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水面の月を抱く国  作者: 橘 塔子
第六章 故郷で待つもの
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確かめる方法

 この場で確認できることはこれ以上ないと判断し、ユージュとサリエルは開かずの扉の前から踵を返した。

 箱と箱の間の狭い通路を通って出口へ向かう。通路は真っ直ぐだが、とにかく広いため初めて来た者なら迷子になりそうだ。ユージュは慣れているらしく足早に進んだ。


 出口の扉の前で、彼らを待つ者がいた。

 白い神官服が不似合な、がっしりした体つきの青年である。扉の前に立ち塞がるように佇んでいる。


「どうかしたの? リヒト」


 怪訝そうな顔をするユージュから目を逸らして、リヒトはサリエルを睨めつけた。

 月神節の夜にユージュがサリエルを神殿に通した時、抗議の声を上げた男だった。


「……あんた、本当にそうなのか?」


 荒い木彫りのような鋭い顔立ちに険を含んで、リヒトは短く問うた。オドナス語ではなく、彼らの言語である。

 サリエルは答えない――動揺の気配もない。

 リヒトは腰の後ろ側に右手を回しながら、


「ユージュもゼンさんもあんたを信用したみたいだが、一族の命運に関わることだ、俺は自分で確かめないと信じない」


 と、緊張した声で言う。だが口調は冷静だ。

 彼が背後から取り出したもの見て、初めてユージュの顔色が変わった。


「リヒト、やめなさい!」

「ユージュ、確かめる方法はこれしかないんだ。こいつが偽者なら同時にカタがつく。一族を……おまえを守るためだ。罰は後で受ける」

「馬鹿なことを……自分が何をしようとしているか分かっているの?」


 いつも冷静沈着な神官長は、眉間に皺を刻んでリヒトに近付いた。

 しかし、友人の行為を止めようとするユージュの前に、サリエルはためらいなく進み出たのだった。


「では――確かめて下さい」


 と、おもむろに上着を脱ぎ、ヴィオルと一緒に床へ置く。涼しげな麻の服を通して、意外としっかりした骨格が見て取れた。

 流暢に彼らの言語を操り、正面からリヒトを見つめるサリエルは穏やかに微笑んですらいる。

 銀細工の両眼に、一瞬朱の色が流れた。光の加減だろうか。

 その目に引き込まれるようにリヒトの険しい表情が霞んで、彼はふらりと一歩踏み出した。あるものを握った右手を突き出したのは、自発的ではなく誘われたような動きだった。


 そして、リヒトはそれをした。





 リリンスは舟の舳先が水を切る音を聞きながら、濃紺の空にぽかんと浮かんだ月を見上げていた。

 満月には数日早い、いびつな円形の月である。ちょうど南の高い位置に架かる時刻だ。

 夜の湖を渡る微風は冷たく、彼女は厚い外套の襟で頬を隠す。


「寒いか?」


 隣に座ったセファイドに訊かれ、急いで首を振った。これ以上厚着をさせられては堪らない。


 リリンスは父と二人で、神殿へ渡る舟に乗っていた。舟を漕ぐ衛兵と、数人の侍従が同乗しているが、随行者はいつもより少人数だ。

 作り付けの柔らかい椅子に座り、リリンスは少々窮屈そうにしている。珍しく言葉も少ない。

 このところセファイドと話す機会があまりなかった。それは単に父が多忙だという理由だけではなく、娘の方でも父を避けていたのだった。


 ナタレと兄たちが王都を出立してから、もうすぐ一ヶ月になる。正確には、ロタセイへ向けた出陣式が行われてから二十三日だ。

 ナタレはそろそろ故郷へ到着する頃だろう。アノルトはまだ行程の半分程度か。

 彼らの無事を祈りつつ、平常に戻った王宮でじっと待つしかない自分の立場に、彼女はいいかげん倦んでいた。


 ロタセイの一件以来、リリンスのセファイドに対する態度はどこかぎこちない。

 人質のナタレが処分されなかったのは素直に喜ばしい。その点では父の判断に感謝している。しかし遠い地にあってもなお、彼の運命が父の手に握られている事実を改めて思い知って、何だか今までと同じように接することができないのだった。

 セファイドの側でもまた、政務に忙殺されて会う機会が少なくとも、そんな娘の変化を感じ取っていた。思春期は難しいな、と昨日エンバスに漏らしたところである。


 リリンスを心配してか、あるいは気持ちを解そうとしてか。

 今夜、久々に身体の空いたセファイドが突然部屋を訪れ、彼女を連れ出したのだった。

 神殿で見せたいものがあると。





 王宮からの知らせを受けたカイが、ユージュを探して倉庫にやって来た時、倉庫を入ってすぐの所に彼女とリヒトとサリエルの姿があった。

 彼らの間に何があったのか、カイにはさっぱり分からなかった。


 サリエルは上着に袖を通しているところだった。まるで身体を隠すように素早く前身ごろを合わせる。

 リヒトは呆然と立ち尽くし、空洞みたいな目でそんなサリエルを眺めていた。彼が手にしたものを見て、カイはぎょっとした。

 ユージュは――やおらリヒトに歩み寄って、右手でその頬を強く打った。


 続けてぎょっとするカイの前で、しかしリヒトは抵抗しなかった。魂の抜けた状態だったのが、我に返ったようにユージュを見返し、すぐに顔を伏せる。


「今度こんな真似をしたら追放する。いいわね?」

「あ……ああ……」

「返しなさい」


 ユージュはリヒトが握ったものを奪い取り、今やってきたカイにそれを渡した。


「保管庫に返しておいて。持ち出したことを誰にも知られないように」

「え、ええ? ぼ僕が?」


 カイは抗議しようとしたが、ユージュに無言で睨まれ引き下がった。いつもより迫力が増しているようだった。もしかすると彼女は不機嫌なのかもしれない。

 ユージュはサリエルに向き直って、


「大丈夫ですか……って尋ねるまでもありませんね」

「はい、お気になさらず。そちらも――」


 そちら、とはリヒトのことだろう。


「納得されましたか?」

「はい……ご無礼をいたしました。お許し下さい」


 リヒトは深々と頭を下げた。

 明らかな後悔と、清々しいほどの諦めに満ちた表情だ。一族の中でも気が強くて行動的な彼が、こんなふうに素直に謝罪する姿をカイは初めて見た。


 何があったんだ、いったい――ユージュが語ったサリエルの出自を怪しんで、リヒトは何をした? そしてどう納得した?

 カイは預かったものに目をやって、背筋が冷たくなった。


「それで、何?」


 ユージュはカイに向き直った。彼女の言葉はいつも短い。

 慣れているカイはすぐに頭を切り替えて、


「あ……ええと、王宮から使者が。国王が来るそうだ。テラスのあれを見たいと」


 と、ユージュとサリエルを交互に見る。楽師がここにいることが国王にバレるとまずいのではないかと思う。

 ユージュは頬にかかる髪を耳の後ろに引っ掛けて、軽く溜息をついた。


「分かった。すぐ調整をしておいて。あなたはどうしますか、サリエル?」

「ええまあ……隠れる必要もないでしょう。ご挨拶しますよ」


 やはり神経の太さが並ではない――というより、人が持つ恐れや不安の感情には頓着していないのだとカイは感じた。恐れがないのは、この男の出自ゆえか。

 ユージュに続いて倉庫から出ていくサリエルの端麗な後ろ姿を眺めながら、カイは今さらながら空恐ろしくなった。

 あれは本物だ。本当に、本物がやって来たのだ。





 中央神殿の前ではユージュ神官長が待ち構えていた。


「急なお越しで」


 生真面目な表情で頭を下げるユージュに、セファイドは、


「娘に、最上階のあれを見せてやりたい」


 と、隣のリリンスの肩に手を乗せる。

 ユージュはかしこまりましたと首肯して、神殿へ彼らを導いた。侍従と衛兵はここで待つ。


 夜間に神殿に来るのは初めてで、リリンスは興味深げに石造りの建物を見上げた。

 圧倒的な質量の存在感があるが、内部から漏れる暖かな光のせいでそれほど陰鬱な感じはしない。ここにいるのは神だけではない。人間の生活があるのだ。


 いつも礼拝で訪れる中央の礼拝堂ではなく、向かって右側の建物へ入る。資料や宝物の保管に使われている棟である。

 分厚い金属の扉を開けた先は、三階まで吹き抜けの空間になっていた。左右と奥に廊下が伸び、その壁に沿って木でできた扉が並ぶ。扉はほぼ等間隔で、同じ広さの部屋に仕切られているようだった。その扉は皆同じ色合い、床も天井も装飾のない白い素材でできており、機能的ではあるが殺風景だ。

 その吹き抜けの中央で、二人の神官と見慣れた人物が立っていた。


「サリエル!」


 笑顔で駆け寄るリリンスを迎えながら、サリエルはセファイドに深く頭を下げた。


「おまえも来ていたのか」


 セファイドはさすがに意外そうに言った。責める口調ではない。


「翻訳をお願いしていたのです」


 隣の神官が代わりに答える。逞しい体つきの、精悍な印象の青年だった。もう一人のひょろりとした若者は、いつも見るユージュの副官だろう。


「建国祭の折に他国から買い入れた古書が、大量に未整理のままでございまして。陛下にお許しを頂かず、申し訳ありませんでした」

「なるほど、これの言語能力は稀有だからな」


 セファイドは気にしたふうもなく、サリエルに近寄った。

 その目が、わずかに細まる。


「……どこか怪我をしたか?」

「いいえ」


 答えるサリエルの口調や表情に不自然なところはない。いつものようにヴィオルを抱えて、厚めの上着の前はきっちりと合わせられていた。

 セファイドは切り込むような鋭い眼差しで楽師を見詰める。

 リリンスは剣呑な空気を感じて不安になった。彼女にはサリエルの様子に変わったところは何ら感じられなかった。だが、二人の男性神官の肩が一瞬震えたのには気づいた。

 対して、ユージュは無表情を崩さない。

 しばらくの沈黙の後、セファイドは息を抜いた。


「血の臭いがしたように思ったが……まあいい。おまえの行動にいちいち干渉しない約束だ」


 その言葉とともに場の緊張が解け、リリンスは胸を撫で下ろす。

 父は勘が鋭い。どんな違和感が引っ掛ったものか……。

 彼は一転からかうような笑みを浮かべ、声を潜めて囁いた。


「ともかく、ユージュは駄目だぞ。あれだけには手を出すなよ」

「滅相もない。罰が当たります」


 戯言にしてもあまり趣味がよいとは言えなかったが、楽師は生真面目にそう答えた。


「では、私はもう失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「えー、サリエル帰っちゃうの?」


 リリンスの不満げな声を、サリエルは微笑んで受け流した。


「お許し下さい。今夜は正妃様のお招きを受けておりますので」

「おまえは俺よりも忙しいな。好きにしなさい」


 主人の許可を得て彼は一礼し、周囲の神官たちにも会釈をして、身を翻した。

 ユージュにも丁寧にお辞儀をして通り過ぎたが、二人が視線を交わすことはなかった。


 ここでサリエルが本当に翻訳をしていたのかどうか、リリンスには判断がつかない。しかし、中央神殿の神官長と宮廷楽師の間に深い接点があるとは考えにくかった。

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