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水面の月を抱く国  作者: 橘 塔子
第四章 封じられた断章
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亡霊

「それから後のことは周知の通りだ。父の仇討ちを果たした俺は、異母姉であるタルーシアを娶り、オドナスの王位に就いた。神殿が『血讐による継承』を承認したから、誰も意義は唱えられなかった」


 ヴィオルの弦の音が止まる。長い昔語りが終わったのだ。

 祈りの部屋に静けさが戻った。

 まだ天窓から満月は見えない。明るすぎる月光がその気配を感じさせるだけだ。過去に惨劇の起こった時刻には、まだ早いようだ。


「脅迫なさったわけですね、当時の神殿組織を」


 立てた膝の上に顎を乗せて話に聞き入っていたユージュは、濁りのない黒瞳でセファイドを見詰めて呟いた。重大な告白を聞きながら、ほんの少し面白がるような響きがある。


「王位継承を認めろ、さもなくば王太子の謀反に加担した罪で全員打ち首だ――とか何とか。兄君を排除すると同時に目障りな神殿の弱みを握ることもできる、お見事です」


 当時神殿は今よりもずっと強い権限を持っていた。アルハの御心に叶うかどうか定めるのは神官長の役目で、国王ですらその承認なしには政治的な決定を下せなかった。

 いったんは力尽くで黙らせたセファイドではあったが、彼らが虎視眈々と復権を狙っているのは分かっていた。これから王権を強化しようとする若い王にとって、あまりにも邪魔な存在だ。


「それで、旧い神官たちをこの王都の神殿から追い出し、私たちを登用したのですね。ずいぶん大鉈を振るったものです」

「そう、神官長は隠居させて、あとは皆地方の神殿へ飛ばした。すっきりしたよ」


 セファイドは清々した顔で微笑む。


「兄を騙して殺し、王になった後は神殿まで解体しておまえたち異邦人を招いたが、神罰はついに下らなかった。それどころか、数々の戦に勝利して国は広がった。子にも恵まれた。それで俺は確信したのだ――我々を裁く神はいないと」


 背後にひっそりと佇む真っ白い神の像を、彼は見上げた。

 二十年前のあの夜も、それは見ているだけだった。

 兄の血が流れるのをただ見ているだけだった。


「神がいないのならば、絶対的な罪などないとは思わんか。何が罪かは人が決めることだ。裁くのは人であるべきだ」

「……無能な王が上に立つことこそが罪」


 ずっと沈黙していたサリエルが呟いた。彼の声は静かだったが、青い部屋の中によく通った。

 神像が口を利いたのかと、一瞬セファイドが振り返ったほどだ。


「……ああそうだ、俺はそう考えた」

「陛下のご判断は間違ってはいなかったと思います。陛下は民を導き国を豊かにし、希代の名君としてオドナスを治めておられる。その結果こそがあなたの正しさの証明です。けれど――」


 サリエルの銀色の瞳が、うっすらと朱色を帯びた。

 蝋燭の明かりを映したものか、それとも彼の血潮が透けて見えたものか。


「陛下ご自身は本当にそう信じておいでなのでしょうか?」


 セファイドは沈黙した。楽師の質問は正鵠を射たものだった。

 

 兄の暴発に乗じた王位の奪取は、オドナスにとって良い結果をもたらした。神罰で国が滅ぶこともなかった。

 だから自分は間違っていなかったのだと、肉親の血はその代償だったのだと、彼は信じていた。

 にも関わらず、異国からやって来た旅の楽師に既視感を覚え、あの晩の神像の姿に酷似していると認識した時、ついにその時が来た、と確信してしまったのだ。


 自らの罪が暴かれ、裁きを受ける時が。


 確かめるように今夜ここへ当の楽師を呼んで、結果、不安は消えた。しかし一時でも強靭な精神を迷わせ、あまつさえ過去の経緯を語らせたのは、彼の深奥に淀んだ罪の意識に他ならない。


「月が満ちると兄の姿が見えるのだ」


 セファイドはアルハ神像の台座に凭れて、天窓を仰いだ。


「満月の下に兄の断末魔の顔が現れる。今も、そこに見えているよ。氷のような手で俺の左足を掴んで呻き続けている」


 床に投げ出した彼の足先で、血塗れの男が痙攣していた。

 苦悶に歪んだ死人の顔は声を出せず、だがいつも同じ言葉を吐いている――呪ってやる呪ってやるおまえを呪ってやる。


「私には何も見えません」


 彼らの中央に置かれた燭台を凝視して、サリエルは尋ねる。


「陛下はそれを恐ろしいとお感じになりますか?」

「いや……別に恐ろしくはない。ただどうして見えるのか、不思議に思う」

「人には自分の見たいものしか見えず、聞きたいものしか聞こえません。兄君の姿が見えるのならば、それは陛下が見たいと欲しておられるからでしょう。陛下の精神の均衡を保つために必要なのかもしれません」

「なるほどな」


 セファイドはふうっと息を吐き出した。

 足首に痛みだけを残して、兄の幻影は歪んで消え失せる。いつも現れるのはほんの短い時間だけだ。一晩中居座られては堪らない。


「兄を呼び寄せるのは俺の罪悪感か。そんなもの、とうに死に絶えたと思っていたが」

「毎月やってくる亡者と、いつ訪れるか分からない神の裁き――せっかく手に入れた王位なのにとんでもないオマケがついていたものですね」


 ユージュは膝を抱えてくすりと笑う。少女のような線の細い顔立ちが、余計に子供っぽく見える笑みだった。


「いいではありませんか。現実で陛下が対処しなければならないことに比べたら、亡霊など軽い余興程度のものでしょう。神罰の方は、下る前に私たちが必す警告を出します。私たちはそういう契約の元であなたにお仕えしているのですから」


 彼女は含みのある言い方をして、一瞬サリエルに視線を送った。

 この若い神官長もまたアルハを信じてはいないのだろう。旧い神殿組織が一掃された後登用された彼女らは、セファイドから何か特別な役目を任されている。


「古い話に付き合わせてしまったな。こんなことを喋ったのは、すべて俺の自己満足だと思う。が、他言は無用だ」


 セファイドは最後の一言だけ厳しい口調で言ってのけて、左脇に置いた剣の柄を撫でた。


「今このことが明るみに出るとややこしいことになる。ま、おまえたちが喋るとも思えんがな」


 サリエルとユージュは無言で肯く。緊張した様子はなかった。もともと、王家の継承問題には興味のない二人だ。

 セファイドは満足げに微笑んで、それから大きく背伸びをした。


「では、俺はこれから少し寝る。この数日間ほとんど眠れてないんだ。さすがに限界だ」


 と、ごろりと横になった。


「ほんとに罰当たり……」


 呟くユージュに、夜が明けたら起こせと命じて、彼は目を閉じた。

 すぐに規則正しい寝息が聞こえ始めて、神聖な部屋の中には、神官長と楽師だけが残された。





 神殿で国王が封印された過去の話を打ち明け始めた頃、王都の大通りを三頭の駱駝とその騎手が疾走していた。


 彼らは祭りでざわめく人の波を強引に掻き分けて、ひたすら北へ向かって走っていた。

 ちょうど花火が佳境に入った時刻で、街頭でも多くの市民が立ち止まってアルサイ湖の方向を眺めている。そんな人混みの中を駱駝に乗ったまま先へ進むのは無茶とも思えたが、どの騎手の顔にも周囲を構っていられないほどの緊張感が漲っていた。


 店先の商品を蹴飛ばされた露天商が怒鳴り、巻き上がった砂埃に通行人が顔をしかめ、幼子を連れた母親は慌てて我が子を抱き上げる。

 そして、騎手の装束から彼らが東部国境守備隊に属する王軍の兵士だと分かると、誰もが不審げに首を傾げた。華やいだ建国祭の雰囲気にはあまりにも似つかわしくない。


 三組の騎手と駱駝は、焼けついた砂漠の空気を身に纏ったまま、王都の北端――王宮へと駆けていった。

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