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経済ノワール小説『血の配当』  作者: 如月妙美


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第三章 獣たちの論理

小章① 強襲

 翌朝、午前九時。  赤城市の歓楽街の端に位置する、東雲興業の事務所。  コンクリート打ちっぱなしの三階建てビルは、元々金融業者の自社ビルだったものを居抜きで使っているらしい。窓には鉄格子が嵌められ、入り口には監視カメラが三台、異様な威圧感で通りを見下ろしていた。

 一台の配送トラックが、ビルの正面玄関に猛スピードで突っ込んだ。  轟音と共に強化ガラスのドアが粉砕され、金属フレームがひしゃげる。  土煙が舞う中、運転席から降り立ったのは葛城だった。彼は作業着姿で、手には太い鉄パイプを握っている。  続いて、助手席から氷室が降りた。こちらはいつも通りのスーツ姿だ。手にはアタッシュケース。その場違いな装いが、逆に狂気を際立たせていた。

「な、なんだ!?」 「カチ込みだ! やっちまえ!」

 事務所の中から、怒号と共に数人の構成員が飛び出してきた。  葛城は無言のまま、先頭の男の顎を鉄パイプで正確に打ち抜いた。男は悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちる。  二人目の男がドスを抜いて襲いかかるが、葛城は最小限の動きでかわし、相手の手首を掴んでねじり上げた。骨の折れる乾いた音が響く。  元傭兵の戦闘術は、喧嘩慣れしただけのチンピラとは次元が違った。無駄がなく、感情がなく、ただ「障害を排除する」という機械的な冷徹さがあった。

 氷室は、暴力の嵐の中を、汚泥を避けるように優雅に歩いた。  一階の応接スペースを抜け、奥の事務所へ。  そこには、昨日の社長室で睨みを利かせていた刀傷の男――東雲興業の若頭、鮫島さめじまがいた。彼は拳銃を構えようとしていたが、遅かった。  葛城が投げた鉄パイプが、鮫島の右手を直撃し、拳銃が床に滑る。

「貴様ら……どこの組のモンだ」

 鮫島は右手を抑えながら、脂汗を流して氷室を睨んだ。

「M&Aアドバイザーだと言ったはずだ」

 氷室は鮫島の前のソファーに腰を下ろし、足を組んだ。  アタッシュケースを開ける。中には札束……ではなく、一枚の書類が入っていた。

「鮫島さん。あなた方が買い集めた赤城中央百貨店の債権、額面にして三億円分。これを私が買い取りたい」

「あぁ? 寝言言ってんじゃねえぞ。俺たちは金が欲しいんじゃねえ。あの土地と、地下の……」

「地下の『何か』が目当てか」

 氷室は冷ややかに遮った。  彼は懐からジッポーライターを取り出し、カチリと火をつけた。

「だが、あんたのバックにいる『飼い主』は、あんたがここでヘマをして、警察沙汰になることを望んでいないはずだ。違うか?」

 鮫島の表情が凍りついた。  図星だ。東雲興業はただの尖兵に過ぎない。彼らを動かしている黒幕がいる。

「この火事で、この事務所から『ある証拠』が見つかったら困るだろうな。例えば、政治資金規正法違反の裏帳簿とか、特定危険指定暴力団との交際履歴とか」

 氷室はライターの火を、事務所の机の上に積まれた書類の山に近づけた。

「……待て」

 鮫島が呻いた。  暴力で押し切れる相手ではないと悟ったのだ。このインテリ風の男は、自分たちよりも遥かにタチの悪い「獣」だ。

「買い取るなら、倍の六億だ」

「額面通り三億だ。それと、あんたらの『飼い主』の名前を教えろ。そうすれば、これ以上の手出しはしない」

 鮫島は葛城を見上げ、次に氷室を見た。  選択肢はなかった。

「……民自党の、大物代議士だ。名前は言えねえが、イニシャルは『K』だ」

 K。  氷室の脳裏に、一人の政治家の顔が浮かんだ。  建設族のドンであり、戦後のフィクサーを祖父に持つ男、神宮寺じんぐうじ

「なるほど。筋は読めた」

 氷室はライターの蓋を閉じた。

「商談成立だ。債権譲渡契約書にサインしろ」


小章② 蜘蛛の糸

 東雲興業を出た氷室は、車中で佐久間に電話をかけた。

「東雲は抑えた。彼らが持っていた債権は私が買い取った」

『……ほう。仕事が早いな』

 電話の向こうの佐久間の声には、驚きよりも警戒の色が混じっていた。

「だが、面白い話を聞いたぞ。彼らのバックには神宮寺がいる。あんたのクライアントも、もしかして同じ穴のムジナか?」

『詮索は無用だと言ったはずだ、氷室さん』

 佐久間の声が低くなる。

「いや、必要な情報だ。神宮寺が狙っているということは、あの地下倉庫にあるのは金目の物じゃない。政治生命に関わる『爆弾』だ。……大黒義一が隠した『重要書類』。それは、戦後の保守合同や、M資金に関わる機密文書なんじゃないか?」

 沈黙。  それが肯定だった。

『……いいだろう。半分は正解だ』

 佐久間は観念したように言った。

『地下にあるのは、通称「大黒ファイル」。戦後の混乱期、GHQの物資横流しに関与した政治家や官僚、そして財界人のリストと、その金の流れを記した裏帳簿だ。神宮寺の祖父も、そのリストの筆頭にいる』

「なるほど。神宮寺は、自分の家系の汚点を消すために倉庫を狙っているわけか」

『そして、私のクライアントは、そのリストを使って神宮寺を失脚させ、政界の主導権を握ろうとしている対立派閥だ』

 百貨店の買収劇の裏にあったのは、ドロドロとした政争だった。  三十億円という金額も、政権を奪取するための必要経費と考えれば安いものだ。

「話が見えてきた。つまり、大黒重蔵は、その『爆弾』の上に座って、七十年間も亡霊に怯え続けてきたわけだ」

『その通りだ。だが、時間がない。神宮寺側が強硬手段に出る前に、倉庫の中身を確保しなければならない。……氷室さん、あんたに期待しているのは、大黒重蔵の説得だ。暴力団を追い払った今なら、彼はあんたを信用するかもしれない』

「信用、ね。……やってみよう」

 氷室は電話を切った。  ジャガーのフロントガラスは修理済みだが、車内にはまだ微かに生臭い血の匂いが残っている気がした。


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