006.結ぶ
異世界で出会った猫耳の女性、ミルフィ・アートヴィーレ。
彼女から受けた護衛依頼をクシードは断った。
静寂が落ち、場は凍りつく。
彼女は何も言葉を発しない。
ただスカートの端を握り締め、伏せた目からは涙が零れ落ちる。
その軌跡をペンダントライトの明かりが照らした。
静かで儚い。
ひっそりと涙が頬を伝う。
「……」
微かに動く彼女の唇。
言葉までは聞き取れないが、おそらく、両親や執事の名前を呟いたのだろう。
クシードは彼女の言葉を思い出した。
最愛の両親が戦地に残っている。
それに執事は現在、行方不明。
会話の中で、電話やメールといった言葉は一度も出てこなかった。おそらくこの世界には遠距離通信手段がほとんどないのだろう。
“手紙”
アナログであるこの方法しかないのかもしれない。
気軽に連絡が取り合える術がない以上、安否が分からなくなったら、気持ちが落ち着くはずがない。
だからと言ってクシードは答えを改めない。
現地までの付き添いだけならば良い――そう線は引ける。
それより、“伝説のロクエティア”というパワーワードが問題だ。
結局、ロクエティアが何者なのか分からない。
分かっているのは、6人で構成された聖騎士団ということ。
それが彼女の故郷付近にある集落を占領した事実……。
おそらく軍隊を所有している可能性が高い。
単独で集落を陥落させるなど、普通に考えてあり得ない。
そんな相手がいる場所へわざわざ飛び込むなど、自殺行為だ。
安請け負いにも程がある。
「……」
彼女の頬を伝う雫は、ぽつりぽつりと、一滴ごとにテーブルクロスを濡らす。
クシードはグラスを見つめ、口を閉ざしていた。
彼女は人目をはばかりながら、ハンカチを目に当てる。
そして、鼻をすすった。
国や文化、はてまた世界が変わっても、このような光景は共通なのだろう。
“何かあったのか?”と、少しずつ周囲の注目を集めていた。
――悪目立ちしているな。
泣かすつもりは無かったのだが……。
「……あの、断るのは護衛ですよ……。つ、通訳ぐらいならええかもなぁ……」
すっかり元気の無くなっていた彼女の猫耳が、むくりと立ち上がった。
涙で潤んだ瞳をパチパチさせ、期待に揺れている。
「できるかどうかは知らんですけど、通訳ぐらいなら多分、出来るかもしれないので……」
周りの目も気になる。
だが、考えてみれば今、仕事にありつけている状態だ。
異世界にいるのにも関わらず。
文字は分からないが、なぜか言葉だけは通じているため、通訳ぐらいはできるかもしれない。
それに彼女の身なりをよく見てみよう。
清潔で整っている。
コミュ障なのに、食事のテーブルマナーがしっかりしていた。
食べ方の所作が綺麗。
教育がしっかりとなされ、妙に“品”があるのだ。
執事も雇っていたとあれば、どこかのお嬢様である可能性が高い。
おそらく財務力は豊富。
通訳の仕事は人間が相手だ。
引き受ければ収入があり、この世界の情報も得られることだろう。
元の世界へ戻る方法が分からない今は、この世界に順応していくことが重要である。
だから、この機会を逃すわけにはいかない。
食事もすでにコーヒーが出てきた。
タイムリミットが近い証拠だ。
早速交渉へ進む――。
「そこで報酬が発生するんですけど――」
彼女はクシードの話を最後まで聞かず、高速で小刻みに首を縦に振った。
めっちゃ食いついてる。
むしろ、その首、どんな構造してんのや……。
「……ま、まずは手付金として、今日の宿泊費を工面してもらえると助かりますね」
彼女はウンウンと頷く。
本日の宿泊先が、なんと、あっさりと確保できた。
変人なのか、純粋無垢なのかは分からない。
しかし、こんな彼女を見ると、なんだか騙しているような気がする。
それはそれで、ちょっと心が痛むな……。
“詳しいことは明日決めよう”
このような結論に至り、クシードたちは宿屋へと向かった――。
◆◆◆
「アレッ?」
宿屋に入るなり、クシードは違和感を覚えた。
なんと、充電スポットが無い。
フロントで確認するも、宿の主人は『何のことだ?』と、首を傾げた。
照明やトイレ、シャワーは、元の世界同様、入口付近にあったパネルや脳波で作動できたが、なぜかコンセント類が存在しない。
これはまずいな……。
腕時計型PCの充電ができない。
つまり、ミオが稼働しない。
このままでは、ナノマシンスーツはただの服だ。
食べ物や街並み、言葉、時計の見方など。
この世界にはやたらと共通点が多いが、これが決定的だ。
完全に異世界であると。
どこか半信半疑。
夢の世界。
準備不足でやってきた出張感覚でいたが、やはりここは異世界なのだろう。
腕時計型PCのスタートボタンを押した。
反応はない。
無意識でスタートボタンを押すとは……。
それだけインターネットに依存していたに違いない。
クシードは深く息を吐き、ベッドに横たわった。
剥き出しの屋根裏を見ながら、思考を巡らす。
――コンセントが無い。
となると、電気を使う必要がないとも言える。
つまり代替エネルギーが存在するのかもしれない。
照明が点く。
シャワーのお湯、ドライヤーの風。
いずれも何かを動力にしているに違いない。
それが分かればミオの充電も可能になるかもしれない。
少しでも充電ができれば、あとはミオが何とかしてくれるだろう。
そして、ログを確認。
ナノマシンスーツの復活。
家へ帰る方法も見つかるかもしれない……。
“ねぇねぇクシードさん! 私、これ欲しいッ!”
――ソーラーシステム。
女性のようにしなやかで繊細な右腕に装着された、腕時計型PCを眺め、ふいにミオとの記憶を思い出す。
災害時や稼働時間の長期化に役立つから買ってと駄々をこねていた。
あの時は、費用対効果を理由に却下していたな。
だが、今となっては、それがどれだけ重要だったか。
「買っときゃよかったな」
準備不足。
しかし、準備万端だった現場なんて経験したことがない。
その場に応じて適切な行動を行う。
モンスターとの戦いで間違いは許されない。
間違えた仲間たちの行方はどうなるか、身をもって実感している。
「どっかで間違えたんかな……」
ポツリポツリと放つ独り言は闇に溶け、窓の外では風が石畳を撫でた。
星はきらめく。
しかしどこか寂しい。
風の音だけが奏でる旋律は、やけに不気味だった。
異世界初夜。
物語の続きは、静かに動く――。




