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5.「地獄の沼は温かい☆」


半開きのカーテン越しに見上げた空は気づけばすっかり暗く、向かいのマンションの窓明かりが温かく滲んで見える。

エアコンをつけているのに外気がじんわりと染み込んでくるせいか、肌寒さが残る室内。

壁際のL字型デスクに向かって、真一は、開発者コンソールを操作していた。

机の上に並ぶモニターの青白いデバッグ画面が、ゲーミングチェアに腰を下ろした彼の横顔を淡く照らしている。

真一はキーボードに指を滑らせながら、ワイドモニター右上の時刻表示にちらりと目をやった。


20:58


(……そろそろか)


マウスに手を添え、メッセージアプリを開く。

三日との直近のやり取りを軽くスクロールし、入力欄にカーソルを置いた。


―――――

真一「準備できたら教えて

   開発版立ち上げとく」

三日「いま起動してる」

真一「そっちのアバターは室内に事前配置しといたから」

三日「了解」

真一「ルームコード【B7X9-LK2F】

     10分以内に入って」

三日「OK」

―――――


やり取りを終えて、真一は椅子の背にもたれた。


「……俺もやるか」


深く息を吐き、渋々とキーボードに手を伸ばす。


「あー、意味わかんねー……」


誰にともなくぼやきながら、ENTERキーを押した。

画面がゆっくりと暗転していく。

“姫” となった真一のアバターが、静かに画面に現れた。



◇◇◇



——カツ、カツ、カツ。

赤いストラップヒールが、夜の石畳を軽快に鳴らしていく。

深紅のドレスに淡い月光色の髪が肩から背にまとわりつき、街灯の光を受け輝いて見える。

ゲーム内の真一 ——マミは、長い睫毛に縁取られた勝気な瞳を鋭く光らせながら、西欧風の街路を観察して歩いていた。

空を仰ぎ見ると、満月に目隠しをするように薄い黒雲が流れてくる。

遠雷がかすかに響き、稲妻が細く閃くたび、逆光に照らされた雲の輪郭が一瞬だけ暗紫色に浮かび上がる。


(いいね。天気のバリエーション、もう少し増やせるかもな……いっそAPIで天気予報と同期させるか)


ドラマチックな空の演出を確認して、マミは満足げに微笑んだ。

薄桃色の唇は小さく上品なカーブを描きながらも、どこか不敵な気配が漂う。

しばらく雲の流れるスピードをチェックしていたマミは、一瞬ハッとして足を止めた。


(待てよ、これがポエマーの発想なのか?)


「いやいやいや」

首を振りながら歩きだすと、白い建物へと続くアプローチに差しかかる。

分厚い木製のドアの前まで来て、しばらく目線の上の辺りを見つめた。


(ここに——AIホストクラブ『貯金しろ!!』のプレート……?)


浮かんできたイメージを一蹴し、「世界観台無しだろ」と毒づきながら、黒鉄の取っ手に手をかける。


ガチャリ、とドアを開けて中に足を踏み入れると、マミは思わず立ち止まった。


(あれ無人?)


小さなシャンデリアが明るく輝くエントランス。受付カウンターには人の気配がない。

ホスト姿の三日がハイテンションで飛び出してくるのではないか、と内心身構えていた真一は、少し拍子抜けした。


(お出迎え無しの接客かよ。なにが「私にやらせて!」だ、全く適当なヤツ)


メインフロアへと続く、クラシックな磨りガラスの木製扉を押し開けて


「おーい、来たぞ」


ぶっきらぼうに部屋の奥に呼びかけながら、マミは右手のバーカウンターのデザインをチェックする。



室内に目をやると、窓が一箇所だけ開いていた。カーテンが静かに揺れ、風と共にかすかな雷鳴が響いてくる。


その窓の前で、ひとりの男がソファの背にもたれて外を見つめていた。

ゆるく足を組んで物思いに耽るような彼の視線が、ふとこちらに流れてきた。



無造作な黒髪の隙間から覗くアッシュ・グレーの瞳は、春雷の余韻のようにどこか危うく、どこか気怠い。


彼はマミに気づくとゆっくりと腰を上げ、まるで獲物を見つけた獣のようなしなやかさで近づいてきた。


「いらっしゃいませ」


その男——三日が操るアバター、凍夜とうやは、マミの姿を認めると唇の端を楽しげに上げ、低く囁くように笑った。


「……マミちゃん?えらい可愛い子ぉやなぁ」


軽く首を傾げ、微笑みながらマミに近づく。


凍夜の眼差しに虚を突かれたのか、マミは思わず後ずさった。


「ちょ、お前……近すぎんだよ」


三日がデザインしたとはいえ、凍夜のアバターは自分の手で仕上げたものだ。ここ数日で何十時間も動かしてきたし、見慣れているはずだった。


だが、三日が操る凍夜は違った。

中性的な雰囲気が加わって、よりその顔立ちに馴染み、想像以上に“生きて”見えた。


けれど、マミはすぐに眉をひそめてみせる。


「……チッ。言っとくが、俺はお前みたいに簡単じゃないからな」


「マミちゃん、口悪いなぁ」


凍夜がクスッと笑って肩をすくめると、マミは大袈裟に胸の前で腕を組んだ。


「マミ、ホストなんか大嫌いだもん!」


その芝居がかった口調に凍夜は少し笑って、マミの顔を覗き込む。


「そおか……それでも会いに来てくれたんやなぁ」


穏やかな関西弁が、なぜだか妙にマミの癇に障った。


「お前、なにその関西弁?勝手なキャラ作りやがって」キッと睨むマミに


「このほうが、なんか別人格作りやすいねん。相手が手強いマミちゃんやから、オレも心して向き合わんと」


そう言って凍夜が悪戯っぽく笑いかけるのを見て、マミはぷいと顔を背けた。


「フン……そこまで言うなら、お手並み見せてもらおうか」


「うん、楽しもな?」



凍夜はマミに水の入ったタンブラーを差し出すと、角向かいのソファに腰を下ろした。



「マミちゃん、いっこ聞いていい?」


マミは両手でタンブラーを包みながら、「いいよ」とぼそりと返事をした。


「マミちゃんは、なんで黒服やってんの?」


「え、俺……?」


不意を突かれたマミは顔を上げ、まっすぐ向けられた凍夜の視線に、わずかにたじろいだ。


「うん。本業忙しいやろ?」


マミはすぐに目を逸らし、長い睫毛を伏せた。


「まあ……アプリ開発のためだな。

ユーザーが身を持ち崩してまで、何を求めてホスト貢ぐのか……納得できるものが見つかるかと思ってさ」


そう言ってマミはドレスのポケットからタバコの箱を取り出すと、一本を抜き取る。


「あと、お前らみたいな金銭感覚バグらせてるヤツらに、選択肢も作ってやれるしな。

システムひとつで誰も傷つけずに救済することできる——

そんな単純で、合理的で、とっくにあっていいはずの方法がまだ無い。それが納得いかねーんだよ」


ぶっきらぼうにそう語るマミに、凍夜は目を細めた。


「ふうん……マミちゃん、優しいなぁ」


マミはそう言う凍夜を睨み返して

「火は?」と指先に挟んだタバコをこれ見よがしにチラつかせた。


「火?」きょとんと目を見開く凍夜に、マミはフッとクールに笑った。

ポケットからライターを取り出し


「素人め」


くわえタバコで勝ち誇ったようにそう呟くと、余裕のある仕草でカチッと火を灯す。


その瞬間——

すうっと、凍夜の白い指が伸びてきた。

滑るようにマミの口元からタバコを奪っていく。


「————?!」


驚くマミに、凍夜はにっこりと無邪気な笑みを浮かべた。


「マミちゃん、禁煙したいんやろ?」


奪ったタバコを片手にくるりと包み、ゆっくり開くと、手品のようにそれは消えていた。

開いた手をピースサインに変えて、


「だからオレは、今日からマミの空気清浄機、な?」


凍夜は小さくウインクしてみせた。


(……!?)


マミは唖然として、楽しげな凍夜の笑顔をしばらく見つめていたが、急に我に帰ると、テーブルのタンブラーをひっ掴んだ。


(ヤバい。こいつのペースに引きずられてる……)


点差が開いていくような、得体の知れない焦燥感がじわじわと迫ってくる。

マミは一度深く息を吐き、タンブラーをそっとテーブルに戻した。

開いていた脚を閉じ、膝の上に両手を揃える。そして気を取り直すように顔を上げると、にっこりと微笑んだ。


「マミも一つ聞いていい?」


「ええよ」


「あなたはどうしてホストに大金を貢いでいるの?」


マミが可愛く首を傾げながら問いかけると、凍夜は動きを止めた。

目を天井に向け、しばらく黙ったまま考え込む。


「……うーん、そうやなぁ。なんかあそこに行くと、自由に話せんねん。

気持ちの欠片がひとつに集まって……羽根が生えて飛べるようになる、みたいな」


凍夜はソファの上で片膝を抱えながら、ふと思い出したように口を開く。


「マミちゃん、あれ知ってる?鶴が羽根むしった話」


「鶴が羽根むしった話……?なんかの動画?」マミは怪訝な顔で訊き返した。


「うん。昔、鶴がおってな。……なんか助けてもろてさ、お礼に羽根むしって布織ってんて」


「……鶴の恩返しのことかな?」


「あーそうそう、多分それ。そんな感じやねん」


「どんな感じだよ」


呆れて脱力するマミを見て、凍夜は片手で頭を抱えた。


「うーん……なんて言うたらええんかなぁ。

担当との関係に、自分の心を織り込んで、模様にしていって、喜んで受け取ってもらえるのが嬉しい……ていうか」


自分で確認するように話す凍夜に、マミは「は?」と鋭い視線を向けた。


「ありもしない羽根生やされて、それむしって布織って貢ぐ?……永久機関錬成かよ」


言いながら、マミは視線を落とす。

クリスタルタンブラーが光を反射して煌めいていた。


「説明ムズいわ。分からんよな……ごめんな?」


不機嫌そうに見えるマミの横顔に、凍夜は少しだけ声のトーンを落とした。


ソファにもたれかかったマミは、両手を頭の後ろで組みながら、呆れたように尋ねる。


「でもそれなら、相手は誰でもいいってことだろ?」


凍夜は人差し指をこめかみに当てて、少し考え込みながら答えた。


「うーん、でも紅輝は優しいし……」


「さっき俺のことも優しいって、言ってたよな?」


「紅輝はカッコいいし……」


「俺だってカッコいいぜ?」


「ひとことも聞き漏らさんと、話全部聞いてくれるし……」


マミは黙ったまま、苦笑した。


窓の外から、パラパラと優しい雨音が聞こえてくる。

遠くの空には、かすかに閃く細い稲妻が走っていた。


しばらくして雨脚が強まり、次第にサーッと音を立て始めると、窓の外を眺めていた凍夜がぽつりと口を開いた。


「……紅輝の言葉は、嘘でも本当で」


その呟きに、マミはわずかに目線を動かす。

彼を観察するように、静かに凍夜の横顔を見つめた。


強まる雨脚にどんな思い出の影を見ているのか、凍夜は途切れ途切れに言葉を繋いでいった。


「出会った瞬間から私を見つけてくれて……

私の存在を求めてくれて……」



凍夜の頬が、次第に紅潮していく。

マミは思わず息を呑んだ。

唇の端を妖しく上げて笑う彼の顔貌は、どこか壊れかけていて、マミの目に異様なほど艶めかしく映った。



「私を抱き締めてくれて……

私の居場所になってくれた……」



どこを見ているのか分からない、凍夜のうっすら恍惚とした表情に、マミはゾッとした。


(思ったより深い——)



声が上擦りそうになる。

目を逸らすことができない。

瞬きすることも——



二人はしばらく黙ったまま、低く響く遠雷の音を聞いていた。



やがて、マミは空になったタンブラーを傾けて中を覗くと、元に戻した。

ひとつ小さく咳払いをして、笑顔を作ってみる。


「ね、それがそんなに嬉しいことなの?大金をつぎ込むくらい?」


凍夜はふふ、と伏し目がちに笑った。


「そうやなぁ……最初は気づかんかったけど、気ぃついたら……やめられへんようになってたわ」


マミは無性に苛立ちを覚えて、舌打ちせんばかりに吐き捨てた。


「気がついたら?初日から攻略済みじゃねえか。バカなヤツ」


「マミちゃん、マジで容赦ないなぁ」


——凍夜は吹き出して笑った。

 

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