003.スケッチブックレディ
敵を殲滅し、クシードはミオの名前を呼ぶも返事がない。
違和感を覚え、咄嗟に腕時計型PCのディスプレイを確認した。
“充電してください”
「……そっか」
ナノマシンスーツの全機能が停止していることに気づき、クシードは深く息を吐く。
どうやら、ミオは途中で節電モードを起動し、ギリギリまで支援をしてくれたのだろう。
アンチペインが機能しなかったのも、バッテリー節約が理由……。
「なんやねん……、最後まで律儀やん」
普段はうるさいくらいよく喋るAIだが、戦闘終了まで沈黙でバッテリー節約を貫いた。
痛みで意識は朦朧とするが、健気な相棒を思い、クシードは苦笑する。
だが、感情に浸っている場合ではない。
通信回線は圏外。
GPSも機能せず、補給の目処もない。
残りの弾薬はわずかで、ナノマシンスーツは充電切れ。
携行していた止血剤を塗布しても、敵の“斬撃波”による切創部の治療が終えたわけではない。
さらに、空の太陽は傾き始めている。
このまま日没を迎えれば危険だ。
「どないしようか……」
闇雲に進んでは詰む。
ならば、あの獣人の女が逃げた方向が唯一の手がかりかもしれない――。
◆◆◆
「ふぅ……」
丘陵地をひたすら歩く。
痛みが押し寄せるたび足を止め、呼吸を整える。
だが、立ち止まるたび膝が震え、全身が悲鳴を上げる。
どれくらい歩いたのだろう。
空を見れば、太陽の位置はあまり変わらない。
痛みで時間の感覚が狂っているな……。
「だいじょうぶ……」
気を抜けば意識が途切れそうになる。
自身を鼓舞し、前へ進む。
この先に進めば、樹木が並ぶエリアだ。
――奇妙だ。
耳に入るのは、風が草花を揺らす音のみ。
鳥も、虫も、その他小動物の気配がない。
静寂。
これは自然界において最も不吉な兆候だ。
クシードは慎重に足を踏み入れる。
荒れた呼吸も無意識に潜め、周囲を警戒していた。
「……!」
樹々の間にしゃがみこむスカイブルーの影。
猫の耳、尻尾。
ニッポン人のようなキモノ。
――あの獣人女だ。
身体を丸め、頭を抱え、震えている。
まるで、怯える子供みたいだ。
しかし、緑が多いこの森で、鮮やかなスカイブルーは逆に目立つ。
あれで隠れているつもりだったのだろうか。
クシードは静かに左手を銃のグリップに添えながら、ゆっくり女に接近した。
妙な異変は感じない。
ブービートラップの類いでもなさそうだ。
「……あ、あの……」
クシードの声に、女の尻尾がピクリと動いた。
女は背を向けたまま、重たそうに身体を持ち上げ、ゆっくりと振り向いた。
虚ろな目。
ただ、生気は感じられる。
極めて異様な光景だ。
「先ほどは……」
クシードは様子を探るように声をかけた。
「……」
女は何も答えない。
国が違えば言語も違うのは当然である。
言葉は理解できなくとも、相手が“人間”ならば何かしらコミュニケーションは図れるハズだ。
「驚き、ました……、よね……?」
クシードはもう一度声をかけた。
「――ア――――ア――ガ――……」
「ん?」
鈴を転がしたような優しい声。
だが、静かに両腕を伸ばし、虚な目で一歩ずつゆらりと近づいてくる。
まるでゾンビだ。
「――!」
得体が知れない。
警戒心から、クシードは無意識に銃を抜いた。
「ぐっ……」
俊敏な動きの代償、全身に痛みが響く。
だが、アイアンサイト越しにクシードは睨みを効かせた。
「――ェガ……エガエガェ……」
声が震えている。
銃口を向けられた女は、その場で膝をつき肩を震わせた。
「……?」
ところが、女の瞳からは大地を濡らす雫が落ちたのである。
一体なんなのだ、この女は……。
先の読めない突飛な女の行動。
クシードは思わず警戒を緩めてしまった。
「――ゔッ」
押さえ込んでいた痛みが一気に暴発。
バラバラに切り裂かれるそうだ。
「ゲェェェガァァァーッ!!」
女は叫んだ。
「!」
クシードも歯を食いしばり、再び警戒を強める。
「……オレの、怪我が……、そんなに心配なんか?」
皮肉混じりの問い。
とても言葉が通じる相手とは考えられない。
かと思いきや、女は大きく頷いた。
その振れ幅は次第に大きくなっていく。
もはや頷くというより、ヘッドバンキングだ……。
――なんだコイツは。
目の前で繰り広げられている謎の現象。
クシードが唖然としていると、女は目を回したのかフラフラと今でも倒れそうだ。
張り詰めた空気の中で見せる緊張と緩和。
――調子が狂う。
クシードの視界は急にぼやけ、痛みに耐えきれず、ついに銃口を下げてしまった。
「……ガケガケガケガケガケガケガケガケガケガ……」
瞬間、女は呪術的な言葉を呟く。
手足を素早く動かし、女はクシードに接近。
これは騙し討ち。
油断をさせられた。
「ェガーッ!!」
撃たなければ。
「……ガッガッガ……」
殺さなければ。
「――!」
ダメだ、もう身体が……。
クシードは決死の抵抗を見せようとするも、女の目線がおかしいことに気づく。
いや、全体的におかしいが、負傷部を意識している。
まるで、本当に怪我を心配しているみたいだ。
女は慌てふためきながら、バックパックからスケッチブックを取り出し、急いでページをめくる。
「カカカろのノ、ククツーウうカイ、ホー……、チュ、チユ、のヒーカリー、フ、フフフフ、フカフカカカ……」
目を剥いてスケッチブックを睨み、吃りながら発する謎の言葉。
何が始まるのだ。
「ツツツッェーる、キュ、あッルッ!!」
裏声混じりに女は叫んだ。
同時に青白い魔法陣が現れる。
幾何学的な紋様が光り輝き、クシードの負傷部が光に包み込まれた。
ひんやりとした感触。
熱も、痛みも嘘のように引いていく。
瞬く間に傷が完治。
手品でもCG処理でも何でもない。
科学では到底証明できない超常現象。
これはまるで――
「魔法……か?」
非現実的な出来事にクシードは驚くと、女もヘッドバンキングという非現実的な行動を再び起こした。
「ちょ、ストップ、ストーーーップッ!!」
女はヘッドバンキングを止めるも、なぜか顔色が悪い。
口を押さえると、次第に苦悶な表情へ変わる。
ゆっくりと、慎重に立ち上がると近くの茂みへ全力疾走した――。
突如、穏やかな場所にヴィクトリアの滝が出現。
そよ風のオーケストラを背景に、大瀑布の旋律を奏でた。
やがて生演奏は終わる。
女は背中のバックパックから水筒を取り出し、ガラガラとうがいを始めた。
ここまでくると人間確定だ。
……たぶん。
「大丈夫ですか?」
「……ァカン」
女の涙声が耳に入った。
女は水筒をバックパックに仕舞う。
丁寧に留め具を留めると、颯爽と退場していった。
酸性濃度の高い刺激臭とモザイクの滝壺を残して――。




