030.だが…いる
洞窟。
わずかに滲む燐光を除けば、一切の光が侵入を許さることのない、深淵に広がる闇の空間。
この闇を払うには、町長より支給された照明弾が有効だろうが、それは同時に自分達の存在を敵へ知らせることを意味する。
ゆえに警戒は怠れない。
もし、一瞬でも気を緩めれば、取り返しのつかない事態になるだろう。
そんな想像が、進む足を慎重にさせていた。
冷えた黒と、押し潰されそうな圧迫感。
感じる不快感から、自然と心臓の鼓動が加速する。
そして、レッサーテングの巣窟は特有の違いがあった。
それは――。
「オエェェッ、クッサ! これアカンって!」
臭さレベル下水のニオイ2乗。
いや、もっとあるだろう。
腐敗した肉と酸化した皮脂が混ざり、さらに発酵した生臭さまでが渾然となり、不気味な重さをもって鼻腔を刺激してくる。
それほどまでに強烈な臭気。
好奇心に任せてガスマスクを外したクシードは、あまりの悪臭に身体を折り曲げ咳き込んだ。すぐさまガスマスクを装着し直し、心底後悔している。
「何やってんのよッ!」
「爪切ったら、爪の垢のニオイ嗅ぎたくなるやん? アレと同じ感覚やねん」
「あっ、分かるわかるぅ〜」
「ならないわよ、フツー……」
パーレットは呆れ返り、アマレティが妙に共感する横で、ミルフィは困惑しながら黙ったままだった。
4人は、言葉少なく前進を再開する――。
――暗視ゴーグルが見せるのは、緑色の濃淡だけの世界。
不規則に点在し、仄かに輝きを放つ鉱石の明かりを頼りに、決して広いとは言えない通路を、クシード達は行く。
「全くいないわね」
アマレティの検知にも反応はない。
レッサーテングは集団生活をしている。
棲家とあれば、たくさんの個体がいてもおかしくないが、ここはまるで、もぬけの殻だ。
これは捜索対象の冒険者達が、先に始末してくれたのだろうか……。
「……にゅあッ!?」
ピシャンと言う水音と共に、ミルフィの驚く声が響いた。
「地面が濡れているわ。気をつけて」
先頭を行くパーレットが注意を促す。
岩肌を滴る水滴は、小さな水溜まりをいくつか作り、うっかり踏み込めば転倒の危険もありそうだ。
「――!」
気がつけば、空気が変わっている。
とてもひんやりしていた。
これは暖気と寒気の境目を超えたのだろう。
つまり、この水は結露。
洞窟の構造は、緩やかに下っていたと分かる。
「大きな水溜まりがあるわよ」
深さが全くわからない水溜まりだ。
それに侵入者用の罠が張ってある可能性もある。
迂闊に入ってはいけないな。
それを分かってか、パーレットは飛び石を蹴って進んだ。
「――うおっと。滑るで」
クシードも後に続いていた。
後ろをついてくるミルフィを気遣い、手を差し出す。
「……」
彼女は一瞬戸惑いを見せるも、尻尾を振ってクシードの手を握り、水溜まりを渡った。
クシードはミルフィを安全な場所まで導き、手を離す。
さて、警戒を怠らず先に……。
しかし、何かを忘れている。
後ろ髪を引かれる思い。
クシードは振り返った――。
仁王立ち。
あのツノ女が堂々と待ってる。
自力で渡る気ゼロで待ってる。
「……行くで、アマレティ」
手を伸ばすと、待っていましたと言わんばかりに両手で強く掴まれた。
「えへへぇ〜」
渡り終えた後も手を離そうとせず、嬉しそうに身体をクシードに寄せるアマレティ。
しかし、その握る手に鋭い痛みが突如走った。
「……ゔッ」
「一瞬〜、ウチのことぉ、忘れてたでしょ〜?」
「んなワケ無いやん!」
怖っわ……。
握力も強っよ……。
やべぇ女だと、クシードは身を震わせた。
◆◆◆
洞窟の奥に進むにつれ、空気がさらに冷えていく。
不気味なほどの静寂に支配され、誰も口を開かない。
ただ、僅かに響く四人の呼吸と忍び足だけが、ここに生命が存在する唯一の証だった。
『――待って』
先頭を行くパーレットは急に立ち止まり、ハンドサインを送る。
四人は立ち止まり、呼吸さえも殺した。
前方には、広大な空間が広がっている。
洞窟の中にぽっかりと口を開けた大空洞だ。
「ゔぅ……、アカン。やっぱクサいわ……」
「あんたイカれた匂いフェチなの?」
「かもしれへんけど、エグいニオイに混ざって別のニオイもしたで」
「……ゴメン、見直したわ」
何とも言えない悪臭に混ざり、炎魔法のような焦げ臭さが鼻の粘膜を刺激していた。
「あれは――」
パーレットは地面を指した。
血痕と、何かを引き摺った跡が明瞭に残っている。
それも3つ。
さらに真新しい。
パーレットは手にしていた小剣を、いつもの鞭剣に持ち替えた。
アマレティは“検知”を展開するも、やはり反応が無いと首を振る。
だが、剣士としての勘が何かを物語っているのか、パーレットが武器を持つ姿に、隙が感じられなかった。
ただならぬ気配。
クシードもリボルバーを握り、周囲を見遣った。
――天井は高い。
だが、隠れて狙撃するようなポイントは特に見当たらない。逆に地表はゴツゴツした岩が転がり、遮蔽物となっている。
表面には水滴。
湿気により、滑りやすい。
バランスを崩せば転倒もありえる。
「……1発、撃ち込むで」
意を決し、クシードが銃を前方へ向け、ゆっくりと引き金を引いた。
フラッシュマズルが刹那の闇を、静寂を切り裂く。
「……」
静寂が戻り、息を殺してその結果を待った。
音。
振動。
何か動きがあれば変化がある。
神経を集中――。
聞こえるのは、無音という名の雑音だけだった。
思い込みだろうか。
警戒を緩めようとしたその時――。
微かに、地面を叩く音が聞こえた。
それは何かまでは分からない。
アマレティを見ても、首を横に振っている。
彼女の検知は、森では離れた先のモノノケも拾えた。
それなのに、ここでは何も捉えない。
まるで、“何か”が気配そのものを削り取っているようだった。
だから、全員、武器を強く握りしめている。
「――ッ!」
直後、遮蔽物の間を何かが跨いだ。
暗視ゴーグルが捉えた動く影。
即座にパーレットは剣を構えるも、珍しく突撃をしない……。
しばらく膠着状態が続いたが、パーレットは痺れを切らし、ハンドサインを送った。
“前進する、全方位、要確認”
一歩、二歩と忍ぶ足を進める。
“カチリ”
慎重に進む足に何かが触れた。
「煙幕ッ!?」
勢い良く噴き出した煙が、パーレットの叫びを掻き消す。
白濁した視界で、クシードは手を伸ばした。
しかし、そこにあるはずのもの……。
ミルフィの手を握る感触が無い。
煙の中、かろうじて見えたのは地に落ちたスケッチブックだった。
敵襲だ――。
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