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水面の月を抱く国  作者: 橘 塔子
第三章 祭礼の情景
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闘技会・3

 盾を持たないぶん右手の剣に集中できた。

 ナタレは接近戦を選んだ。素早く間合いを詰め、至近距離から渾身の力で木剣を振り抜く。

 アノルトはその場を動かず、彼の初撃を剣の中ほどで受けた。


「軽いな……」


 剣を押し返し、少し体勢を崩したナタレの懐に打ち返す。

 避けることもできたが、ナタレは敢えて剣を両手で構えて受けた。鈍い音が響き、驚くほどの衝撃が柄から腕に伝わった。両手で握っているにも関わらず押し返すことができない。

 剣を横に滑らせて何とかかわした彼に、アノルトは続けさまに打ち込んできた。その一撃一撃が速くて、重い。

 全部止められたのはナタレの動体視力の賜物だったが、連続の衝撃で両腕が痺れてくる。

 同じ木剣を使っているとは思えない――圧倒的な筋力の差だ。防ぐのが精一杯でこちらから仕掛けられない。





「何テンパっとんねんあいつはっ!」


 いつもの冷静なナタレの剣筋を知るフツは、イライラして地面を蹴った。

 留学生の中でも小柄なナタレは、純粋に腕力だけの勝負ではどうしても劣る。だからいつも自分からは間合いを詰めず、相手の攻撃をかわしつつ隙を見つけて、一撃で仕留めてくるのだ。その流れるような身体の使い方と度胸のよさは、他のどの留学生にも勝る。


 俺もどんだけそれでやられたか! なのに何やあれは。真っ正面からぶつかってアホちゃうか。


 フツは拳を握り締めて前のめりになり、それから、ふと周囲の様子に気づいた。

 観客はみな興奮した様子で、中庭全体が歓声に包まれている。それなのに彼の周りの留学生たちは一様に静かなのだ。

 戦っている学友の動きを熱心に凝視しつつも声を出せないでいる。視線だけが熱っぽくギラギラしているようだった。


 相手は支配国の王子――しかも時期国王と目される人物だ。国内各地から集められた彼らにとって、ここであからさまにナタレを応援するのはためらわれるのだろう。

 仲間の気持ちが分からなくはない。だがこういう微妙な空気がフツは大嫌いだった。


「いっけーナタレ! いてこましたれーっ!」


 フツはわざと大声を張り上げた。あまり上品とは言えない掛け声に周りの視線が集まったが、気にしなかった。


「いつもの稽古を思い出せ! おまえなら勝てるでぇ!」

「そ……そうだ勝てるぞ!」


 触発されたように、彼の隣の者が声を上げた。


「頑張れナタレ!」

「やっちまえ!」

「ロタセイの意地を見せろ!」


 次々と留学生たちから声援が飛ぶ。抑えられていた熱がついに臨界点を超えて、いっきに爆発したようだった。


 引率の教官が渋面を作ったが、三十名余りの少年たちの興奮と熱気はますます高まってゆく。

 彼らの声と雄叫びは他の観衆を凌駕するまでになった。

 自分たちの代表が、オドナス王の嫡男とやり合っている。強大な王国の中に囚われながら、ひときわ鮮やかにその存在を示している。


「絶対……負けるんやないぞ……」


 フツの呟きは祈りの言葉に似ていた。





 仲間たちの声援を、ナタレは遠く聞いた。気にしている余裕がなかった。

 アノルトの容赦ない攻撃を防ぎながら、何とか前へ出る機会を窺う。このままでは腕が痺れて、長くは耐えられない。

 木剣のぶつかる音が右耳のすぐ近くで響いた。

 顔面に打ち込んできたアノルトの一撃は剣身で受けられたが、握力が落ちてきたせいか支えきれず、構えた自らの剣が顔に当たった。

 勢いに負けて転倒したナタレに向かい、アノルトが剣先を突き下ろす。ナタレは身体を反転させてかわした。間一髪だ。


「待て! 待ちなさい!」


 すかさずシャルナグ将軍が割って入った。

 アノルトを下がらせ、ナタレを立たせながら、


「大丈夫か? 続けられるかね?」

「はい、やります」


 即答したものの、ナタレは肩で息をしている。剣がぶつかった右頬は赤く腫れ、鼻血が流れた。彼は手の甲で血を拭って剣を握り直した。

 対照的にアノルトは平静だ。あれだけ激しく攻撃しながらも息を乱していない。剣は下に向けたまま、左手を腰に当てて悠然と立っている。

 嘲るような視線を浴びて、ナタレは負けじとアノルトを睨み返す。

 両腕はひどく痺れて力が入らず、鉄臭い血の味が喉の奥を流れるが、心はまだ折れていなかった。


 ふと――彼の肩越しにテラスが見えた。

 そのいちばん手前で身を乗り出すリリンスの姿が。

 ナタレは混乱した。女はいないはずのないこの場になぜ王女が? 


 リリンスは――その丸い眼を輝かせていた。明らかに楽しんでいる。わくわくと興奮する気持ちがはっきりと顔に出ている。


 ナタレの全身から、すっと、強張りが抜けた。


 あのとんでもないお姫様は、殺気立った俺たちの戦いを面白がっている。いちおう殊勝な振りをして両手を握り締めているが、あれは楽しくてしょうがない顔だ。バレバレだ。

 父が父なら息子も息子、娘も娘だ……。


 なぜか、笑えた。

 緊張でぼうっとしていた聴覚が戻ってきたようで、急に観客のざわめきが近づいて聞こえた。

 せめて互角に戦ってみせないと、あの凶暴なお姫様にはご満足頂けないな――。


「何が可笑しい?」


 アノルトが怪訝な顔で訊く。ナタレは首を振って、


「続けましょう、将軍」


 シャルナグはやや心配そうな素振りを見せたが、二人の空気がすでに臨戦態勢に入っているのを感じて仕方なく手を上げた。


「再開!」





「ナタレ鼻血噴いてるわ、ほらほら。大丈夫なのかな?」


 リリンスは興奮した声で言って父親を振り返った。

 セファイドは仰ぐように左手を振って、


「あのくらい何でもないよ。おまえちょっと避けなさい。そこに立つと見えない」

「あ……はい、ごめんなさい」

 

 慌てて二、三歩位置をずらす娘を、セファイドは諦めと好もしさの混じった顔で眺めた。


「おまえのそういうところ、誰に似たものかね」

「そういうところって、どういうところですか?」

「興味のあることには何の恐れも抱かないところだ。喧嘩だろうと諍いだろうと」


 喧嘩好きだと言われてるような気がして、リリンスがむくれる前に、セファイドは闘技場を指差した。


「ああほら、ナタレの戦い方が変わったぞ」


 いろいろ出てきそうになる言葉を抑えて、リリンスは再び闘技場へ顔を向けた。

 兄が強いのは知っている。ナタレの噂もよく聞いている。一瞬たりとも目が離せなかった。





 ナタレが距離を取り出したのを見て、フツは胸を撫で下ろした。

 そうや、接近戦では勝ち目ないで……。

 彼は剣を構えた姿勢でアノルトの攻撃を待ち、なるべくかわそうとしているようだ。剣で受けても無理に弾かず、力を受け流そうとしている。その間に相手の隙を見つけようとしているのだ。

 それを百も承知で、アノルトは攻撃の手を緩めなかった。持久力と腕力ではナタレを遥かに凌駕している。


「さすがやな……あれだけ打ち込んできて、まったく隙がないわ。あ、ほら今の見た?」

「凄いなあ。フツだったらあっという間に一本取られてるのになあ。脇ガラ空きで」

「そうそう、俺なんか隙だらけで……って何言わせとんねん!」


 フツは隣の友人をポカリと殴った。

 しかし本当に言われた通りだった。ナタレは尋常ではなく目がいいので、相手の攻撃の癖や剣の動きをあっという間に見切って、的確な場所に打ってくる。

 そんな彼が未だに反撃の糸口を掴めずにいる。


 戦いが長引くと不利だ――やっぱり勝てへんのか!?


 フツの脳裏を一瞬絶望が過ぎった時、激しい突きをかわしたナタレが踏み込んだ。

 一瞬で剣を左手に持ち替え、至近距離からアノルトの右脇腹へ叩き込む。

 アノルトはハッとして体をかわし、わずかに体勢が崩れた。そこへナタレの二撃目が迫る。

 観客がどよめいたが、アノルトの反応の方が迅速だった。

 彼は剣を引き、正面で防いだ。ガツンと、ひときわ重い音が弾けた。

 




 テラスの国王の後ろで、サリエルが小さな声を上げた。


「あ……」

「さすがに耳がいい」


 彼の反応に気づいたセファイドが背を向けたまま呟く。感心しているふうでもある。

 楽師は慎み深く、しかしはっきりと、


「僭越ながら……そろそろお止めになったほうがよろしいかと存じます」

「うん、まあもう少し見ていろ」


 セファイドは背凭れに身を預けて薄く笑った。

 




 惜しかった――ナタレは舌打ちをしつつも、深追いはせずに後ろに飛びすさった。


「……両利きか」


 アノルトは苦笑した。さすがに額に汗の玉が浮かんでいる。


「それに思ったより足腰は丈夫だな」

「故郷では羊を追い回していたもので。田舎者ですから」

「だがもう腕に力が入らんはずだ。次の機会はないぞ――音を聞いただろう?」


 その言葉を訝しむ暇を与えず、アノルトは再び打ち込んだ。

 ナタレは剣を両手で構え直し、攻撃を防いだ。受け流そうとしたが、アノルトがそれを読んで直前で角度を変えてきたため、まともに木剣がぶつかった。

 驚くほど高い音がした。


「え……」


 ナタレが大きく目を見開く。

 彼の剣はいったん攻撃を受け止めた後、その半ばでボキリと二つに折れてしまったのである。


 勢いでよろめいたナタレの胸にすかさずアノルトの突きが――反射的に上半身を捻ったが防ぎきれず、右の二の腕に激しい衝撃を感じた。

 折れた剣が手から離れる。ガラ空きになった腹部に次の一撃が入った。

 ナタレは受身も取れずに仰向けに倒れた。


 激痛で呼吸ができない。鳩尾を押さえて悶えるナタレに、アノルトはゆっくりと近寄ってきた。


「うまく避けたな。まともに入っていれば血反吐を吐いていただろうに」


 彼が見抜いたとおり、剣先がぶつかる直前ナタレはわざと背後に身を投げたのだった。とっさの判断で衝撃は半減されたはずだ。


「何で……剣が……」


 剣先は足元に、柄の部分は右腕の横に転がっている。ナタレは焼けつくような痛みと吐き気をこらえて呟いた。

 アノルトは唇の端で笑った。


「おまえがいつも同じ箇所で攻撃を防いでいたからだ。真剣ならともかく、こんな軽い木剣がそう何度も耐えられるはずがなかろう」


 左肘を着いて起き上がろうとするナタレの鼻先に剣先が突きつけられた。


「決着はつけさせてもらう――身の程知らずの、これが報いだ」

「待て! そこまでだ。そこまで!」


 駆け寄ってくるシャルナグの声に気づかぬふりをして、アノルトは剣を振りかぶった。

 この試合中初めての渾身の一撃がナタレの頭上へ振り下ろされる。


 直撃すれば相手が死ぬかもしれないし、動作が大きいだけに避けられるかもしれない。

 どちらでもいい――とアノルトは思っていた。

 父の前でこの属国の王子を完膚なきまでに叩きのめせればいいのだ。自分は手加減はしないと言った。


 ナタレは――避けなかった。

 逆に勢いよく上半身を起こし、振り下ろされた剣先に向かっていく。

 そしてその右手は、弧を描いてアノルトの首筋へ振られた。


 アノルトの左の視界に、ナタレの握り締めた剣が入った。

 半分に折れて、そのぶん鋭く尖っている。


 一瞬の出来事が、二人にはひどくゆっくりに感じられた。





 リリンスは気丈にも目を瞑らずに見続けていた。

 倒れたナタレに兄が剣を振り下ろす。その動きに合わせるように、相手の死角からナタレも折れた剣を突き出す。

 どちらも避けきれない――どちらも致命傷になる強さだ。

 時間が止まったように彼女には思えて、次の光景は、二人の間にシャルナグが身体を割り込ませたところだった。





 ナタレとアノルトは互いに見詰め合ったままその動きを止めていた。

 飛び込んできたシャルナグが自らの真剣でアノルトの木剣を根元から切り飛ばし、同時にナタレの右腕を左手で掴んだこと気づいたのは、ややあってからだ。


「この馬鹿どもが」


 シャルナグは低い声で言った。

 瞬時に飛び込んできて、狭い間合いの中で真剣を振いながら二人には傷ひとつ負わせてない。驚くべき速さと正確さだった。


「建国祭の席を血で汚す気か。誰が殺し合いをしろと言った? アノルト、勝負のついた相手にとどめを刺そうとするとは、ここは戦場ではないのだぞ!」

「も、申し訳ありません……」


 恩師の叱責に、アノルトは我に返って剣を引いた。

 シャルナグは次にナタレを見据える。


「ナタレ、おまえもだ。相打ちを狙うなど、それが王太子の戦いか!」


 将軍が本気で怒っているのを感じて、ナタレは答えられなかった。

 勝負は決していたが自分はどうしても負けたくなくて――気がつくと身体が動いていたのだ。


 シャルナグは掴んだナタレの腕を引っ張って彼を立たせた。

 会場は水を打ったように静まり返っていた。二人の王子の間にあったのは確かな殺気だと、観客たちも気づいたのである。

 将軍の制止があと数秒遅かったなら、とんでもないことになっていたかもしれない。誰もが空恐ろしくなって沈黙するしかなかった。


 その時、唯一この場を収拾できる人間の声が響き渡った。


「見事であったぞ、二人とも!」


 セファイドは席を立ってテラスの端に出てきた。この緊張した空気の中で、いつもと変わらず明朗で屈託のない表情をしている。

 並んで跪くアノルトとナタレに向けて、


「アルハ神へ捧げるに相応しい模範試合だった。余も含めて、今日この場に臨めた者は幸運だな。これからも励めよ」


 と、よく通る声で賛辞を送る。


 間髪を入れず、隣でリリンスが拍手をした。彼女は頬を紅潮させて微笑んでいた。

 留学生の席からも拍手が起こる。それは徐々に広がって、やがて中庭全体が拍手に包まれた。

 この試合を提案したセファイド自身がこの結果に満足しているようで、観客たちもようやく安堵したのだ。


 ナタレは立ち上がってアノルトを見た――次は負けない。

 アノルトもまたナタレを見ていた――今度歯向かってくれば殺す。


 賞賛の拍手の中で当人だけがギラギラとしている。

 シャルナグは小さく舌打ちをして、二人の頭を強引に押さえつけてお辞儀をさせた。

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