002.異界の戦い
草原の向こう。
影が揺らめく。
陽光に濡れる輪郭は、自然の理から外れているのは明らか。
甲殻は鉱石のように鈍く輝き、2本の鎌が死神のように風を切っていた。
それが何か、理解するのに時間は不要だった。
「……あれ、カマキリ……やんな?」
「体長は約180センチメートル。マンティスアントにしては大きくて、初めて見るタイプですね」
ミオのデータに記録されていない。
正体不明のモンスターだ。
それより――。
「カマキリ型はどれも単独行動を好んでいたよな?」
「はい。それと、あの陣形……、戦闘を前提としていますよね」
丘陵が波打つように広がるこの草原には、遮蔽物らしいもの無いに等しい。
風の匂いが変わった。
花の香りが薄れ、ただの空気へ……。
そして――。
命の気配が、濁る。
「ミオ、行くで」
「ナノマシンスーツのバッテリー残量は16%。中々厳しい戦いになりそうです」
身体能力を強化するナノマシンスーツがなければ、モンスターと戦えない。
駆動時間はわずか。
早めに迎撃――。
「戦闘システム起動ッ! 同時に静的射撃補助」
「はいッ! 了解です!」
漆黒のナノマシンスーツに紅いラインが脈打ち、戦闘システムが起動した――。
手にしているのは、44口径の2丁拳銃“ウォード&グローサ”のみ。弾薬は各8装弾の2丁で16発。弾倉は残り1つだけ。
補給は望めない。
なぜなら、異世界だからだ……。
カマキリの陣形は横一列。
銃撃手にとっては、絶好の的だ。
有効射程距離50メートル以内に入り次第、頭を撃ち抜く――。
「ロックオンッ! レディ!」
指先の僅かな揺れがピタリと止まり、ターゲットを完全に捕捉。
構えた銃口は一点に収束される。
彗星のような煌びやかな2つの閃光。
カマキリの頭部は砕け、甲殻片が草に散った。
肉体は崩れ落ちる。
地に擦れ、甲殻が軋む音を残して動かなくなった。
――残り3匹。
右へ1匹、左へ2匹に散開。
行動パターンを変えた。
「次ッ! 動的狙撃補助ッ!」
「はいッ! 了解ですッ!」
敵の動きをAIの演算で追従し、捕捉。
鮮やかに閃く弾道が、2匹の頭部を消し去った。
――残るは1匹。
クシードは2丁拳銃を最後のターゲットに絞る。
瞬間、ミオの警告が響いた。
「まだ生きてますッ! 寄生虫ッ!」
既に始末した個体から伸びる一筋の黒い線が地を這っていた。
まるで意志を持った紐のよう。
それはどこか艶めかしく、しかし不快で生理的嫌悪を誘う滑らかさだ。
「――ッ!」
クシードは急いで狙いを定める。
だが、草花の陰に潜るその体躯は、捉えきれなかった。
代わりにミオが、瞬時にサーモセンサーを起動させ、追従する。
「やはり寄生虫はハリガネムシ系! 外骨格なのに柔軟……、キモいです」
異様な生態。
そのためか、ロックオンに時間がかかっていた。
「2時の方向ッ! 距離、6メートル!」
草花が不自然な動きを見せる。
「――来ます!」
ミオの掛け声と共に、黒い軌跡が視界を切り裂いた。
鋭い先端がクシードの頭部を狙う。
クシードは咄嗟に身体を捻って回避。
寄生虫は身体を空中で翻す。
クシードの華奢な胴体に巻き付いた。
「……ガハッ!」
なんて締め付ける力だ。
肺から酸素が絞り出させる。
呼吸が、できない。
まずいな……、視界が歪んできた。
意識を手離せば、次に目を覚ますことはない。
無意識にクシードは口を開いた。
刹那、寄生虫の先端が動く。
――侵入する気か。
こんなのが体内を這うのは想像するだけでキモチワルイ。
断固阻止だ。
クシードは左手で先端部を掴む。
右手の銃を突きつけた。
1発、2発……。
躱される。
柔軟で俊敏だ。
「クソッ……」
――5発目。
ようやく、その身体を引き裂いた。
どろりとした濃緑色の体液が飛び散る。
「クシードさんッ! 右ッ!」
まだ終わっていない。
ミオの声が最後の警鐘のように響く。
草花の合間を裂き、あらわれた最後の1体。
予期せぬ伏兵と戯れている間に、接近を許してしまっていた。
「……?」
突進してくるかと思いきや、触覚を動かし、双刃のごとき鎌を掲げ、翡翠色の光を纏っている。
「……なんでしょう、この光……?」
「どうゆう原理なんや?」
視認できるはずのないものが、まるで空気のひだに刻まれたように煌めいていた。
クシードは身体に巻き付いた寄生虫を解きながら注視する。
すると鎌が勢いよく振り下ろした。
空間が屈折する。
青白い衝撃波が飛んだ。
風をも追い越す一瞬の出来事。
「ぐッ……」
脳が痺れる。
意識が一瞬、薄れかけた。
右腕と脇腹の筋肉が切り裂かれ、皮膚が悲鳴を上げる。
斬撃に弾かれ寄生虫の残骸もボトリと落ちた。
血が、音を立てて大地に染み込んでいく……。
クシードの膝は、緩やかに地を打っていた。
「……」
息を吸うたびに胸が軋む。
酸素が、どこか遠くにあるようだ。
早く止血を……。
なぜアンチペインが稼働しない。
ミオは一体……。
いつも隣にいる彼女の気配が、誰かに拭き取られたように失われている。
声も、映像も……、無い。
静寂が、じわりと耳を打つ。
それでも――、目の前の“敵”だけは、現実だ。
重心を低く保ちながら、カマキリは独特なステップを刻んで迫ってくる。
鈍く光る鎌を再び振り上げた。
「――ッ」
痛みが脳を刺す。
意識が、靄のように薄れていく……。
このまま虫のエサになる気か。
それは冗談でも嫌だ。
「フゥ……」
クシードは息を短く吐き、顔を上げる。
蒼灰の瞳が、カマキリの一点を射抜いた。
――まだだ。
カマキリの鎌が振り下ろされる。
空気が、悲鳴のような風を生む。
側転。
回避。
「――くっ……」
肉を裂かれるような激痛が襲う。
身体が重い。
カマキリは空を切った右腕を返した。
首元を目掛けて一直線。
クシードは腰を落とした。
低く、深く、地を這うように。
ダッキングで躱わす。
風を切る音だけが鼓膜に響く。
振るわれた鎌は、虚空を裂いた。
――顎下がガラ空きだ。
ナノマシンスーツ、攻撃力強化。
最大出力。
全身が悲鳴を上げる。
それは耳を塞げ。
耐えろ。
左拳に全ての力を集中。
狙いは首と顎の付け根。
穿て――。
終幕を告げる一撃。
それは豪快な重音を轟かせた。
外殻が破壊される音ではない。
引き裂かれる音だ。
カマキリの頭部は高く、空の色と混ざるように、青白く光る軌跡を描いて宙を舞った。
「終わったで……、ミオ……」
「……」
「ミオ……?」
呼びかけには彼女は必ず応じる。
だが、返事は一切無かった――。




