表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
経済ノワール小説『血の配当』  作者: 如月妙美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/6

第二章 昭和の亡霊

小章① 血の警告

 東京に戻った氷室を待っていたのは、無言の脅迫だった。  翌朝、マンションの地下駐車場に停めてあったジャガーのフロントガラスが、粉々に砕かれていたのだ。  座席には、血の滴るような生の豚の首が置かれ、その口には一枚のメッセージカードがくわえさせられていた。

『赤城から手を引け』

 古典的だが、効果的な警告だ。  だが、氷室は眉一つ動かさなかった。むしろ、口元に冷笑を浮かべた。  これで確信した。あの百貨店には、暴力を使ってでも守りたい、あるいは奪いたい「何か」がある。そして、ライバルたちは既に実力行使に出ている。

 氷室は警察には通報せず、馴染みの自動車修理工場に連絡を入れた後、タクシーで調査会社へと向かった。  雑居ビルの一室にある調査会社『リサーチ&ワークス』。所長の田村は、元公安警察の刑事だ。

「派手にやられたな、氷室さん」

 田村はコーヒーを出しながら苦笑した。

「東雲興業について洗ってみたぞ。予想通りだ。広域暴力団・相良組の三次団体。表向きは産廃業者だが、実態は地上げとゆすりの専門部隊だ。最近、北関東を中心に強引な手口で不動産を買い漁っている」

「やはりな。あの社長室にいた連中は、東雲の人間か」

「ああ。奴らは赤城中央百貨店の債権の一部を、サービサー(債権回収会社)から二束三文で買い取っている。それをネタに、大黒社長に経営権の譲渡を迫っているようだ」

「なるほど。債権者として乗り込んで、会社を乗っ取る気か」

 氷室はコーヒーを啜った。  東雲興業の狙いも、おそらく地下倉庫だろう。三十億円のオファーを蹴ってまで社長が守ろうとし、ヤクザが群がる地下室。

「土地の登記については?」

 田村は一枚の古びたコピーをテーブルに置いた。

「これが面白いんだ。あの百貨店が建つ前、そこには大きな屋敷があった。所有者は『帝都物産』。戦時中、軍需物資を扱っていた商社だ」

「軍需物資……」

「そして、昭和二十一年。帝都物産の赤城支店長だった男が、その屋敷の地下で変死体となって発見された。死因は青酸カリによる服毒自殺と処理されたが、当時、彼の周りから大量の金塊と重要書類が消えたという噂があった」

 田村は声を潜めた。

「その支店長の名前は、大黒 義一よしかず。……現在の大黒重蔵社長の父親だ」

 点と線が繋がった。  戦後の混乱期。軍需物資を横領し、隠匿した支店長。そしてその息子が建てた百貨店。地下倉庫は、かつての屋敷の地下室をそのまま利用している可能性が高い。  そこに眠っているのは、消えた金塊か?  いや、それだけなら佐久間のようなブローカーが動く理由にはなるが、三十億という金額は大きすぎる。金塊以上の価値を持つ、あるいは危険な「何か」があるはずだ。

「田村さん、もう一つ頼みたい。大黒義一が隠し持っていたとされる『重要書類』についてだ。それが何だったのか、当時の関係者を当たれるか?」

「七十年前の話だぞ? 生き証人なんているかどうか……」

「頼む。金は弾む」

 氷室はその場で百万円の束を置いた。  田村はため息をつきながらも、札束を懐に入れた。

「分かったよ。古巣の公安の資料庫も漁ってみる」


小章② 毒を制す毒

 その夜、氷室は再び赤城市へと向かった。  今度は一人ではない。ボディーガードとして、元傭兵の男・葛城かつらぎを雇った。無口だが、腕は確かな男だ。

 夜の赤城市は、昼間以上に死の気配が濃かった。  氷室たちは、大黒重蔵の自宅を見張っていた。市内の高級住宅街にある、塀の高い屋敷だ。  午後八時。一台の黒塗りのハイヤーが屋敷から出てきた。後部座席には重蔵が乗っている。  車は市内を抜け、郊外の山道へと入っていく。

「どこへ行く気だ?」

 氷室は葛城に運転させ、一定の距離を保って追跡した。  山道を三十分ほど走ると、車は古い洋館の前で停まった。  『聖ミカエル療養所』という看板が出ている。今は使われていない廃病院のようだ。

 重蔵は車を降り、一人で洋館の中へと入っていった。  氷室たちも車を降り、闇に紛れて近づいた。  洋館の窓から、微かな明かりが漏れている。氷室は葛城に合図し、窓の下まで忍び寄った。  中の会話が聞こえる。

「……約束が違うじゃないか」

 重蔵の声だ。怯えと怒りが入り混じっている。

「三十億だと言ったはずだ。なぜ、東雲のような連中をけしかける?」

「誤解ですな、大黒さん」

 答える声には聞き覚えがあった。  佐久間だ。あの悪徳弁護士が、なぜここに?

「我々は東雲興業とは関係ありませんよ。彼らは嗅覚の鋭いハイエナだ。勝手に臭いを嗅ぎつけたんでしょう」

 佐久間の声は、バーの時とは違い、冷酷な響きを帯びていた。

「だが、状況は変わった。東雲が動き出した以上、悠長なことは言っていられない。……地下の『荷物』、早急に引き渡してもらいますよ。あんたの命があるうちにね」

「断る! あれはワシの守り神だ! あれがあるからこそ、大黒家は戦後を生き抜いてこれたんだ!」

「守り神? 笑わせないでください。あれは呪いですよ。あんたの親父さんが命と引き換えに隠した、昭和最大の『毒』だ」

 昭和最大の毒。  氷室は息を潜めた。

「いいですか、大黒さん。我々のクライアントは気が短い。これ以上渋るなら、東雲に情報を流してもいいんですよ? 地下倉庫の扉の開け方をね」

「き、貴様……!」

「期限は明日までだ。賢明な判断を期待していますよ」

 足音が近づいてくる。佐久間が出てくるようだ。  氷室と葛城は素早く闇に身を隠した。  佐久間は迎えの車に乗り込み、去っていった。  残された重蔵は、廃墟の中で一人、頭を抱えて座り込んでいた。

(佐久間と重蔵は繋がっていたのか。いや、佐久間が重蔵を脅している……)

 氷室は、事態が予想以上に複雑であることを悟った。  依頼人である佐久間は、正規のM&A手続きを踏むふりをしながら、裏では重蔵を直接脅迫していた。  そして「昭和最大の毒」。それは金塊や隠匿物資といったレベルのものではない。  国家そのものを揺るがすような、危険な秘密。

 車に戻った氷室は、葛城に言った。

「予定変更だ。明日の朝、東雲興業の事務所にカチ込む」

 葛城が無表情のまま、眉を上げた。

「……正気か?」

「奴らが地下倉庫の鍵を手に入れる前に、こちらが先手を打つ。毒を制するには、毒を盛るしかない」

 氷室は不敵に笑った。  眼鏡の奥の瞳は、夜の闇よりも深く、冷たく光っていた。  赤城の夜に、血の雨が降ろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ