王都への帰路についた。

 急であったため、千名ほどの大隊のみを連れての帰還となった。もともとこの地を守備していた東部駐留軍はそのまま留まり、残りの本隊は日をずらしての出立になる。

 ナタレが帰還を急いだのには理由があった。王都へ向かう前に、ガクダーやルーフォズなど、同じ東部地区に属する部族のもとを訪れるためだ。


 シャルナグにはすべて打ち明けていた。

 おまえにできることなどたかが知れている――知事府の前庭で将軍に言われた言葉を、ナタレは思い知っている。だからこそ将軍の力を借りようと考えたのだ。

 自分はまだ未熟だ。それでも問題に対処しなければならない場面は多い。誰かに頼るのは恥ではなく、助けてくれる相手をたくさん作ることも実力のうちだ――そんなふうに、ナタレは開き直るようになっていた。

 要するに、王都での生活の中で彼は少し大人になった。したたかになった、とも言える。


 シャルナグはひどく驚いたようだったが、まずは知事府に勤める役人を呼び出した。

 尋問のような事情聴取の後、ナタレの話に確信を持って、先発隊に同行することにした。


「他の部族は協力するだろうか?」

「分かりません。でも、ロタセイの呼びかけを無視したことに多少なりとも負い目を感じているのなら、力を貸すはずです。彼らもまた我慢していたに違いないのですから」


 ナタレが冷静に見極めた通り、周辺の部族や自治国は彼らの一団を迎え入れた。そしてロタセイ王太子の求めに応じ、ある事実について国王への上申書をしたためたのだった。

 もちろんたった一国で戦ったロタセイに敬意を表したこともあるが、オドナスの大将軍の同行が彼らの警戒を解いたようだった。万一、上申書が国王の不興を買っても、将軍が責任を持って取り成すと約束したからだ。


 計五つの属国を回り、5通の書面を受け取ると、あとは遠回りの遅れを取り戻すべく、ナタレは旅を急いだ。





 かなり人数を減らしての復路となったため、往路に比べて移動は速かった。

 補給が少なくてすみ、往路では立ち寄った町や村を飛ばして進める。必然的に砂漠での野営が増えて、体力的にはきつい旅となった。

 将軍や大隊の兵士は慣れているのだろうが、ナタレも弱音は吐かなかった。彼がひどく帰還を焦って無理をしているように、シャルナグには思えた。

 実際、誰の目にもナタレの疲弊は見て取れた。昼は焼けつく太陽に炙られ、夜は冷たく乾いた大気に震え、水も食糧も十分ではない旅の中で、どんどん消耗しているのが分かる。

 それでも気力を振り絞って駱駝の手綱を握る彼の姿を、シャルナグは何も言わずに見守った。


 好きなようにさせてやろう。今踏ん張らねば、この子は一生後悔する。それでもし倒れるような事態になれば、その時に助けてやればいい。


 そして――。

 最後の数日は駱駝の背で半分意識を失いながら、ナタレはようやく王都に辿り着いた。





 彼の帰還の知らせがもたらされた時、リリンスは自室にユージュを招いているところだった。

 中央神殿の天体望遠鏡を覗いたのがきっかけになって、リリンスは思いきってこの若い神官長との面会を父に申し出た。もともと興味のあった相手である。

 セファイドは意外とあっさりと許可を出した。少しでも娘の気が紛れるならと考えたのかもしれない。

 神官長が王女を訪ねる形でこれまで三度ほど会っていた。

 神学の講義という名目であったが、リリンスの興味は専らユージュら一族の持つ知識や技術にあって、毎回ユージュを質問責めにしていた。ユージュの方でもこの姫君のどこが気に入ったのか、嫌がりもせずに相手をするのだった。


 今日は、机の上にずらりと小さな石のようなものが並べられて、リリンスはそれを熱心に眺めている。

 よく見ると、その石にはすべて模様が浮き彫りにされていた。魚の骨みたいな形や、椰子の葉に似た縞や、貝殻のような渦巻や、奇妙なものばかりだった。

 リリンスはそのうちの一つを摘み上げ、首を傾げる。


「不思議ね……長いこと地面の下に埋まると、動物も植物もこんなふうに石になるなんて」

「化石といいます。動物の卵や巣穴や、糞なんかの化石もあります。今日は持ってきませんでしたが」

「糞は持ってこなくていいわ……」 


 ユージュは相変わらず淡々とした様子で、持参した図鑑をリリンスに見せてやる。


「姫様がお手に取られたそれは巻貝の化石ですが、掘り出されたのは雲を突くほど高い山の頂上でした」

「えっ、だって貝は海か川か湖にしかいないでしょう」

「ええ、ですからこの貝が生きていた頃は、その山は海の底だったんです」

「凄い!」


 こともなげに言い切るユージュに、リリンスは目をきらきらさせた。

 王都を取り囲む砂漠がかつて海だった、という説は一部の学者からきいたことがある。だがそれはあくまで異端の仮説で、国内ではあまり一般的ではない。それと同じことを、目の前の神官長は当然の事実として言い放ったのだ。


「どうしてそんなことが起こるんだろう?」

「簡単に言うと…大地は生きているんですよ。この星は私たちよりずっと寿命の長い生き物なんです。海底を盛り上げて山脈を造り、それをまた風雨で削って平らに均す――そんなことをずっと繰り返しています」

「じゃあ、建国の神話にあるように、一晩で湖ができたりするの?」

「さすがに一晩では無理かもしれません。何千年、何万年単位のお話です。アルサイ湖の成り立ちには、やはり神が係わっていおられるのでしょう」


 そこはそう言わなきゃまずいわよね、と思ってリリンスは苦笑する。

 この博識な神官長は、アルサイ湖について神話以外の見解を持っていそうに感じたが、立場上おいそれとは口にできないのだろう。いつかその辺も聞き出してみたい。

 リリンスは巻貝の化石を置いて、机に頬杖をついた。


「人間の身体も長く埋めとけば石になるのかしらね」

「もちろんなります。でも人間の骨は、化石化する前に文明の痕跡と一緒に掘り出されることが多いですね。住居の跡や使っていた道具や書物や……この地面の下には、私たち以前の歴史が層のように眠っているんです」 


 あまり感情の籠らないユージュの口調ではあったが、まるで物語でも聞いているようにリリンスはわくわくした。と同時に、案外この人はお喋りなのかも、などと思う。少なくとも自分の質問に対しては誠実に分かりやすく答えてくれる。

 リリンスはうふふと笑って、果物の香りをつけたお茶を飲んだ。彼女のお気に入りの茶葉だった。


「何ですか?」

「そんなことを知っているあなたはどこからやって来たのか、考えてたのよ」

「詮索はご自由に――お答えはできませんから時間の無駄ですが」


 ユージュもまた茶を口にした。彼女はいつも出されたものは綺麗に平らげる。好き嫌いはないらしい。


「そうよね。いつもお時間を割いて頂いてごめんなさいね」

「忙しい時はお断りします。普段は暇なんです」

「あはは、やっぱり神官長って面白い」


 晴れやかなリリンスの笑い声に、部屋の隅で控えたキーエはハラハラしていた。国王ですら敬意を払う大神官に対してあまりにも気軽な振る舞いだ。

 ユージュはというと、王女の率直さにいささか戸惑っているようだった。しかし迷惑がってはいないからこそ、こうやって面会に訪れるのだろう。

 彼女は小さく咳払いをして、


「他に聞きたいことはありませんか、姫様?」

「ええと、じゃあね、化石になった動物のことなんだけど……」


 図鑑に描かれた異形の獣を指差しながらリリンスがそう言った時、部屋の入口に人の気配が湧いた。

 キーエが急いで出ていき、何事か言付を受けて戻ってくる。


「姫様、衛兵のハトウでしたわ。シャルナグ将軍の東部遠征軍が帰還されたようです」


 友人のよしみでこっそりと伝えられた情報を、キーエは満面の笑みで報告した。


「ナタレ様もご無事でお戻りになったと」


 リリンスは勢いよく立ち上がった。

 帰還の情報は数日前に伝令によってもたらされており、彼女は今日か明日かと待ち侘びていたのだ。彼らが王都を出てから実に七十八日が経過していた。


「お迎えに出られるのですか?」


 尋ねるユージュに、リリンスはもちろんと答えそうになって、すぐに思い留まった。大きく深呼吸をして、再び椅子に腰掛ける。


「……いいえ、まだ私は出て行かない方がいい。彼はまず先にお父様に会わなくちゃいけないはずだもの」


 故郷で兄と話せたのか。反乱は平和裏に鎮圧されたのか。兄を――倒したのか。


 飛び出していって訊きたいことは山のようにあったけれど、リリンスは自制した。

 疲労しているはずのナタレを煩わすわけにはいかない。


「帰ってきたのなら、それで十分なの」


 今までの天真爛漫さとは打って変わって、祈るような真摯な表情を見せる彼女に、ユージュはいくぶん優しさを含んだ眼差しを向けた。

 中央神殿の神官たちは、国内外の政治や軍事に対して口を出さない。それでも、あの若い王子の命が助かったことをユージュも安堵しているようだった。

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