御前会議
スンルー大使が退出すると、セファイドは椅子の背凭れに深く凭れて息を吐いた。
建国祭最終日の今日、本来であれば客が引きも切らず訪れ、彼は次々にその相手を務めていたはずだ。だが予定はすべて取り消されて、夜明けに神殿から戻ってきてからずっとロタセイの反乱への対応に追われていた。
甲斐あって情報はだいたい把握できた。スンルーからの報告でその背景も察しがついた。
あとは――。
彼は執務机前の円卓に集った面々を見渡す。非常召集された重臣たちである。行政各省の担当大臣と、王軍の最高責任者たるシャルナグ将軍、その下の各師団長――皆一様に暗い表情で着席している。
昼に近い時間帯の執務室には明るい日差しが溢れていた。緊迫した空気にあまりにもそぐわない、皮肉な長閑さであった。
「父上、すぐに兵を出して鎮圧に向かわせるべきです」
強く進言したのはアノルトであった。セファイドのすぐ隣の席に座している。
「国王の代行者たる知事を拘束するとは、我が国に挑戦状を叩きつけたも同然。放置すれば国内はもとより諸外国にもつけ入る隙を与えかねません。速やかにこれを排除し、オドナス王家の威光を内外に示さねば」
「派兵に関しては議論の余地はなかろう」
セファイドは肯いた。
「行程と補給の計画が調い次第、王都と近隣の師団を送って東部駐留軍と合流させる」
その程度の判断ならば、疲労と睡眠不足の溜まった今の頭でも下せる。
だが他に微妙な問題があり、彼はそちらで迷っているのだった。
「ロタセイ王太子は処刑せざるを得ないでしょうな」
国王の胸中を代弁するように、重い口調で言ったのは刑部大臣だった。国内の警務と法務を司る役職であり、人質の処遇については本来管轄外だ。しかし御前会議においては各自に自由な発言が認められていた。
外交大臣と交易局長も同じように肯く。
「他の属国がロタセイに追随する前に、見せしめに手を打たねば」
「自国が反乱を起こした以上、致し方ありませんね」
賛同の意見は出るものの、空気は重苦しかった。
皆、思っている――国益のためとはいえ、あのような少年を犠牲にするのはいかにも酷だ。
セファイドは答えずに、無精髭の散らばった顎を撫でている。
「あの者はむしろ自害を望むかもしれませんよ、あの気性だ」
アノルトが両手を机の上に乗せて発言した。いつになく煮え切らない態度の父親に苛立ったのか、語気が荒くなる。
「反逆者どもの王子を処分する程度のこと、何をためらっておいでです。父上はこれまでもそうやって国を広げてきたではありませんか!」
「私は処刑にも自害申し付けにも反対です」
それまで黙っていたシャルナグ将軍が初めて口を開いた。
全員の注目が集まる先で、将軍は厳つい顔をますます険しくして腕組みをしていた。
「将軍……!」
「誤解なさらぬよう。反逆国の王太子を処刑するのであれば、私とて異存はありません。しかしアノルト殿下も諸卿もお忘れのようだが、ナタレはもう王太子ではないのです。父親が死亡した時点でロタセイの王位は彼に引き継がれているはず。あの子は今や正統なロタセイ王なのですぞ」
さすがに誰も声は上げなかったが、明らかに空気が動いた。どよめくように。
数瞬おいてアノルトが大きく首を振った。
「王になったのならば、なおさら責任を取らせるべきなのでは?」
「ロタセイが蜂起したのはザルト前王の逝去後で、首謀者は長男のハザン王子だと聞いている。王位がナタレに移った後、王権を持たぬ王子がロタセイを不法に支配し反乱に導いたとも解釈できます」
奇しくも少し前にリリンスが指摘したのと同じことを口にして、シャルナグは正面のセファイドを見た。
その解釈ならば、オドナスはナタレを処刑するどころか、支配国として彼の後ろ盾となり正当な地位へ戻してやらねばならない。セファイドが判断を保留にしているのもまさにその点であった。
だがそもそもナタレは人質として王都に召喚した人間である。だから深く理屈をつけずに速やかに処分すべきという意見にも一理あろうし、そうすれば他国への牽制にもなる。
そちらを主張したいアノルトは明らかに不快そうに眉根を寄せて、
「あまりに甘い解釈ではありませんか、将軍。それでは人質の意味がありませんし、他への示しがつかない」
「私はあくまで我が国の政策に沿った考えを述べているまでです。陛下の理想とされる統治は属国を潰すのではなく、結ぶことにあったはず。違いましょうか?」
「従属を拒む国は王族を含めて潰すしかありません。将軍にも何度か身に覚えがおありのはずだ。今更私情を挟まれても困ります」
「殿下」
シャルナグは気難しげな表情で言葉を切った。
「私情を挟んでいるわけでは決してありませんよ」
一見物凄く不機嫌そうではあるが、彼をよく知る者ならば嬉しげな気配を感じ取れるかもしれない。
幼い頃から見守ってきた第一王子がずいぶん成長したものだ――しかも痛いところを突いてくる。
アノルトはハッと我に返ったようだった。
「……言葉が過ぎました。お許し下さい」
と、潔く剣術の師に頭を下げた。口先だけではなく心から詫びている。この辺りの教育は行き届いていた。
二人のやり取りを眺めながら、セファイドはこめかみを押さえた。
息子の言う通り、ナタレの方から自害を申し出るかもしれない。少なくともあの子はその覚悟で――それがどんなに青臭く稚拙な覚悟であったにせよ――王都へやってきたのだろう。
生かすか、殺すか。
どちらを選んでも理屈は通る。だからこそ結論は慎重に出さなければならないのだが、連日の疲れと寝不足で自分の理性に今ひとつ自信が持てない状態だ。
セファイドは内心苦笑する。昔は数日ぶっ続けで戦場を駆け回っても平気だったのに、さすがに歳を取ったか。
シャルナグとの議論を切り上げて、アノルトはセファイドに向き直った。
「ご決断を、父上」
そこにいる全員の視線が主人に引き寄せられる。王の決断こそが最良であるはずなのだ。
セファイドは再び小さな溜息をついた。
その時――部屋の外から国王侍従長の声がかかった。
「失礼致します。ナタレを連れて参りました」
執務室には円卓が運び込まれて、オドナスの国宰たちが着席している。シャルナグを筆頭に軍の幹部も揃っていた。
侍従見習いの立場から何度も目にした御前会議の光景だとはいえ、今回それが自分のために開かれていると思うと、ナタレは空っぽの胃の腑から酸っぱいものが込み上げてきそうなほど緊張した。
円卓の奥、大きな紫檀の執務机の向こうから、セファイドがこちらを見詰めている。疲労感の滲む険しい表情だ。少し目が充血している。
無理もない、ここ数日、あの人はまともに眠っていない……。
侍従長に促されて、ナタレはその場に膝をついた。
「祖国の状況はもう聞き及んでおろうな」
セファイドは低い声で言った。こんな時でもよく通る声で、ナタレは身震いがした。
「……はい」
顔を伏せたまま答えるナタレに、
「お父上のご逝去に関してはお悔やみを申し上げる。残念だ」
初めて受けた父親への弔意であった。
この場でこのような言葉を聞くとは思わず、ナタレは何も言えずにひたすら平伏した。
椅子の軋む音がする。セファイドが姿勢を変えたようだ。
「それはともかく、やはり今のロタセイを捨て置くことはできん。反乱を鎮圧するためすぐに援軍を送るつもりだ。あとは、ナタレ――さておまえをどうしようか」
背筋が冷たくなった。反対に全身の皮膚がちりちりと炙られるように熱い。
あまり沈黙していると本当に喉が固まってしまいそうで、ナタレは無理やりに声を絞り出した。
「弊国の混乱につきましては、東部知事閣下並びに東部駐留軍諸官に多大な損害を与えてしまったこと、亡父に代わりお詫びを申し上げます」
意外としっかりした声が出せた。
混乱じゃない反乱だろうが、というアノルトの横槍を無視して続けた。
「この度の無謀な蜂起は、我が愚兄と一部の王族の短慮が招いたこと、決してロタセイの民の総意ではございません」
「ほう」
ナタレは顔を上げた。
一晩悩み抜き、絶望し、泣き喚いた果てに、ようやく一縷の望みを繋いだ十五歳の目つきは鋭かった。憔悴しながらも凶暴なほどの生命力が溢れるのを隠し切れない。
その鬼気迫る雰囲気に、そこにいる誰もが息を飲んだ。
「どうしたいのだ、おまえは?」
セファイドは机の上で指を組んで尋ねる。
ナタレは深呼吸をした。
「陛下のお許しが頂けますなら、ロタセイの王位継承者として祖国へ赴き、兄の非行を正す所存でございます」
王太子の決意を聞いてある者は天井を仰ぎ、ある者は感嘆の溜息を漏らし、ある者は頭を抱えた。
セファイドは、初めて口元に薄い笑みを刷いた。
「非行を正すとは?」
「急ぎ帰郷し、兄の真意を確かめ、蜂起を鎮圧します。そして場合によっては――兄を討ちます」
端的な答えに、アノルトが父の隣で息を吐いた。
「……呆れたな、自分の命惜しさに身内を売るのか。大した後継者だ」
悪意のある物言いも、ナタレは無視した。というより耳に入っていなかった。彼は全神経を目の前の国王に向けている。
息子を視線で諌めて、セファイドは身を乗り出した。
「オドナスへ義理立てするために、おまえに実の兄が殺せるか?」
「オドナスのためではありません、ロタセイのためです。今私が事態を収めなければ、陛下は今度こそ本当にロタセイを潰してしまわれるでしょう」
場の空気が一瞬凍りついた。明るく暖かな陽射しの中に、不思議な静寂が降りる。
自国を助けるために帰郷させてほしい、と、自国を滅ぼすかもしれない張本人に向かって願い出ているのだ。聞きようによってはずいぶん厚かましい願いであったが、セファイドは気分を害したふうもなく笑みを深くした。
「決意のほどはよく分かった。だがナタレ、ここは嘘でもいいからオドナスのためだと言っておくところだぞ」
声はどこか楽しげですらある。ナタレは恐縮して頭を下げた。
「まあ、腹芸を覚えるにはまだ若いか――さきほど、この場へスンルー大使を召喚して話を聞いていた。この度のロタセイの反乱には、スンルーの一部豪族が絡んでいるのかもしれない」
「陛下」
外交大臣がさすがに口を挟むが、セファイドは小さく手を上げて黙らせた。
外交機密であろう事実をいきなり聞かされて、ナタレは呆気に取られた。
スンルー帝国は、北方からの異民族侵入に長年悩まされ続けている。
数年前に、スンルー国内のある豪族が異民族と内通しているという疑いが持ち上がった。ただ確たる証拠がなかったので、その豪族は処罰を免れ、領地換えとなった。北の地を追われて西の国境一帯を治めることになったという。
セファイドはそういうことを簡単に話してから、
「タンゼア公という名に聞き覚えはないか?」
と、やや唐突に尋ねた。
ナタレはおずおずと肯く。
「は、はい……ロタセイと国境を接したスンルーの地方領主です。兼ねてより頻繁に交流がありました」
オドナスの一部となる前は、ロタセイとスンルーの交易の窓口はタンゼア公が務めていた。請われて、彼の領地の警護をすることもあった。
さすがにここで口にはできなかったが、スンルーの傘下に入りたいなら中央と交渉してやってもいい、と先王ザルトは何度も誘いを受けていたらしい。そんなものに乗れば公の私兵のように使われるのが目に見えていたから、ザルトは当然断っていた。
「ではその、異民族との内通の嫌疑が掛けられていた豪族というのがタンゼア公だと……」
ようやくセファイドの言わんとするところが飲み込めてきて、ナタレは鼓動が高まるのを感じた。
オドナスに向けて蜂起するなら助力する――父が突っぱねてきたタンゼアの誘いに、兄は乗ったのかもしれない。
タンゼアがまだ北方異民族と繋がっているとしたら? オドナスとの国境付近で騒ぎが起きれば、スンルー軍も西方の守備を厚くするだろう。そのぶん北方への注意が逸れる。
「ロタセイの反乱は、公の仕組んだ陽動である可能性が高い」
セファイドはそう言い切った。居並ぶ国宰たちも肯く。スンルー大使から得た情報でそう推測し、大使にも至急本国へ警告するよう伝えたところだ。
もちろん黒幕がいたからといってロタセイの罪が軽減されるわけではないし、むしろ他国の豪族の力を借りたという意味でただの武装蜂起よりもやっかいだ。
それを初めて知ったロタセイの正統な王位継承者は、驚きが徐々に怒りに変わるのを感じていた。
兄上はなぜそんな甘言に乗ったのか。父上があれほど慎重になっていたのに、何も学んでいなかったのか。挙句に一族全員を滅亡の危険に晒して……!
ふつふつと溶岩のように湧き上がる怒りは、憔悴した身体に強い生気をもたらした。
ナタレの頬が紅潮し、瞳にさっきよりももっと生々しい輝きが宿るのを見て、セファイドは好もしげに微笑んだ。
「陛下、改めてお願い申し上げます。何とぞ私をロタセイの地に赴かせて下さい。力尽くでも兄を諌め、この愚行を止めて参ります」
きっぱりと宣言したナタレは、もう自らの死への恐怖を忘れていた。それに倍する怒りが、まだ容量の小さい若い感情を支配している。
「帰郷を許可する」
対照的に、セファイドは穏やかに答えた。
「王軍の師団を貸してやろう。正統な王位継承者として彼の地へ帰還し、おまえの民を救ってくるがいい。シャルナグ」
彼は将軍の方へ顔を向けて、
「軍の指揮を取れ。もともとおまえが陥落させた地だ」
「かしこまりました。お任せ下さい」
シャルナグは重々しく肯いたが、そう命じられることは心得ていたようで、同席の師団長らに目配せをした。大将軍自らが戦地に赴くのは、ロタセイが併合されて以来一年ぶりだ。
続けてセファイドは列席の大臣たちに指示を出す。
「予算は今日中に組んで回すように。工部は必要物資の備蓄を確認、不足があれば急ぎ買い付けろ」
「は、今は王都に商人がひしめいておりますからな」
「建国祭の時期でちょうどよかったかもしれん。各国の使節団にもロタセイへの派兵を発表するのだ。オドナスは王太子ナタレを正統な後継者と認める、とな」
方向性が決まり、執務室はにわかに活気づいた。
強固に反対していたアノルトも、こうなるともう逆らおうとはしなかった。国王の決定は絶対である。
事態が急速に進んでいって、自分が渦中にいるにも関わらず、ナタレはひとり取り残されたような気がした。極度の緊張が解けたのか、手足が震え、頭がぼうっとしてくる。
もう止められない、動き始めてしまったのだ。
「おまえはもう下がれ」
セファイドはちらりと目を上げてナタレに告げた。
「まず食事を摂って湯浴みをして、それから少し寝なさい」
「いえ私は……」
「疲弊していては正常な判断が下せない。さっさと休め。細かい話はそれからだ」
あなただって相当お疲れのように見えますが、と言いたいのを堪えて、ナタレは一礼し、立ち上がった。長く跪いていたせいか、軽い立ち眩みがする。
――執務室を出ると日光が眩しかった。
身体が温まり、緑の匂いを含んだ空気が肺を満たしてゆく。血の巡りがよくなって、空腹を感じた。
その時になってようやく、彼は、自分の命が助かったことに気づいた。