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経済ノワール小説『血の配当』  作者: 如月妙美


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第四章 黒い帳簿

小章① 最後の取引

 その日の夕方。  氷室は再び、赤城中央百貨店の社長室にいた。  大黒重蔵は、昨日よりもさらに老け込んだように見えた。デスクの上には、東雲興業からの撤退を知らせる書類が置かれている。

「……あんたが、ヤクザを追い払ったというのは本当か」

 重蔵は、信じられないものを見る目で氷室を見ていた。

「ええ。少々手荒な真似をしましたが。これで当面、彼らがここを襲撃することはありません」

 氷室は淡々と言った。

「ですが、根本的な解決にはなっていませんよ、大黒社長。東雲のバックには大物政治家がいる。彼らは手段を選ばない。次は放火か、あるいはあなた自身の暗殺か」

 重蔵の顔が引きつった。

「わ、ワシを殺すだと……?」

「地下の『大黒ファイル』。それが存在する限り、あなたは狙われ続ける。呪いからは逃れられないんです」

 氷室は身を乗り出した。

「社長。あなたがこの百貨店を守りたかったのは、父親の罪を隠すためだった。違いますか? 百貨店という『城』で地下室を塞ぎ、世間の目から隠し通そうとした」

 重蔵は震える手で顔を覆った。

「……親父は、言っていた。『これは毒だ。だが、使い方によっては薬にもなる。いつか大黒家が危機に陥った時、この毒が盾になる』と」

「その通りになりましたね。ですが、今の毒は強すぎる。盾にするには重すぎるんです」

 氷室は、懐から小切手帳を取り出した。

「三十億円。これで会社を売り、従業員の退職金を確保し、あなたは引退する。そして地下の『毒』は、私が責任を持って処分します。……これが、あなたと、あなたのお父さんが呪縛から解放される唯一の道です」

 重蔵は長い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。  その目には、涙が浮かんでいた。

「……疲れたよ。もう、疲れた」

 彼はデスクの引き出しを開け、古びた真鍮製の鍵を取り出した。  複雑な形状をした、旧式の鍵だ。

「第3倉庫の鍵だ。……持っていけ。ただし、中身を見たら、あんたも呪われるぞ」

「覚悟の上です」

 氷室は鍵を受け取った。  冷たく、重い金属の感触。これが、昭和の亡霊の心臓部へ続く鍵だ。


小章② 開かれたパンドラの箱

 深夜、午前二時。  百貨店は静寂に包まれていた。  氷室と葛城は、地下二階の業務用通路を歩いていた。手には懐中電灯、そして重蔵から受け取った鍵。  警備員はいなかった。氷室が重蔵に事前に手を回し、この時間帯の警備員の巡回を外させていたのだ。

 赤錆びた鉄の扉の前に立つ。  南京錠に鍵を差し込む。カチリ、と重い音がして、錠が外れた。  錆びた蝶番が悲鳴のような音を立てて、扉が開く。

 カビと、埃と、そして古い紙の匂いが鼻をついた。  氷室は懐中電灯の光を中に向けた。

 そこは、意外なほど狭い空間だった。  コンクリートの壁に囲まれた十畳ほどの部屋。  中央に、木製の棚が置かれている。そこには、数え切れないほどの桐箱が積み上げられていた。

「金塊じゃなさそうだな」

 葛城が呟いた。  氷室は棚に近づき、一つの桐箱を開けた。  中には、変色した和紙の束が入っていた。筆書きで、数字と人名がびっしりと記されている。

『昭和二十一年一月 毛布五千枚 ○○議員へ譲渡 代金弐拾万円』 『昭和二十二年三月 工業用ダイヤモンド ××組へ 代金伍拾万円』

 ページをめくるたびに、日本の戦後史を裏で操ってきた大物たちの名前が現れる。  政治家、財閥の総帥、右翼の大物、暴力団の組長。  彼らがGHQの物資を横流しし、巨万の富を築き上げた記録。そしてその金が、現代の政党や巨大企業の設立資金となっていた証拠。  まさに、日本経済の「原罪」がここにあった。

「……とんでもないシロモノだ。これが表に出れば、政権どころか、日本の体制そのものがひっくり返る」

 氷室は戦慄した。  佐久間のクライアントが三十億出したのも頷ける。これは核兵器に等しい。

「おい、氷室。あれを見ろ」

 葛城が部屋の隅を照らした。  そこには、古びた金庫があった。ダイヤル式ではなく、鍵穴だけのシンプルなものだ。  重蔵から預かった鍵束の中に、小さな鍵があった。  氷室はそれを差し込み、回した。

 金庫の中には、一冊の革表紙のノートが入っていた。  表紙には『遺言』と書かれている。  大黒義一の筆跡だ。

 氷室はノートを開いた。  そこには、帳簿の数字よりもさらに衝撃的な、ある「事実」が記されていた。

『私ハ 帝都物産ノ命令ニヨリ 物資ヲ隠匿シタ  シカシ ソノ指令ヲ出シタノハ 日本人デハナイ  GHQノ ある将校ダ』

 将校の名前が記されていた。  そして、その将校が戦後、アメリカで設立した投資ファンドの名前も。

 『二ブス・インベストメント』。

 氷室の手が止まった。  二ブス・インベストメント。  それは、今回、佐久間を通じて氷室に買収を依頼してきた、正体不明のクライアントの親会社だった。

「……ハメられた」

 氷室は呟いた。  佐久間のバックにいるのは、日本の対立派閥などではない。  アメリカだ。  彼らは、かつて自分たちが日本で行った汚れ仕事を隠蔽するために、この「大黒ファイル」を回収しようとしているのだ。神宮寺などの日本の政治家を失脚させるためではなく、自分たちの過去を消すために。

 その時、背後の通路から、複数の足音が聞こえた。  カツ、カツ、カツ。  革靴の音。隠そうともしない、自身に満ちた足音。

「ご苦労だったな、死神さん」

 入り口に、佐久間が立っていた。  その背後には、武装した外国人の男たちが五人、サイレンサー付きの銃を構えていた。

「佐久間……あんた、最初からこれを狙っていたのか」

「ああ。日本人の政治闘争なんて小さな話じゃない。これは国際問題なんだよ」

 佐久間は冷酷に笑った。

「そのノートと帳簿を渡してもらおうか。……そして、ここで永遠に眠ってもらう」

 氷室は葛城と目配せをした。  逃げ場はない。  地下二階の閉鎖空間。完全な袋の鼠だ。

 だが、氷室の唇が歪んだ。  恐怖ではない。歓喜の笑みだ。  最高だ。これこそが、俺が求めていたギリギリの遊戯ゲームだ。

「葛城。……給料分は働けよ」

「追加料金を請求するぞ」

 葛城が懐中電灯を放り投げた。  光が回転し、闇と影が交錯する。  同時に、銃声が地下倉庫に轟いた。


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