第五章 血の精算
小章① 地獄の底で
銃声が鼓膜を打つと同時に、葛城は獣のように床を蹴った。 回転しながら宙を舞う懐中電灯が、敵の目を一瞬だけ奪う。そのコンマ数秒の隙を突いて、葛城は先頭の男の懐に飛び込んだ。 男の腕を掴み、銃口を天井へ向けさせる。マズルフラッシュが闇を切り裂く中、葛城は男の顎を掌底で打ち抜き、そのまま身体を盾にして二人目の男へと突進した。
「撃つな! 味方に当たる!」
佐久間が叫ぶ。 狭い地下倉庫での銃撃戦は、彼らにとってもリスクが高かった。跳弾がどこへ飛ぶか分からないからだ。 氷室はその混乱を見逃さなかった。 彼は素早く身を低くし、棚の陰に滑り込んだ。そして、内ポケットから愛用の小型拳銃『ワルサーPPK』を取り出す。普段はハッタリのための飾りだが、今日ばかりは実用品だ。
葛城が奪ったサブマシンガンで制圧射撃を開始する。 乾いた破裂音が連続し、武装集団の一人が膝から崩れ落ちた。 残りの男たちは散開し、木箱の陰に隠れる。 一瞬の静寂。 闇の中で、互いの荒い息遣いだけが聞こえる。火薬と血の混じった鉄錆の匂いが充満していた。
「無駄な抵抗はやめろ、氷室!」
佐久間の声が響く。余裕を装っているが、その声は震えていた。
「ここは地下二階だ。逃げ場はない。大人しくファイルを渡せば、命だけは助けてやる」
「嘘をつけ。秘密を知った人間を生かしておくほど、あんたのボスは甘くないだろう?」
氷室は棚の隙間から狙いを定め、引き金を引いた。 弾丸は佐久間の足元のコンクリートを削り、火花を散らす。 佐久間が悲鳴を上げて物陰に這って逃げる。
「葛城、出口は?」
氷室が小声で尋ねる。
「制圧されている。正面突破は自殺行為だ」
「なら、搦め手だ。……あの配電盤が見えるか?」
氷室が顎で示した先には、入り口脇の壁に埋め込まれた古い配電盤があった。 葛城はニヤリと笑った。
「了解だ。……耳を塞げよ」
葛城は奪った銃のマガジンを確認し、配電盤に向けてフルオートで連射した。 火花が激しく爆ぜ、地下倉庫の照明が一斉に落ちる。 完全な闇。 暗視ゴーグルを持たない敵たちはパニックに陥った。「ライトだ! ライトをつけろ!」と怒号が飛び交う。 その隙に、氷室と葛城は動き出した。 葛城がマズルフラッシュを囮に敵の注意を引きつけている間に、氷室は金庫の中身――「大黒ファイル」とノート――を防水バッグに詰め込む。そして、部屋の奥にある通気口のカバーを蹴り外した。
「行くぞ!」
二人は埃まみれの通気ダクトの中へと滑り込んだ。 背後で銃弾がダクトの入り口を叩く金属音が響くが、狭く曲がりくねったダクトの中までは追ってこれない。 油とネズミの死骸の匂いがするダクトを這い進む。出口はどこだ? 氷室はかつて見た百貨店の図面を必死に脳内で展開した。このダクトは、地上駐車場の排気塔に繋がっているはずだ。
十分後。 二人は泥まみれになって、夜の駐車場に這い出した。 冷たい雨が、火照った体に心地よい。 だが、安堵している暇はなかった。駐車場の入り口には、すでに佐久間の部下たちが車で回り込んできていた。ヘッドライトの光が雨を切り裂いて迫ってくる。
「しつこい連中だ」
氷室は近くに停まっていた、百貨店の配送用軽トラックのドアをこじ開けた。ダッシュボード下の配線を引き出し、エンジンを直結させる。 葛城が荷台に飛び乗る。
「しっかり捕まってろよ!」
氷室はアクセルを床まで踏み込んだ。 軽トラックはタイヤを鳴らして急発進し、封鎖しようとする黒塗りの車列の隙間を強引に突破した。 サイドミラーの中で、佐久間が悔しそうに地団駄を踏み、何かを叫んでいるのが見えた。
小章② 亡霊の行方
翌朝。 氷室たちは、東京へ戻る高速道路の上にいた。 追っ手は振り切った。携帯電話も位置情報を切っている。だが、本当の戦いはこれからだ。 氷室は助手席で、手に入れた「大黒ファイル」を検めていた。 改めて見ると、その内容は爆発的だった。戦後のドサクサに紛れて行われた、日米双方による公的資金の横領、麻薬取引、そして政治工作。 その資金の一部が、現在の『二ブス・インベストメント』の設立資金となり、また一部は民自党の結党資金となっていた。 これは単なるスキャンダルではない。戦後日本の歴史そのものをひっくり返す「爆弾」だ。
「どうするんだ、それ」
葛城がハンドルを握りながら尋ねた。その横顔には疲労の色が見えるが、目は鋭いままだ。
「神宮寺に売りつけるか? それともマスコミにばら撒くか?」
「マスコミに出せば、俺たちは消される。神宮寺に売っても、口封じに遭うのがオチだ。奴らは権力そのものだからな」
氷室はファイルを閉じた。
「もっと良い使い道がある。……毒を以て毒を制す、だ」
氷室は携帯電話を取り出し、ある番号にかけた。 相手は、佐久間ではない。 『二ブス・インベストメント』の米国本社、リスク管理部門担当上級副社長の直通番号だ。M&Aアドバイザーとしての独自の情報網で手に入れた、緊急ホットラインだ。
『……Yes?』
数回のコールの後、冷徹な女性の声が響く。
「初めまして。私は氷室透。あなた方が日本で必死に探している『遺失物』を保護した者です」
電話の向こうで息を呑む気配がした。
「単刀直入に言いましょう。佐久間弁護士は解雇した方がいい。彼は無能だ。あんな派手な銃撃戦をやって、日本の警察の関心を引いてしまった」
『……要求は?』
声のトーンが変わった。ビジネスのトーンだ。
「取引です。このファイルの原本は、あなた方に差し上げます。コピーは取りません。その代わり、以下の条件を飲んでいただきたい」
氷室は条件を並べた。 一つ、赤城中央百貨店の買収は白紙撤回すること。 二つ、佐久間とその一味を始末すること。我々に手を出させないこと。 そして三つ……。
「私個人への成功報酬として、50億円。指定のケイマン諸島のオフショア口座に、ビットコインで振り込んでください」
『……50億(Fitty billion yen)? ふざけているの?』
「安いものでしょう? あなた方の過去の汚点が、永遠に闇に葬られるのですから。もし断れば、このファイルは一時間後にニューヨーク・タイムズとワシントン・ポスト、そしてCIAに送信されます。CIAもあなた方の『隠し資産』には興味があるでしょうからね」
長い沈黙。 電波越しに、巨大な組織が軋む音が聞こえるようだった。 そして、短い返答があった。
『……Deal(取引成立よ)』
氷室は電話を切った。 勝った。 暴力ではなく、情報という武器で、巨大な国家権力と資本をねじ伏せたのだ。




