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水面の月を抱く国  作者: 橘 塔子
第三章 祭礼の情景
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闘技会・1

 翌日は、建国祭の中日であり月神節当日であった。


 朝から王宮の礼拝堂でアルハ神への礼拝が行われ、これはユージュ神官長をはじめとするアルサイ湖神殿の神官たちが取り仕切った。ユージュにとっては神官長に就任して初めての月神節であったが、実に淡々とそつなく務めをこなしており、国中から集まった信徒たちを安堵させた。

 ただ、新しい大神官が若い女でしかも美人だという噂は国外にも広まっていたらしく、彼女を一目見ようと、アルハ信徒ではないはずの外国人たちがたくさん礼拝に詰めかける騒ぎになってしまった。

 これに対しセファイドは、怒るどころか逆に面白がって礼拝堂を開放したものだから、中庭にまで客が溢れる始末だった。


「聖職者の見てくれで客寄せするて、どんだけ罰当たりやねんオドナス王は」


 礼拝堂の祭壇に立つユージュの姿を、身を乗り出して凝視するフツは自分のことはすっかり棚に上げて言う。


「宝石を持ってるだけじゃ物足りないんだよあの人は。見せびらかさないと気が済まないんだろ。それよりほらもう行くぞ! 教官が待ってる」


 ナタレは学友の襟首を掴んで、強引に人混みから連れ出した。彼らにはこれから大事な仕事があるのだ。


 礼拝の後、王族と貴族、それに国賓たちはそのまま中庭の広場に移動して、恒例の闘技会を見物することになっていた。

 以前に、初めてサリエルが国王の前で演奏した場所である。

 石の回廊に囲まれた広場は、その四方に人の背丈ほどの細い旗竿が立てられ、月を模ったオドナスの国旗が揺れている。旗竿と旗竿の間隔は、大人が大股で歩いて五歩。この四角形の中が闘技場になるのだろう。


 サリエルの時と同じく、セファイドは広場に迫り出したテラスの席に腰を下ろした。

 後ろにはアノルトと、その弟であるセラム王子とサーク王子が座る。建国祭のためにそれぞれ領地から帰郷しているのだ。

 タルーシアやリリンスら女性の姿はなかった。他の観客もみな男性ばかりだ。回廊から身を乗り出して始まるのを今か今かと待っている。


「……男ばかり」


 広場に集まった人間の中で唯一の女性は、ぼそりとそう呟いて席に着いた。ユージュである。白い神官服の彼女は、礼拝で使った薄荷の香の匂いを薄く漂わせていた。

 セファイドは苦笑して、


「女の立ち入りを禁止しているわけではないが、正妃がこういった荒事を好まんのだ。試合の間、毎年女どもは後宮に集まって羽を伸ばしているようだ」

「確かに毎年怪我人が出ていますし、万人受けする催しとは言えませんね」


 ユージュは国王を前にして淡々と言う。神官長である彼女の席はセファイドの隣だった。


 この闘技会は月神節における恒例の神事である。

 国中の猛者がその腕前を競い、歓声と熱気で昼間の空を掃き清めて満月の夜を待つ、そういう意味があった。だからこそアルハ神殿の長であるユージュが国王に並んで臨席しており、その後ろには同じく高位の神官たちが座っていた。


 セファイドは椅子の肘掛に肘をついて顎を乗せた。


「ユージュもこういったものは好きではないか」

「この場に立ち会うのは私の職務ですから、好きも嫌いもありません。ですが、血の臭いが好きなのはアルハ神ではないような気がします」

「神官長の発言としては問題だな。まあ、おまえの思っている通り、これは娯楽だよ。血の臭いが好きなのは神ではなく人間だ」


 侍従がやって来て銀の煙草盆を差し出すと、彼は煙管と刻み煙草を手に取った。


「国王の発言としても問題ですね」


 ユージュはセファイドを見て、膝の上で指を組んだ。


「会の間は喫煙はお控え下さい。これは神事ですよ」


 その左手の中指で不思議な黒い指輪がきらめく。

 彼は残念そうに、少しわざとらしく溜息をついて、火皿に煙草を詰めたばかりの煙管を盆に戻した。

 アノルトが弟たちと顔を見合わせて肩を竦めた。いつものことながら、ユージュは恐れのない物言いをする。


 やがて、広場の中央にシャルナグ将軍が現れた。

 礼装用の飾り鎧に身を包んだ彼は、テラスのセファイドとユージュに丁寧に一礼すると、アルハ神へ捧げるための闘技会の開催を宣言した。





 闘技会にはオドナス全軍から選抜された兵士の他、国内外から集まってきた腕自慢たちが参加した。

 前日までの予選である程度まで人数が絞られ、あとは勝ち抜き戦となる。弓矢や投げ槍などの飛び道具以外であれば武器は何を使用してもよく、どちらかが降参するか審判が勝敗を決するまで戦うことになっていた。


 正規軍の兵士にとって、当然この闘技会で勝つことは最高の名誉だ。武芸で一旗上げようと王都にやって来た者たちにとっては、自分の腕を高く買わせる格好の機会になる。また各国の王の推薦で参加する外国からの出場者も増えていた。


 四本の旗に囲まれた狭い闘技場で、出場者たちは本身の武器を手にして戦った。そのため怪我人が続出するのは毎年のことだった。

 もちろん殺し合いが目的ではないし、優秀な兵士を潰すのは軍にとっても損失なので、深手を負う前に審判は試合を止める。だが晴れ舞台の空気に血を滾らせた出場者たちは、傷を負いながらもなかなか戦いを止めようとしないのだった。


 今年もまた、選び抜かれた猛者たちが、神と国王の前で激しい戦いを繰り広げた。観客の声援の中、十六名の出場者が勝ち抜き戦を行う。

 今年は幸いにも大怪我をする者は出ず、最後まで勝ち上がったのは、北方警備軍所属の兵士だった。

 優勝者には国王より勲章と金一封が与えられた。金一封の方は駐留地の同僚に酒を振舞っておしまいになるだろうが、優勝者はこの先希望すれば王宮の近衛連隊に入隊することも可能だ。

 この闘技会での優勝は名誉だけでなく実益をも得られるのである。


 勝ち抜き戦が終わって一段落つくと観客には飲み物が振る舞われ、将校級以上の兵による展覧試合が行われるのが毎年の流れだったが、今年は少し趣向が変わっていた。


 教官の先導で闘技場に入ってきたのは、学舎に席を置く留学生八名だった。ナタレとフツの姿もある。全員が訓練用の木剣と革の盾を手にしている。


「国王陛下、神官長猊下、並びにお集まりの皆様に申し上げます」


 教官はセファイドのいる主賓席の前に進み出て言った。緊張と高揚の滲む声である。


「この者たちは、王都で学ぶ留学生の中で、特に剣術に優れた成績上位者です。また皆様ご存じの通り、各地の王族の子弟でもあります。本日の月神節に際しまして、この者たちの日頃の鍛錬の成果をお見せしたく、この場に参上いたしました」


 観客からどよめきが起こる。

 セファイドはテラスの下のシャルナグへ目をやった。


「おまえが言っていた目新しい演出とはこの事か?」

「左様でございます。陛下のお許しが頂ければ、展覧試合を行いたいと存じます」

「よかろう、面白そうだ」


 シャルナグは立ち上がって教官と留学生たちに告げた。


「陛下のお許しが出た。この神聖な闘技会に相応しく、またそれぞれの王族の名に恥じぬような試合を望むぞ」

「御意!」


 彼らが頭を垂れると拍手が巻き起こった。

 観客の中には国内各地のからの訪問客からも多い。選抜者の仲に同胞を見つけたらしい歓声がそこかしこで上がっていた。


 ロタセイ王はまだ来ない。ナタレは顔を伏せたまま眉根を寄せた。この選抜者の中で、彼は確実に最も強い。

 父上にぜひご覧頂きたかった――闘技場の脇で革の防具を身に着ける彼の表情は冴えなかったが、すぐに気を取り直して集中した。

 今はやるしかない。ここで無様な姿は見せられない。





「何であんな悲壮な顔をしているんだ、あいつは」


 椅子に浅く腰掛けて足を組んだセファイドは、ナタレの様子を見下ろして言う。


「かなり腕は立つはずなんだが」

「留学生の内輪での話でしょう。たかが数十名の集団の中でどれほど強かろうが、実戦で使い物になるかどうかは分かりませんよ」


 アノルトはあくまで冷淡だ。少し小馬鹿にした感じでもある。

 国王の横で、ユージュは小さく溜息をついた。


「いいご趣味ですね。あんな年端もいかない子供の……人質同士を戦わせて見物するなんて」


 その皮肉な言葉に、アノルトはやや鋭い眼差しを向ける。


「さすがに神官長猊下はお優しい。しかしユージュ殿、彼らとてオドナスで学び、衣食住の提供を受けている以上、この国の役に立ってもらわねばなりません」

「ごもっともです、殿下。それは私たちの一族も同じことですから」


 彼女はそれきり興味を失ったように口をつぐんだ。放浪の末オドナス王に拾われ、アルハ神官としてその庇護を受けている眷族の若き長は、どこか物憂げだった。


「ユージュたちは十分に役立っているよ、この国にとってな」


 セファイドの口調には、国教を纏める神官長の役職に対するそれよりも厚い信頼がこもっていた。


 闘技場では、留学生たちによる勝ち抜き戦が始まろうとしている。一回戦の出場者の名前と出身が読み上げられた。





 男たちが闘技会に興じている同じ時間、女たちは後宮にある広間に集まって茶会を開くのが月神節の恒例だった。

 王宮の女性の他に、礼拝に参加していた貴族の妻や娘たち、それに数は少ないが外国の使節団に同行した女性の役人もいる。厚手の絨毯を敷き詰めた豪奢な広間、その奥に座した正妃タルーシアを囲んで、五十人近い女性が茶会を楽しむのだった。


 当然のことながら、王都に残る唯一の王女リリンスも同席している。

 好奇心旺盛なリリンスは異国から来た女役人と話をしたかったのだが、やはり正妃が場の中心であり、彼女が出しゃばるのを許さない空気があった。

 きちんと正装したリリンスは上座に近いところに大人しく座って、輸入物の香り高い茶を啜っていた。彼女の舌にはまだ少し渋い。それよりも、広間中を忙しく動く女官たちの配る砂糖菓子の方が、王女の味覚には合っていた。


 茶の香り、女たちの香の匂い、衣擦れの音、菓子と果物の鮮やかな色合い――。


 リリンスは沈黙を保ったまま、正妃と他の側室たちと客人たちのやりとりを観察した。

 一見和やかな談笑のようで、彼女たちの言葉や態度の端々にタルーシアに対する遠慮と恐れと、少しの媚びが感じられた。陰で散々悪口を言っている若い愛妾たちですら、タルーシアを目の前にすると、愛想のよい笑顔を浮かべて精一杯の麗句を並べている。


 リリンスは内心笑ってしまった。愛妾たちを軽蔑しているわけではない。女主人に逆らってはここで生きてはいけないと理解しているのだ。

 正妃に喧嘩を売っても仕方がない。引っ張るのなら同等の愛妾の足だろう。


 お母様もそんなことは分かっているんだろうなあ――とリリンスは思う。

 分かっていて、周囲の遠慮も恐れも媚びも受け流しているのだろう。王族として生まれ皆に傅かれて暮す人間の、それは常識なのかもしれない。

 私はまだそんなふうにはなれない。遠慮されれば気を遣うし、恐れられれば反省するし、媚びを売られてもたぶん気づきもしないと思う。昨日の音楽会で兄様にも諭された。私は王女としての自覚に欠けるのかもしれない。


「……姫様も早く相応しい殿方とご結婚がお決まりになるとよろしいですわね」


 隣に座った貴族の夫人から話しかけられ、リリンスは我に返って曖昧に微笑んだ。


「お父様が……陛下がお決めになることですから」

「オドナス王女に釣り合うお方なんて、そうはいらっしゃいませんよ。どんな大国の王族でしょうね」

「きっと立派なお相手を見つけて下さいますわ」


 賛辞なのかやっかみなのか分からない、小鳥の囀りのような声を聞きながら、リリンスは笑顔を絶やさなかった。こういう話題の時は笑っておくに限る。


 冷酷に澄んだタルーシアの視線を感じる。リリンスが客人とどんな会話を交わすかどんな態度を取るか、それを見詰めている。

 リリンスは足先が冷たくなるような気がした。

 義理の母が自分に冷淡なことはよく分かっていた。自分は父が外に作った子供なのだから、正妻の義母が快く思わないのは当然だ。むしろ、王女として受け入れ申し分のない待遇を与えてくれていることに感謝をしている。

 だからこそリリンスには引け目があって、タルーシアの前では言いたいことの半分も口にできない。


 諦めに似た気持ち――いいのだ、私はいずれここを出てゆく。この国の役に立つために、父の意思に従っていずこかへ嫁ぐのだろう。


 広間にざわめきが起こった。異国の商人たちが入ってきたのだ。

 色鮮やかな絹の染物と金細工の装飾品が並べられ、女性たちが色めき立つ。正妃への献上品で、気に入ったら他の者たちにも買ってほしいということらしい。

 楽しげな笑い声とともに品定めが始まった。

 皆の視線と注意が広間の中央に集まったのを確認して、リリンスはそっとその場を離れた。





 広間から出て、リリンスは廊下の柱に凭れてほっと息をついた。

 人の大勢いる場所が嫌いなわけではない。貴族社会の社交辞令にももう慣れた。しかし――疲れた。

 降り注ぐ明るい日差しを全身に浴びていると、冷たくなった手足の先が温かくなってくる。生き返ったようだ。


 中庭の方から、青空に相応しい歓声が聞こえてきた。広間に響くさざ波のような女のざわめきとは対照的な、野太い男の笑い声だ。


 ちょっと覗くだけならバレないかな――衣装の裾をたくし上げて回廊を駆け出したリリンスは、昨日兄に咎められたことなどもう忘れている。

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