生まれ変わった私はもう、あなたを好きにはならない
「カトリーヌ・リヴィエーヌ、お前との婚約は破棄する!」
それは目の前の彼の十八歳を祝うパーティーの席での事だった。
第三王子である彼の誕生日を祝うために、若い世代を中心に多くの貴族がその場にいた。
彼はその挨拶の席で突然、私との婚約破棄を声高らかに告げたのだった。
私は彼に手渡そうと持っていた花束を落としそうになってしまった。
そして彼に身を寄せるように震えるフリをして、隣に立っていたのは公爵令嬢の私よりも身分の低い伯爵令嬢だった。
彼女の赤色を帯びた金色の髪は珍しい色あいで、薄い青色の瞳は明け方の空を思わせるような色をしている。
私の中でこれまであった彼への恋心というものが、がらがらと崩れていく。
初めて会った時から良い印象を持たれていなかったのことは理解していたが、それでも私は彼のことが好きだった。どうしてかわからないけれど、婚約破棄と言われる瞬間までは彼のことを嫌いにはなれなかった。
予兆は確かにあった。
だがしかし、このような場で彼がこんな子供じみたことをするとは思わなかった。
婚約破棄を告げてから彼はまだ言葉を続けていたが、それは全て私への糾弾だった。
私が彼女にしたことはたった一度だけ、婚約者のいる男性との距離が近過ぎると注意をしただけだった。それがいつの間にか私が彼女に何度も害をなしたということになっているようだった。しかし私の頭の中には彼の言葉が何も入ってこない。
(ああ、“あの時”と同じだわ)
そう思った時、ひとつの情景が唐突に思い浮かぶ。
こことはまったく違う場所での夜会、時代も少し昔に遡る。あの時の彼は伯爵令息で私も伯爵令嬢だった。彼の隣には男爵令嬢だった彼女がいて、ちょうど今の彼女がしているように彼に隠れて嗤っていた。
生まれ変わったことでお互いに見た目は随分と変わってしまったが、彼女のあの下卑た笑いは変わっていなかった。
あの時の私は確か、彼に婚約破棄だと言われた事がショックでしばらく食事が咽を通らなくなり、外へ出る事もしなくなった。
何もする気が起こらなくなり、仕舞いにはベッドの住人となって毎日窓から外の景色を眺めているだけだった。そうしているうちに病にかかってしまった私は、彼に恋をしてしまったことを後悔しながら人生を終わらせたのだった。
私の瞳から一筋の涙が流れる。これは彼のために流した涙ではなく“過去の私”を憐れんだ涙だ。もう彼の為に流す涙なんてないのだから。
令嬢としていつも表情を崩したことのなかった私の涙を見て、彼は怯んだ表情を見せるが、もう私は彼のことなんて気にしない。
「第三王子殿下からの婚約破棄、確かに承りました。しかし私がそちらの令嬢にしたことにつきましては相違があるようですので、後ほど公爵家から王家へ申し立てをさせていただきたく存じます」
私は公爵家の令嬢らしく殿下の思いこみを否定しながら、この婚約は個人的なものではないことを伝えたつもりだったが、彼は理解してくれなかったらしい。
「ど、どうせお前のことだから、公爵家の力を使ってこの件をもみ消そうとするのだろう!」
幾分ひるんだ様子を見せながら、殿下は強い口調で私に告げる。殿下がどこまで彼女の言い分を信じたのか分からないが、どうせ冤罪なのだ。証拠を調べる時間に手間取るよりは“なかったこと”にするのが一番早いのだが、それも気に入らないというのだろうか。
伯爵令嬢は勝ち誇ったような表情を浮かべて私を見ている。私は負けたつもりはないのだが、彼女は勝ったと思っているようだった。彼女も昔と変わっていなかった。
私は殿下の言葉には答えずに、無言でカーテシーを取る。周りに貴族がいるこの状況で、これ以上は自分の家の名に泥を塗りたくない。
今生でも彼に恋をしてしまった私がたどりつくのはやっぱり後悔という感情で、それが前世よりもずっと早くやってきた。
「殿下、この場はありもしない罪を断罪するような場ではございません。お隣にいらっしゃる令嬢がどのようなことを申し上げたのかは分かりかねますが、このカトリーヌ・リヴィエーヌにとっては一切身に覚えのないことだと申し上げます。そして、これ以上騒ぎを大きくすることは王家の威信にも関わってくることかと存じます」
「……うっ」
この場で彼が何をしたかったのかは分からない。ただ婚約をなくしたいのか、私に何かしらの罪をかぶせたいのか。前世の時も夜会で身に覚えのない言いがかりを付けられたから、彼という人がそういうことをしたい性分なだけかもしれない。
私は彼を見つめる。先ほどまでは金色の髪に青い瞳を、あんなにも愛おしく感じていたのに、前世の彼と同じ色だと思うだけで忌々しく感じてしまう。人の気持ちがこうもすぐに変わってしまうなんて知らなかった。
こうして私と殿下の婚約は、白紙になるという形で消えてしまった。
◆◆◆
婚約破棄と告げられてしまった私は、前世の時と同じようにずっと屋敷の中に閉じ籠っていた。
あの時と違っているのは、今回の私は自分の失恋に落ち込んではいないし、食事もしっかり摂れているので心身共に調子が良かった。
なので、私の意思で引き籠っているというわけではない。王家と公爵家の婚約がなくなるという事は、国内の勢力図が変わってしまう事であり、とても繊細な問題でもあるから静観という形を取るために外に出ないようにしているだけだった。
そして引き籠ってひと月ほど経った頃、何故か殿下が私との面会を求めて屋敷にやってくるようになってしまった、それも私の前世での名前を呼びながら。
彼は確か謹慎中のはずだったが、勝手に抜け出してきたのだろうか?
「カリーヌ、カリーヌ、思い出したんだ、私は!」
カリーヌという前世での名前は、カトリーヌという今の私の名前の愛称だといえなくもない名前だったので、残念なことに殿下を狂人扱いして追い払うことができなかった。
前世での今際の際に、彼は泣きながら自分が間違っていたのだと病人だった私の耳元で叫んでいた。
その時の私はもう言葉を話せず、自分の意思を伝える手段を失っていたが、耳だけは聞こえていたので、彼の後悔と懺悔の言葉をうるさい、何処かへ行って欲しいと思いながらその気持ちを伝えられないことに悔しい思いをしながらあの時の生を終わらせたのだった。
(懐かしい名前だけれど、嫌いな相手に呼ばれるとこんなにも嫌な気持ちになるものなのね)
玄関先での彼の様子をこっそり見ていた私はため息を吐く。
一度は体調不良だと追い払ったのだが、それから始まったのがプレゼント攻撃。それも前世で罹っていた病の薬ばかり。今の私には必要がないものだから全て送り返した。
薬を送り返す際に体調は戻ったので薬はいらないと伝えたのがまずかったらしく、殿下はそれを面会のOKサインだと思い込んだようで、再度の突撃を繰り出してくる。さすがにやんごとなきお方の訪問を二度もお断りすることができず、仕方なく応接室へお通しするしかなった。
そしてその日は運悪く、父も母も所要で不在にしていたので私が対応するしかなった。
「……それで、あのパーティーで私の涙を見た時に、前世を思い出したのだと?」
「ああそうだ、私がこれまで夢でずっと見ていたあの女性がカリーヌだと気付いたのだ」
そう言いながら殿下は熱の籠った青い瞳で私を見つめる。婚約者時代はこんな風に見つめられたことなんて一度もなかった。
それにカリーヌは前世での名前で、今の私はカトリーヌなのだが殿下にとってはどちらでもいい事なのだろうきっと。
「私はずっと騙されていたんだ、あの伯爵令嬢は自分の前世の名前はカリーヌで、キミはあの男爵令嬢だったのだと言うのだから、それを信じた私はキミを誤解していただけだった。でもキミが涙を流した時、あの時と同じだと思ったんだ」
これは誤解が解けて良かったのだと言うべきなのだろうか?
殿下の言う“あの時”とは前世で私が殿下に婚約破棄を言われた時のことだろう。あの時の私も確かに涙を流した。あの時は好きだったから、彼を思って泣いた。
この人は変わらない、身勝手な理由で婚約破棄だと騒ぎたてて、終わった後に私を捨てたことを後悔する。今も昔も彼は変わっていない。
「もう昔のことですわ、殿下」
「今度こそ、私はキミを幸せにすると誓う、だから戻ってきて欲しいんだ」
その“今度”が今世なのだろうに。そう何度も“今度”なんてやってこない。
「でしたら、父に話を通して下さいませ。私は父の言葉に従いますわ」
今回の婚約破棄騒動の件で王家は公爵家に慰謝料を支払うことが決定している。執務も大してしていない、臣籍降下が決められている第三王子程度ではそれを覆すことができなかったのだろう。
「いや、でもここは私一人が主張するよりも二人でした方がいい」
えっ、私まで一緒に殿下との復縁を願い出ろとこの人は言っているの? そんなことをしたら私まで馬鹿だと思われてしまうじゃない。
「そのお話、謹んでお断りいたしますわ」
今回の騒動で彼はかなりの信用を失った。臣籍降下するとしても婿として受け入れる高位貴族はいないだろうし、新しい貴族家を立ち上げるとしても伯爵以下になるだろう。今は王族であってもいずれは変わるのだから、少しくらいはっきり物を申しても咎められるようなことはないだろう。
「どうして断るんだ? キミと私はお互いに運命の相手だろう? 二人を阻む壁があったとしたらそれは二人で乗り越えるべきだ」
この人、何を言っているのかしら?
私にとって彼は因縁の相手であって、運命と言えなくもないけれど、それは悪い方の意味でだ。せめて婚約破棄と言う前に私がカリーヌであったことを思い出して留まることができたのなら、私は前世を思い出さずに殿下を好きなままだったかもしれいないし、前世を思い出して殿下を好きではなくなっても、立場上結婚を受け入れただろう。
「殿下、申し訳ございませんが私は運命論者ではございませんの」
私は眉を下げて、さも申し訳なさそうに自分の気持ちを伝える。私が運命の相手だなんてもう言わないで欲しい。
「いや、でもこれは二人の問題だからと言っただろう……」
そう言い掛けて、殿下の表情がはたと変わった。
(なるほど、そういうことなのね)
「もしかして殿下はあの伯爵令嬢に運命と言われたのでしょうか?」
おそらく殿下は伯爵令嬢に言われたのだろう、自分たちは運命の相手で“私”が二人を裂こうとしている“壁”なのだと。
「……」
やっと殿下の言葉が止まった。これまで彼は私を敵と思って排除しようとしていたのだ。それは彼の私への言動にも表れていて、殿下の事が好きだった過去の私はそのことに深く傷ついていた。
「ねえ殿下、覚えていらっしゃる? 以前の私の死に際に自分は変わったから来世では一緒に幸せになろう、私を守って下さるとおっしゃったのを」
きっと殿下はあの時の言葉を覚えている。だからカリーナだと思っていた伯爵令嬢を、私から彼女を守ろうとしたのだろう。どうせならずっとそう思っていれば良かったのに。
「しかしキミは以前の姿とはかなり変わっていたから……、誰にでも勘違いはあるだろう?」
今の私はダークブラウンの髪に緑色の瞳を持っていて、それはかつて彼を奪った男爵令嬢と同じ色だった。彼女は過去でも彼に私の悪口を散々言い含めていて、彼はそれを信じたのだった。
そして皮肉にも、過去の私が持っていた赤味がかった金色の髪と薄いブルーの瞳を今生では伯爵令嬢が持って生まれたのだ。
彼は自分が過去の自分と同じ色だったから私たちもそうだと思ったのだろうが、今さら間違えていましたと言われても、婚約は白紙に戻ってしまったのだからもう遅い。彼の望み通り、私との婚約関係はなかったことにされてしまったのだ。
それまで応接室で私たちの様子を伺っていた執事が私に近づき、耳元で殿下のお迎えが来た事を伝えてきた。
「そう、それじゃあお通しして」
「かしこまりました」
やっと目の前の彼から解放されると思った私は紅茶をゆっくりと飲む。すっかり冷めてしまったが、あまりにも話がわからない人を相手にしてお茶を飲んでいる余裕なんてなかった。
「殿下、お迎えに上がりました。もう勝手に城を抜け出すのはやめてください」
そう言って応接室に現れたのは彼が小さな頃から仕えていた侍従と騎士たちで、彼らは殿下の世話係も兼任している。
「私はカリーヌの誤解を解きたくてやってきたんだっ! まだ彼女とは仲直りしていないのにっ! また来るから待っていてくれ! カリーヌっ!」
また来るなんて私にとっては呪いの言葉かと思うようなセリフを叫びながら、殿下は侍従が連れてきた騎士たちに引きずられて王宮へ戻って行った。そういえば今日の彼は今の私の名前であるカトリーヌとは一度も呼ばなかった。
殿下に散々私の事を悪く言っていたあの伯爵令嬢は、公爵令嬢を侮辱したという理由から修道院送りが決まっている。一応は彼女の家の判断でしたという事に表面上はなっているが、きっと父が圧をかけたのだろう。
厳しい処分だと思われるかもしれないが、ここで見逃してしまうと低位の者が高位の者を貶めても咎められないという前例を作ってしまうし、公爵家がひとり娘を馬鹿にされたままというのでは示しがつかない。
前世では早世してしまったので、あの後の彼らがどうなったのか分からないが、あの頃はお互いに伯爵家の人間だったので、醜聞とはなったが痴情の縺れ程度の認識しかされずにお咎めは無かった。
そもそもカリーヌの生家であった伯爵家はそれほど力を持っていなかったので、彼と彼女の家から婚約破棄の慰謝料をもらうことがせいぜいだっただろう。世間の情報を何も耳にいれずに引き籠っていたから、私一人の泣き寝入りとなっていた可能性は高い。
しかし今生では王家と公爵家なのだ。政治と権力の絡む婚約を台無しにしたのだから、その責任は大きい。
王弟となる彼は臣籍降下しても公爵位か侯爵位が妥当なところだったが、自分の誕生日会で騒動を起こした彼は、その責任を取るという形でひとまず臣籍降下後は伯爵位をという話でまとまっていた。しかし、こうも問題を起こすのなら与えられる爵位も子爵位か男爵位になるかもしれない。場合によっては一代限りや領地のない爵位のみの立場になるという可能性も出てきた。
あの時の彼は涙ながらにもう間違えないと言っていたのにまた間違えた。しかし今回は立場が立場なので失うものが大きい。
あの頃の私はただの伯爵令嬢で、跡取りでもなかったから婚約破棄された傷物令嬢なんて誰も相手にしようとはしなかったし、ひとりでただ泣き暮らしていただけだった。
しかし今は公爵家を継ぐ立場となっている。私はこれまで家を継ぐ為の勉強はしてきた。だから極端な事を言ってしまうと夫が誰であっても問題はないのだ。そして高位貴族には実家の従属爵位を継ぐ予定や、爵位を継げずに文官や武官となっている次男や三男がたくさんいる。
彼らにとって、既に公爵家を継ぐ準備が出来ていて、婚約者のいない婿取り予定の令嬢という存在はとても魅力的に映っているらしい。仮に彼ら自身がそう思っていなくても、彼らの家は公爵家と繋がりを持ちたがっている。
いくつも届いた釣書の中から家と人柄に問題の無さそうな令息たちと、執務の合間を見ながらお見合いをしている。下は五歳年下の令息からの釣書もあったが、さすがに三歳下にまで絞らせてもらった。おそらく今の社交界での一番の話題は誰がこの公爵家に婿入りできるかだろう。
「お嬢さま、そろそろご準備を。本日はラフォン侯爵家のご令息さまがいらっしゃいます」
そう言って執事は午後に予定しているお見合いの準備を促す。
本日お会いするラフォン家の令息は三男ではあるが、文官としては優秀だと聞いている。社交界でも何回かお見かけをしたが、黒い髪に明るい緑色の瞳が印象的な令息だった。
一番早い家で、婚約破棄を突きつけられて帰宅したのと同時に釣書が届いた。
第三王子は今はまだ私との復縁に必死だが、そのうちそれが不可能だと分かったら後悔をするのだろうか。前世で誓いを守れなかったことと、全く同じ間違いを犯してしまったこと、そして今世で用意されていた立場と財力を永遠に失ってしまったことに。
「さようなら、婚約者さま」
私は彼が座っていたソファを見ながら立ち上がる。今世の彼とはもうこれでお別れだ。もしも来世で彼と出会うことがあったとしても、過去を振り返らない私は次があっても最初から最後まで他人で過ごしたい。




