謁見
紅玉の月に行われる月神節はオドナス王国の建国祭である。
伝説によると、今から四百二十五年前の満月の晩にアルハ神の涙から砂の大地に湖が生まれ、人が集って国ができたとされる。
その日を祝いアルハ神に感謝するのが月神節で、正確には満月の一日のみを指し、その前後に一日ずつ足した計三日間の祝祭をまとめて建国祭と呼ぶ。
現王セファイドの元でオドナスが大国となって後は、年々盛大に執り行われるようになっていた。
砂漠の各地から、支配下に置かれた属国の王族やその使者たちが祝いの献上品を携えて王都に集う。国外からも交流のある国々の使節団が遥々と砂の大地を越えてくる。
また彼らを目当てに国内外の商人たちも競うように集まってくるので、王都は祭りの期間とその前後、たいへんな賑わいを見せるのだった。
建国祭と並ぶもうひとつの大祭である新年祭が、行政機関や商業施設が休業となり、ただ祈りの声で都が包まれる静謐なものであるのとは対照的だ。
新年祭は都中が仕事を休んで家族と過ごす内向きの祭り、建国祭はオドナスの繁栄を国外に知らしめ国内の結束を固める外向きの祭りなのだった。
祭りの始まる十日ほど前から、王宮を訪れる国内外の客は増え始め、国王侍従たちは謁見希望者の整理と時間調整に追われた。
どこの国からどれだけの人数が訪れるかは事前に知らせを受けているものの、広大な砂漠を越えて旅をしてくるわけだから到着の日時までははっきり分からず、その日ごとに来客の対応をして国王の予定を組む。また他の大臣や貴族と面会を望む客がいれば担当の役人に話を回す。
「とにかく客は丁重にもてなすこと。あとは適当でいい」
というセファイドからの実に大雑把な命令があったので、毎年建国祭のこの時期、侍従たちは来客の名簿を抱えて宮殿中を駆けずり回ることになっていた。
もちろんセファイド本人も多忙を極める。増え続ける謁見希望に執務時間が圧迫され、しかも祭りの三日間は完全に王宮内の通常業務が止まる。前倒しで急ぎの仕事を片付けなければならず、ここ数日はまともに睡眠を取れていない状態だった。
ナタレも、見習いとはいえ終日王宮に駆り出されて働き詰めだった。
忙しいが仕事をするのは好きだったから、祭りで賑わう都で遊ぶ他の留学生たちを羨ましく思う気持ちはなかったが――。
「ジブンとこ、親父さんとか来ぃへんの?」
朝、学舎を出て仕事に向かおうとするナタレに、廊下でフツがそう話しかけた。
今起きたばかりらしいフツの眠たげな顔に、ナタレは苦笑する。しかも酒臭い。学舎の講義が休みなのをいいことに、昨夜も遅くまで飲み歩いていたのだろう。
「ああ、父上が直々に来る。近くに着いたら先に伝令が送られてくると思うんだが、少し遅れているのかもしれないな」
「そうかあ、よかったやん。一年以上会うてないんやろ?」
ナタレは素直に肯いた。
昨年の建国祭は、ナタレの故郷であるロタセイがオドナスとの戦争に敗れて支配下に入り、ナタレが都に送られた直後だったので、ロタセイ王が来られるような状況ではなかった。つまりナタレの父ロタセイ王にとっては、初めてのオドナス王への謁見であり、一年ぶりの息子との再会になるのだった。
ロタセイの誇り高く厳しい伝統を背負った父のことだ、いくら自治が認められているとはいえ国王に頭を下げるのは忸怩たる思いだろう。せめて元気な自分の姿を見て少しでも安心してもらえれば――そうナタレは考えていた。
フツは目を擦って笑った。
「おまえがえらい出世しとるって知ったら親父さん喜ぶで」
「出世……とは言わないと思うけど、何度か手紙を書いた」
ナタレが国王侍従見習いに取り立てられたことはすでに知らせてあった。
手紙は当然オドナスの役人に検閲されているはずだからごく簡単な報告しか書けなかったが、約二ヶ月の後に届いた父からの返信にはやはり簡単な文章で「ロタセイの王太子に相応しい働きを期待している」旨が書かれていた。
「父も喜んでくれてるみたいだ」
「じゃ今日も仕事頑張らんとな! 祭り本番には休みもらえるんか?」
「さあ、どうだろう」
「たまにはつき合えや。いろいろおもろい店見つけてん」
「おまえのお気楽さ、尊敬するよほんとに」
呆れてはいるが嫌味のない口調で言い捨てて、ナタレは学舎を出た。
途中、何人もの留学生が声をかけてきて、彼は軽く返事をしながら歩いてゆく。愛想がよいとは言えないまでも、このところナタレの態度はずいぶん柔らかくなって、友人と呼べる者もできた。
あれでもうちょっと息抜きを覚えたらええ感じやのになあ――フツは学友の姿勢のよい後ろ姿を見送りつつ、絶対に遊びに連れ出すと心に決めた。
建国祭が始まると、王都はこれまで以上の喧騒に包まれた。
都の広場も通りも人口密度が普段の倍くらいになって、宿屋は軒並み満室。あぶれた者は路上で寝泊りをするので、彼らに食事と毛布を提供する商売を期間限定で行うオドナス商人もいた。
国内外各地から運ばれた珍しい物品が露天に並び、客寄せの忙しない声が飛び交う中、肌の色も顔立ちも身に着けた衣装も様々な人々が、物珍しげな表情で都を闊歩する。外国の商人の大口買い付けから、子供が握り締めた小遣いの銅貨まで、祭りの三日間で莫大な金額が王都を流通するのだった。
通りのそこかしこで音楽が流れ、各地からやって来た旅芸人たちが歌や踊りで人を集めている。彼らにとってもこの祭りは一年でいちばんの掻き入れ時であり、有力な雇い主を見つける絶好の機会なのだった。
そして彼ら国中の歌手、楽師、舞踊家が憧れる舞台もまた、この建国祭にあった。
すなわち、アルサイ湖畔で行われる、国王主催の音楽会である。
おまえはとにかく陛下に張りついておけ、という侍従長エンバスからの指示に従い、祭りが始まってからずっとセファイドに付き従っていた。
見習いの少年に祭り当日の複雑な業務はまだ務まらず、主人の傍に控えて細かな雑用をこなすしかない。実際、目端が利いて動きの俊敏なナタレは先輩の侍従たちに重宝されていたし、ナタレ自身にとっても謁見の場に立ち会うことはいろいろな意味で勉強になった。
「次はマヤトー王国使節団十一名です。国王タンダ四世陛下のご名代として、ご令弟コエット侯爵。この後、交易大臣とご会談の予定です」
面会の順番は当日の朝に決まる。謁見を終えた来客が謁見室を出ると、ナタレは名簿に沿って次の客の資料をセファイドに手渡した。
セファイドは資料をちらりと見るだけで肯く。それを合図に担当の役人が客を呼び出して部屋に通すという流れになっていた。
「セファイド陛下におかれましては益々ご健勝の事とお喜び申し上げます。本日は我がマヤトー国王タンダ四世よりオドナス王国ご建国四百二十五年のお祝いをお伝えに参りました。オドナスのご繁栄はマヤトー国王と国民にとっても大きな悦びでございます」
十人の使者を率いた侯爵は国王の前に跪いて、そう口上を述べる。
マヤトーはオドナスの北西に国境を接しており、激しい戦争の末、オドナスと和平協定を結んだ国である。セファイドが即位して最初の戦だった。
セファイドは肯いて、
「ご丁寧な挨拶傷み入る、コエット侯爵。陛下はお達者か?」
「はい、今年で御歳六十歳になられますが、呆れるほどお元気で」
「そうか、調印式以来お会いしていないが、ぜひまた酒でも酌み交わしたいと伝えてくれ。そういえば、昨年は南部の大豆がたいへんな不作だったと聞くが」
「公にはしておりませんでしたが、さすがは……いえ、はい仰せの通りでございます。備蓄分を放出しても今年は輸入量を増さざるを得ない状態です。陛下のお許しが頂けましたら、貴国の交易局長様とご面会をさせて頂きたく存じます」
「うん、そういうことならオドナスも通行税の面で配慮させてもらおう。交易局長だけでなく農務大臣とも会っていくといい。収穫量を増やす技術協力ができればよいのだが」
「も、勿体ないお言葉でございます。マヤトー国王に代わり、心よりお礼を申し上げます」
マヤトー大使コエット侯爵、農務大臣とご会談希望、陛下よりご推奨――ナタレは手にした紙にそう走り書きをする。
もちろん公式の記録は後ろに控えた書記が詳細に書き留めているが、謁見の場で急遽決まった事柄については、先に別室の侍従長に伝えなければならない。また面会の段取りを組まなくてはならず、担当の役人は慌てるだろうが。
それにしても――と、とナタレはセファイドと客とのやり取りを間近で眺めながら感心していた。訪れる使節団は国内外を併せて百を超えるにも関わらず、国王の頭の中にはそれらすべての国の情報が整理されて入っているようだった。
直前に資料を一瞥しただけで、どの国の使者とも淀みなく会話する。質問は的確で、回答は外さない。
使者の側からすれば会談が円滑に進んでありがたいだろうが、同時に脅威の念も抱いているはずだ。自国の現状が、オドナスにここまで把握されている。
それでいてセファイドの物腰や口調には嫌味なところが微塵もないから不思議だ。時に尊大ではあるが決して相手を見下した態度は取らない。征服して領土に加えた国の使者に対しても同じだった。
これは君主としての戦略というより彼自身の性格なのかもしれない、などとナタレは最近そう感じるようになった。
故郷が、ロタセイが支配されることは今でも到底受け入れられないが、ではこの男を憎んでいるのかと訊かれたらそれは違うような気がする。むしろ、オドナスを広大な国に育て治める手腕を尊敬し、学びたいと望むようになった――そこに思い至る度、ナタレは何とも言えない罪悪感を抱くのだった。
これでは属国から留学生を集めるオドナスの思惑通りではないか。
「午前中の客はこれで終わりか」
セファイドに声をかけられて、ナタレは我に返った。慌てて手元の名簿を捲って、
「はい、ご昼食の後、午後の謁見は三団体のみです。夕刻より音楽会にご臨席頂くようになっております」
「そうだったな」
セファイドは椅子に座ったまま首と肩を回した。小さく骨の鳴る音がする。
「ロタセイ王はまだお見えにならないようだ」
ナタレの手が止まった。謁見予定者の名簿の中には、確かに彼の国と父親の名前が入っている。
「はい……到着が遅れているようで申し訳ありません」
「無理もない、ロタセイの地は遠い。それに今年は砂嵐が多いと聞く。道中ご無事だとよいが……一年ぶりの息子との対面を心待ちになさっているだろうに」
セファイドの気遣いは本心から出たもののようだった。彼もまた、普段遠く離れた地に子を持つ父親である。
どんな顔をすればよいのか分からないでいるナタレに、
「ロタセイ王ザルト殿の人となりはシャルナグから聞いてはいるが、おまえの父王がどんなお方か、俺もぜひお会いしたいと思っているのだ」
と屈託なく笑いかける。
いつものことながら、この男の明るさは何なのだ――セファイドの揺るぎない快活さを目の当たりにする度、ナタレは妙な居心地の悪さを感じる。生まれてこのかた日陰を歩んだことがない者の余裕という奴なのだろうか。だとすれば自分とはあまりに違う――。
「お父様! もうよろしいですか?」
甲高い声とともに、鮮やかな色彩が謁見室に飛び込んできた。
こんなに勢いよく国王の前に登場する人物は他にいない。末の王女のリリンスである。彼女は祭り用に新調した薄紅色の衣装をなびかせながら、早足に父王の席に歩み寄った。ここまで駆けて来たのか、頬が少し紅潮している。
「おおリリンス、新しい衣装がよく似合うではないか」
「ありがとうございます。それよりお父様、もう午前中のお仕事は終わったのでしょう? ナタレを貸して下さる約束よ」
「え」
思わず声を上げたナタレの前で、セファイドは椅子から立ち上がった。愛娘の頭を撫でながら、
「もちろん覚えているさ。ナタレを音楽会に連れて行くんだろう。ナタレ、午後からの謁見は外していいから、リリンスの供をしてやってくれ」
「わ、私がですか?」
「王宮から出て、月神節の雰囲気を見ておくのも勉強だ――少しは息抜きをしてきなさい。まあ、これが一緒だと余計に疲れるかもしれんがな」
リリンスが何か反論しようとする前に、後で迎えに行かせるから部屋で待っていろと、セファイドは彼女を退出させた。
出口のところでリリンスは振り返り、輝くように純真な笑顔をナタレに見せた。
呆気に取られた後、嬉しいような気の抜けたような複雑な気分になったナタレに、セファイドは苦笑交じりの父親の表情を見せる。
「すまんな、我儘に付き合わせて」
「いえ決してそのようなことは……ですが、私などが姫様のお供を務めてよろしいのでしょうか?」
「悪いところは遠慮なく嗜めてやってくれ。リリンスはおまえを気に入っているようだ」
それから、ほとんど独り言のような小さな低い声で、言う。
「……それにしてもあの子は母親に似てきた」