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4.「ホストは諭すな☆貢がせろ!」


一週間後の土曜日、午後3時。

約束の時間通りに、三日はハルのアパートを訪れた。

玄関のドアを開けると、狭いキッチンからコーヒーの良い香りが漂ってくる。

隣のリビングでは、真一が椅子の背にもたれ、カップを軽く傾けながらハルとの雑談を続けていた。


「それで?取材までして、ホストのどんな話描いたって?」


電気ポットの湯量を確認しながら、ハルが肩越しに応じる。


「ざっくり言えば、リアル世界の女刑事が、バーチャル空間で殺人事件を目撃して、逃亡者を追ううちに愛の狂気に目覚めていく…って話かな」


「ホストは?」


「ホスト殺しの事件なのよ」


「それ、取材いる?」


「………………。いるけど?」


二人のやり取りに耳を傾けながら、三日はリビングに入るなり手慣れた様子でソファとローテーブルの隙間にクッションを二つ重ね、ぺたんと腰を下ろした。


「リアル世界のOLが、バーチャル空間でAIホストを目撃して、担当と話すうちに貯金の大切さに目覚めていく…っていうボツネタはどう?」


その言葉に、真一は手元のカップをテーブルに戻し、三日に目を向けた。


「感想は?なんかある?」


口調は抑え気味だったが、その視線には探るような色が窺える。


ログを見る限り、三日はチャットの想定ルートを一通りなぞっただけで、ゲーム自体に熱中しているとは言いがたかった。


初日以降、会話には感情の揺れも脱線もなく、どのやり取りも淡々としている。

それでも最低限の操作は、すべてきちんとこなしているようだった。


三日は真一に視線を合わせた。


「キャストの発想が奇妙で、推せない」


「奇妙?」


「『もっと自分を大切に』とか『アプリ卒業』とか」


キッチンの小さな棚から白いマグカップを取り出すと、ハルは三日に顔を向けた。


「え? 私、そこはいいと思ったけど?『自分を大切に』って、なんか信用できる感じしない?」


テーブルに両肘をついて、三日は「むぅ〜」と口を尖らせた。


「担当との一体感を求めるガチ恋勢としてはさ、『自分を大切にして』なんて言われると、『そのままじゃ受け入れられない』って拒絶されたように感じるんだよ」


言いながら、天井の一点を見つめる。ゲームでのやり取りを思い出しているのか、視線はどこか遠い。


「気持ちを届けようとしたのに、『そんなのいらない』って突き返されたみたいでさ」


テーブル横の黒い椅子に身を沈めたまま、真一は黙って三日の話に耳を傾けていた。


キッチンでティーバッグの箱をガサゴソと漁っていたハルが、代わりに応答する。


「へえ、そんな風に感じるんだ?……でもさ、『アプリ卒業』って目標は、別にアリじゃない?

貯金、頑張れそうじゃん。ダイエットアプリと同じノリでさ」


三日は視線を落とすと、

「違うよ。ダイエットは節制。沼は欲。この沼に卒業なんて不要だね」と、小さく首を振った。


カップに手を伸ばしてコーヒーを一口啜ると、真一は前を向いたまま低く呟いた。


「どの口が言ってんだよ。少しは自分の状況わきまえろ」


三日は両手で頬杖を付くと、不満気な声を漏らした。


「新しい依存先になると思ったのに……」


「新しい依存先?」


真一はテーブルにカップを戻し、半ば呆れて「お前な」と椅子の背にもたれていた上体をゆっくり起こした。

「依存克服とアプリ卒業がコンセプトなんだわ。ホスト育成ゲーなんて、とっとと卒業した方がいいに決まってるだろ?そもそも発想が違うんだよ」


「そう!そもそも発想が違うんだよ」


腕を組み、したり顔で頷く三日その表情からは迷いも葛藤も読み取れない。


「依存克服なんて、ホストにさせる仕事じゃない。

ホストは担当愛をガンガン煽って、依存させるのみ。AI紅輝がいたらなぁ……」


「依存度増してどうすんだよ!」


苛立ち混じりに勢いづいて、真一は畳みかけるように言った。


「お前みたいな社不、量産されんだろーが!

推し活依存で、社会的孤立も経済破綻も社会問題化してるっつーのによ」


しかし三日は、平然とした口調で切り返す。


「経済破綻しないようにサブスクにしたんでしょ?

アイテム課金の青天井は仕組みで潰したんだから、そこはもういいじゃん。必要なのは——」


天井を見上げて一拍置くと、確信めいた視線を真一に向けた。


「消毒槽じゃなくて、溺れても安全な深さ50cmの沼!」


ハルは冷蔵庫から真一が持ってきた小さなケーキの箱を取り出しながら、二人の会話に耳を傾けていた。

しばらく頭の中で要点をまとめると、間を繋ぐように二人に話しかける。


「安全な沼っていうのはさ……リアルホスト依存からAIホスト依存へ——もっと言えば“貯金依存”へシフトさせるための仕組みってことよね?

依存と貯金が同時に成立するための」


落ち着いて言葉にされた図式に、三日はぶんぶんと頷く。


「そうそう!(たぶん)

ゼリーに薬ぶち込んで、丸飲みする感じ!」


「つまりこういうことよね?」


テーブルに二人分のケーキを置きながら、ハルは三日の言葉をさらに要約する。


「AIホストと遊ぶためには、口座に残高が必要。

だから、ユーザーは必死で貯金する。

それは担当への依存心が、そのまま“貯金”という形に姿を変えるということ」


指折り数えるように、ひとつひとつ順を追って整理していく。


「で、アプリ卒業まではその貯金を使えないから、リアルホストにお金が流れることもなくなる。

結果、ユーザーは破綻しない——というルートが確保される。ここまでは真一の設計で、納得してる部分って感じ?」


三日が上目遣いでこくりと頷くのを確認して、


「でも、そこは安全であっても沼ではない。だから遊びに行きたいと思えない。結果、貯金の実践に至らない」


言い終えてから、ハルはふうっと小さく息を吐く。


「うん、めちゃくちゃ優しい設計だからこそ、中毒者にとっては沼の要素が必要なのかもね」


三日の紅茶と、自分の飲みかけのコーヒーを手に、ハルはローテーブルへと移動した。


「でもそれはそれで、ライトな依存者が増えそうだけど」


そう言いながら、三日の向かいに腰を下ろす。


三日は、湯気の立つティーカップを指先でくるむように持ち上げると


「依存上等!依存感情ごと受け止めてもろて、最後に残るのが貯金残高ならそれでええやろ?月額3,000円程度なら一生依存で本望だね」


ハルは軽く頷きながら、カップを口元に運んだ。


「ま、人は何かに依存するものかもね。

多少リアルの充足が犠牲になっても、

ショッピングとか、ギャンブルみたいな重課金型の沼よりかは、はるかにマシなのかも」



ハルと入れ替わるように真一は無言で立ち上がり、キッチンへ向かった。


換気扇の下でポケットからタバコの箱を取り出すと、一本を抜き取る。


女二人の「いただきまーす」という声が追いかけてくるが返事をするでもなく、わずかに睫毛を伏せた。



「ふたつめ」


三日は右手のフォークでケーキを口に運び、左手でスマホのメモアプリをスクロールしながらフィードバックを続けた。


「しんいちのアプリは、胡散臭い」


——カチリ。


ライターの音が、狭いキッチンに小さく響く。タバコに火をつけてひと吸いすると、真一は深くそれを吐き出した。


「……お前にだけは、マジで言われたくないわ」


三日がスマホから顔も上げず、ぼそっと


「ニッチなくせに『口座情報見せろ』とか、自意識どうかしてる」


と言い放つと、くわえタバコの真一も「ああ?」と気色ばんで、首をもたげる。


「まあまあ」


可笑しさを堪えながら、ハルは二人の間に割って入った。


「でも、確かにユーザーの理解を得るのは難しいかもね」


手元のカップをそっとテーブルに置くと、ハルは真一のいるキッチンのほうへ顔を向けた。


「自己申告制にするっていうのは?

アプリ内に口座作って、手動で金額入力するの。ダイエットアプリみたいにさ。それなら口座情報いらないよね?」


三日はすぐさま首を横に振り、


「貯金1億って打つ。秒w」とひとこと。


キッチンの向こうから、ひとりごとのような真一の低い声が聞こえてくる。


「……間に中継サービスかましてるから、アプリが直接銀行口座にアクセスしてるわけじゃない……

ちゃんと銀行の正規ルール使って、ユーザーの許可も取ってるんだけど……まぁ、分かんないよな、そんなこと」


真一の言葉に、ハルも頷く。


「仕組みが正しくても、信用を得るってなると、別問題だもんね」


「結論。胡散臭い!」


フォークを振り回す三日を「うるせーな」と横目で睨みつけ、


「でもまあ確かに……そこだよなぁ」と、換気扇の向こうに消えていく煙を気怠く見送った。


しばらくの沈黙のあと、ケーキをつつきながらモクモクとフォークを動かす三日を眺めていたハルが、不意に「あっ」と声を上げた。


顔をパッと明るくしながら、真一のほうを振り返る。


「ね、銀行のコンペは? あれに出せばいいんじゃない? 銀行のお墨付きもらえて、信用されるかもよ?」


肩に手をやり、ダルそうに首を回す真一の姿が見える。


「同じだろ? ユーザーにはコンペなんて関係ないし。そもそも出さねーし」


そのやり取りを聞きながら、三日はフォークの手を止め、二人の顔を交互に見た。


「なにそれ? なんの話?」


少し勢いを削がれたものの、ハルは期待をシェアするように三日に説明した。


「なんかね、貯金を促す系のアプリを募集してるらしくてさ。

最優秀賞を取ると、銀行と一緒に実証実験ができるんだって。

賞金500万も出るし、銀行の公式サポートまで受けられるらしいよ」


カップ片手にさらりと語るハルの向かいで、三日の瞳はキラリと輝いた。

ピンと伸ばした人差し指を突き出して、


「それだーーーーーっ!!」


と真一にアピールするように、勢いよく身を乗り出す。


「なにが『それだ!』だよ」


最後の煙を吐き出して、真一はうんざりしたようにあしらった。


「しんいちのアプリがデータを読み込むんじゃなくて、銀行の口座アプリ自体にゲーム機能を付けたらいいんじゃない?」



「…………は?」


真一は眉間に深くシワを寄せ、思い切り怪訝な表情を三日に向けた。


フォークでケーキをつつきながら、ハルは三日のアイデアと真一の反応をおもしろがってニヤニヤしている。


「なにそれいいじゃん。銀行の中で完結するなら、そっちのほうがいいわ」


三日が片手を上げながら、


「オンラインゲーム機能付き銀行口座!

AIホストクラブ『貯金しろ!!』」


と言うと、ハルもパチンと手を合わせて賛同する。


「銀行っぽい!」


「どこがだよ!? 真逆だわ!!」

 

携帯灰皿にタバコを押し付けながら、真一は語気を強めた。


「銀行にホスゲーのケツ持ちさせんのかよ!?銀行の体裁ってもんがあるだろうが!」


三日はおかまいなしに、両手の拳を胸の前で合わせると、親指をぴっと立てて満面の笑みを浮かべた。


「推しが通帳に住む国、ニッポン!」


「わあ、チャットボットの独自進化。ガラパゴス的にカワイイ! 」


ノリ良く合わせるハルに


「リアルの充足と引き換えで、すぐにビザ取得!」と、三日も調子づく。


二人のかしましい脱線を制止すべく、真一が割って入った。


「そんなビザは発給拒否だ!銀行のコンペにホスト育成ゲーなんて出せるか!ネットに晒されたら本名で生きていけなくなるわ!」


「まあ確かに銀行協会主催だと、地銀や信金も絡んでくるから、子育て世代や高齢者も対象になる分、ホスト育成要素はめちゃくちゃ悪目立ちするかもね」

ハルは両手を後ろに突いて背筋を少し反らせた。

「でもその辺はホスゲーってより、推し活全般に広げてさ。銀行向けにクリーンな感じで調整すれば、いけるんじゃない?」

真一を軽くいなすハルに、「うんうん。全銀協もニッコリ」と頷いて、三日は

「みっつめ」


と再びメモアプリをスクロールした。


「さっき推し活依存は危ないって言ってたけど、問題は逆に、そこまで推せる担当を作れるかどうかってこと」


「……それは一つ目で聞いた」


真一は憮然とした様子で椅子に腰を下ろすと、冷めたコーヒーを飲み干した。


「紅輝モデル、作ってよ」


どさくさに紛れて言い放つ三日に、「結局そこかよ」と投げやりに呟きながら、真一は椅子の背にもたれて目を閉じた。


「法律的にアウトなんだよ。一般人にも肖像権はあるからな」


「テスト版だし、バレなきゃいいでしょ?」


すかさず返す三日に、ハルは呆れて肩をすくめる。


「法律の壁を恋の軽い翼で飛び越えていく、民事トラブル持ち込み系女ロミオ……」


「たぶん絶対アプリ改善に役立つから!」


真一は目を閉じたまま、さらりと受け流す。


「お前個人の偏った評価だろ。却下」


三日は腕を組み、「うむむ……」と唸りながら天井を見上げ、そしてがっくりと首を落とした。



しばらくのあいだ、何やら一人で悶々と考え込んでいた三日だったが、 やがてパッと顔を上げると、「ねーねー!」と声を弾ませて真一に呼びかけた。


「私にホストやらせてよ!」


「…………?」


聞こえないフリをする真一に、三日は構わず畳み掛ける。


「それでしんいちは姫ね!」


あまりに唐突な提案に、真一は思わずパチリと目を開けた。


だが、三日の様々な発言にすでに免疫ができつつあるのか、面倒そうに手をひらひらさせながら、適当にあしらう。


「なんで俺が、ホストの客やんなきゃいけないんだよ。死んでもイヤだわ」


「だってせっかくいいアプリなんだよ?このまま誰も使ってくれなかったらもったいないじゃん」 


「…………」


(このまま誰も使ってくれなかったら——)


ハルを含めたこれまでのモニターの反応がどれもいまひとつだったことを考えれば、三日の指摘も、案外見当違いではないのかもしれない。

もしかしたら、このふざけた発想に、起死回生の一手が隠れているのか……?


真一は冷静を装いながら、努めて三日のアイデアを客観視しようとした。


「それに、コンペの賞金とか、夢の利益数億円とか、ワンチャン手に入るかもしれないじゃん!」


数年前に比べ、空間デザインも3Dアバターも自動生成が進み、開発コストは格段に下がっている。

とはいえ、これまでの開発費が50万を超えようとしている現状、このまま無策に赤字路線を進むわけにはいかなかった。


「時々、ホストクラブってより保険の営業装置みたいだし」


「…………」


「あと、しんいちのポエマーおじさんぶりが全開すぎて……」


三日が深刻な表情を作って真一の顔を覗きに行くと、彼の眉の端がピクリと上がるのが見えた。


「私に折らせてよ!しんいちが作った黒歴史のフラグ!」


「おぉぉぉい!!」


言いたい放題の三日に、真一は勢いよく上体を起こした。


「どこが黒歴史だって?誰がポエマーだよ!」


椅子の背に肘を掛け三日を睨み据えると、彼女はニッコリ笑いながら、迷いなく人差し指を突きつけた。


「……そこまで俺を煽るからには、それなりの勝算があるんだろうな?」


ギリリと視線に圧を込めるが、三日はケロッと答えた。


「ある!(適当)」


「じゃあやってみろよ。俺を課金に誘導できるかどうか。まあ、俺はホストに課金なんてしないけどな?」


三日を抑え込もうと、真一は不敵に笑ってみる。


「自信があるって言うなら、作ってやってもいいぜ、お前が乗り込むアバター。どうする?」


「やる!(勢い)」


「……セッションは10時間以内。できなかったらアプリ完成まで、お前、無給モニターな?」


「いいよ!(流れ)」


こめかみに指を当てて眉をしかめる真一をよそに、三日はカバンからDAISOロゴのスケッチブックを引っ張り出した。


サラサラとペンを走らせること2分。


「私のキャラ、これで!」


ペリッと一枚、紙を剥がすと、三日はそれを真一のほうへ差し出した。


真一は受け取ったその紙をじっと見つめ、しばし沈黙する。


ラフスケッチには、白いシャツに黒っぽいジャケットを羽織った男が描かれていた。黒髪に中性的な顔貌。両耳にピアス、片耳にイヤーカフがふたつ——。



「………お前めちゃくちゃ絵上手いな」



——こうして、男女逆転のバーチャルホストクラブ・シミュレーションが、静かに幕を開けた。


のちに自ら、法律の壁を飛び越えるような真似をすることになろうとは——このときの真一は、想像すらしていなかった。

 

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