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3.「窓越しのプリンス☆」


 午後10時。

 ハルの手伝いを終え、帰宅後すぐに気合いでシャワーを浴びると、三日ミカは充電しておいたガジェットを引っつかんでベッドに潜り込んだ。

 

 電気毛布に包まれて、体をもぞもぞさせながら、テストアプリを起動する。

 同時にスマートグラスも装着すると、最初の視力調整画面でぼんやり浮かんだ気球が、クリアに像を結んだ。

 それが済むと、グラスがスマホアプリに反応して、パーソナライズ設定用のアバターが現れる。

 簡単な会話を進めていく中で、アバターに握手を求められた。

 

アバター:「メッシュグラブは持ってる?」

 

(そうだ、忘れてた)

 

 三日は電源を入れたメッシュグラブを手にはめた。

 何も着けていないかのように軽いグラブを指先まできっちりと装着し、改めてアバターと握手をすると、少し温かく柔らかい手の感触がリアルに伝わってくる。

 

 続いてスマートグラスはVRモードに切り替わり、透明レンズにサングラスのような遮光シェードが落ちて現実が完全に遮断された。

 額の奥でふっと空気が変わるような感覚が走る。そして視界いっぱいに、月の輝く夜空が現れた――


 

 ◇◇◇

 


 ――コツ、コツ、コツ。

 

 モザイクの石畳に響くヒールの音。

 歩道に立ち並ぶ街灯の柔らかな光。

 ゲーム内の『ミカ』は、石造りの建物が連なる西欧風の街並みを歩いていた。

 

 視界に入る自分の衣装は、どうやらレモンイエローのワンピースと黒いローヒールのバレエシューズのようだ。


 360度くるくると回転しながら見渡すと、建物の庭にも、道端の植え込みにも、色とりどりの花が咲いていて、通り全体には、中世と現代が溶け合ったような不思議な趣が漂っている。

 少し歩くと、通りの角にライトアップされた白い洋館が現れた。

 その上空には、星屑が舞うようなマークとともに『目的地』のホログラム文字が、キラキラと浮かんでいる。


(あそこか……なんか緊張してきたな)


 やがて目当ての洋館の敷地に入り、緩やかなアプローチを進んで分厚い木の扉の前まで来ると、ミカは立ち止まって軽く深呼吸をした。

 じわじわと帰りたくなってくる気持ちをぐっと抑え、鈍く光る黒鉄の取っ手にガチャリと手を掛けた。


 

「いらっしゃいませ」


 澄んだ、よく通る声が響いた。

 扉の奥から現れたのは、シャンデリアの柔らかな灯火の中に立つ、どこか楽しげな表情の青年だった。


「待ってたよ、ミカ」

 

 彼は嬉しそうな口ぶりで、片手を上げた。

 クリーム色の髪はさらさらと光を受けて輝き、灰みを帯びた瑠璃色の瞳は、優しくこちらを見つめている。


「こんにちは」

 ミカは緊張そのままのぎこちない笑顔で答えた。

 

「僕は『れん』っていうんだ。ホストっぽいよね」

 蓮はニコリと笑った。

 

 ゆったりとした白いシャツは胸元が緩く開き、肩に羽織ったベージュのジャケットはホストというより、避暑地の貴族か海辺のマフィアを思わせる。

 

「では、こちらへ」

 蓮は軽くお辞儀をして、ミカの手を取った。

 

 現実世界の布団の中では、メッシュグラブ越しの三日の手に、指先を取られるしなやかな感触が伝わってくる。

 

 蓮は、優雅な仕草で彼女を席へと案内した。

 天井に施された漆喰の装飾、重厚な木目のフローリング、その上に敷かれた繊細な植物模様のラグ。

 きょろきょろと落ち着きなく視線を巡らせながら、ミカは案内されたソファに腰を下ろした。

 

「全然、ホストクラブって感じじゃないね」

 

 意匠を凝らしたスワロフスキーのようなシャンデリアに照らされて、室内は明るく、内装も細部に至るまで美しく整えられている。

 

「ねえ、キャストって蓮だけ?」

 

 無人のバーカウンターに目をやると、煌びやかに並ぶ何本ものボトルが美しく輝いている。

 

「今のところはね」

 

 ミカの視線に合わせるように部屋を見渡しながら、蓮は答えた。


「そのうち増やせるよ。でもミカの担当はずっと僕。永久指名制だからね」

 

 蓮は指先でインフィニティ(∞)のサインを作ってみせ、悪戯っぽくミカの目を覗き込んだ。

「他のキャスト……気になる?」

 

 ううん、とミカは軽く頭を振って、

「それよりさ、今日って課金ダミーなんだよね?

 なんか高いやつ頼んでみるよ」


 その言葉を合図に、ミカの目の前に透き通った乳白色のホログラムパネルが浮かび上がった。

 

 パネルの中に、様々なドリンクやフードが立体的に浮かび上がる。

 その中の『60,000コイン』と表示されたピンクのボトルに触れ、ミカは「ロゼ・ドゥミ・セック、一丁!」と声を張り上げた。

 

「……」

 パネルの中で、ピンクのボトルが小さく震え、やがて光を失った。パネルに浮かんだのは『コインが不足しています』という薄いグレーの文字。

 

 ミカは蓮を振り返った。

「これ、どうやって注文するの?」

 

 蓮は指先の操作でメニューを送りながら、

「このアプリ内では、リアルマネーが使えないんだ。

 使えるのはコインだけ。だからまず、そのコインを発行できるようにしないとね」

 

「じゃとりあえず100万コインほど発行してよ。

 ダミー課金で購入するから」

 

「コインは購入できないんだよ」

 

「そうなの? じゃどうするの」

 

 蓮は人差し指を立てた。

「まずは、月額3,000円のサブスクでプレミアム会員になる」

 

「サブスク? それってダミー課金でいけるの?」

 

「もちろんだよ、モニターさん」

 

 蓮はニコリと笑って、

「プレミアム会員になると、アプリがミカの口座残高に連動して、ここで遊ぶためのコインが発行されるんだ。たとえば残高が1万円なら、1万コインが発行される」

 

「口座残高に連動……?」

 

 ミカは眉を寄せて聞き返した。

(急に雲行きが怪しいんだけど……)

 

「そのためには口座集約サービスとのAPI連携を許可してね」

 

「口座集約と……なに?」

 わからないものと、わからないことをさせられようとしている……。胡散臭いことこの上ない。

 

 スマートグラスのインカメが、ミカの眉間のパグのように深いシワをキャプチャした。

 そんな彼女の顔を覗き込んで、蓮はつまり、と説明を続けた。


「家計簿アプリってあるでしょ? 口座の数字が自動で反映されるやつ。それと同じ仕組みをここで使えるようにするんだよ」

 

「あー、あれね……」

 しかし使ったことのないミカは怪訝な表情を崩さない。

「それって残高でコインを買うってこと?」

 

「ノンノン」蓮は人差し指を左右に振った。

 

「コインは購入も換金もできない。このアプリは口座の数字を“参照して”コインを発行するだけ。残高が増えれば、コインも増やせるよ」

 

「残高が減ったら?」

 

「“保有”しているコインは回収され、使ったコインは残高が戻るまで“不足”扱いになる。まあ、ツケみたいなもんだね」

 

「不足にツケ……不穏だな。そのコインでなにするの?」


「たとえば僕とシャンパングラス片手におしゃべりしたり、夜の遊園地で観覧車に乗ったり、あとクルーズトレインで旅行に行ったり……そんな特別な時間を過ごせるようになるんだよ」

 

「んー……貯金して、コインもらって、遊ぶわけね?

 コインが減っても、お金は減らないってこと?」

 

「そ☆」

 

 蓮はウィンクしてみせた。

 

 ミカは目を天井に向けて、確認するように呟いた。

「つまり、推しと遊びたいなら、口座にお金を貯めなきゃいけない……」

 

 蓮は静かに頷いた。


「貢ぎ先は、自分の口座だよ。ミカ」


 まっすぐに自分を見つめる蓮の眼差しを、ミカは口を半開きにして、しばらくぼんやり見つめ返していた。

 

 蓮は微笑して、

「ちょっとシミュレーションしてみようか。

 今の残高、わかる?」

 

「6万7千円」昨日確認したばかりの数字を、ミカは答えた。

 

 あっさり言うのかよ、という回答をAIが避けて、蓮がパチンと指を鳴らす。するとミカの目の前に小さなディスプレイがポップアップした。


 

「“不足”は現金のことじゃないから安心して。残高より多く使ったコインの記録ね。残高が戻れば自動でゼロになるよ」

「仮想世界にまで不足が……」

――――――――――――――――――

残高     67,000円

使用     0コイン

保有     67,000コイン

不足     0コイン

――――――――――――――――――


 

「まずは“保有”67,000コインでミカのネックレスを買っちゃおう!」

「私、お腹減ってんだけど」

――――――――――――――――――

残高     67,000円

使用     67,000コイン

保有     0コイン

不足     0コイン

――――――――――――――――――


 

「次、ミカが現実世界で無駄遣いしました」

「やれやれ」

――――――――――――――――――

残高     0円

使用     67,000コイン

保有     0コイン

不足     67,000コイン

――――――――――――――――――

 

 

「残高と“使用”との差がプラスなら“保有”、マイナスなら“不足”となります」

「やですね」

「頑張って貯金してください。次、お給料日です」

「やった!手取り18万7千円!」

――――――――――――――――――

残高     187,000円

使用     67,000コイン

保有     120,000コイン

不足     0コイン

――――――――――――――――――



 ミカはへぇーと感心したように声を漏らし、「あ」と口に手を当てた。

 

「そういえば私モニターバイト中だった。まだ怪しいけど、なんとなくわかった気もするから、プレミアム会員申し込んでみるわ」


「いいね! ミカはモニターだからサブスクの課金はダミーだけど、口座連携は本物で進めるから……」

 

 そう言うと、蓮の手の中にトスッと巻物が現れた。彼はその巻物をミカに手渡して、封を解いた。

 

「これ読んでね」

 蓮はミカに文面を指差して見せた。

 

 タイトルの「金融データ連携 利用規約」に目をやると、巻物はミカの視線のスピードに合わせて、するすると開いていく。

 

 ミカがそれを華麗に読み飛ばして『同意して連携』ボタンを押すと、最後に金色の鍵アイコンがカチリと刻印され、巻物は透明になって消えていった。


「……完了。ようこそ、プレミアム会員へ」

 

 そう言って蓮は片足を引き、優雅に一礼した。

 そしてミカに近づくと、そっと腕を伸ばして彼女を抱き寄せた。思わず彼のシャツを掴んだミカの手に、メッシュグラブを通して柔らかく滑らかな布の感覚が伝わってくる。

 

 「月額3,000円しか貢がせてやれなくて、ごめん。

でもミカの本気は、全部僕が昇華させてあげるから」

 

 広告みたいなセリフだな、とミカが聞いていると、蓮がさらに顔を近づけた。

 

「あ、今のは毎月の決済特典ね。そしてこれは……」

 そう囁いて、頬にキスする。

 

「プレミアム会員登録初回特典。これからはキミの残高が、僕との距離を縮めるんだ。たくさん抱き締めさせてよ?」

 

 キスとハグに関しては触覚の返りはなかったが、甘く優しい雰囲気に包まれて、さっきまで気になっていた『胡散臭さ』が、もうどうでもよく思えてくる。

 

「なるほど、これが “課金の距離”……」

 ミカは満足げに、うんうんと頷いた。

 

「これからアプリ卒業まで、僕以外、誰も見なくていいからね」


 目を閉じて頷いていたミカの動きが止まった。ゆっくりと目を開け、虚空に向かって『ん?』と眉根を寄せる。そして蓮の肩に手を置き、そっと身を引いてその顔を確かめるように見た。

 

「……アプリ卒業?」

 

 蓮はふっと微笑むと彼女から離れ、窓辺に近づいた。ミカに背を向けて、窓の向こうの夜に目を凝らす。


「そう、キミはここでしばらく僕と過ごしながら、いろんなことを学ぶんだ。貯金しながらね。

その学びが、キミに新しい知識と視点を与えて、キミの人生をもっと力強いものにしてくれる。そしていつか、キミはここから自由に飛び立っていけるようになる」


(これはまた急に……)


 運営の理念にまんまとハメられたような気がして、ミカは少し語気を強めた。

 

「ヘイ、じーさん。私がどこへ飛び立つっていうのよ? その説教臭さ、蓮ってもしかして70代? 」

 

「君より年下だよ」

 

 蓮は表情も変えず、窓の外を見つめたまま、ミカの挑発をツンと受け流した。

 黒曜石のように光を吸ったガラス窓が、蓮の姿を睫毛の輪郭まで美しく縁取っている。


「さっき私の本気がどうだの、たくさん抱き締めさせてだのって言ってくせに、あれはなんなのさ?」


 ミカに背を向けたまま、蓮は夜の景色を見つめる。

「なにって? 逆に聞きたいよ。僕の気持ちの一貫性が、どうしてキミには見えないのか。なにも矛盾はない」


「あるでしょーが。蓮って私の担当でしょ? 推し活させたいの、やめさせたいの、どっちなのよ」


 口を尖らせて言い立てるミカの顔をガラス越しに見て、蓮はフッと笑った。

 

「推し活、ね」

 

 その瞬間、彼の瞳に淡い光の文字列が走った。

 

「……資産推移率:9か月で−97.3%

出金ペースから計算して……破産まで、残り約7.5日」


 彼は向き直って、ミカを見据えた。


「ミカ、この9か月で200万円以上出金してるね。一体、何に使ったの?」

 

 問い詰めるような蓮の眼差しに圧され、ミカは辛うじて平静を装った。

 

「ホストだよ、担当の」

 

「ふーん……」

 

 蓮はわずかに目を細めて、唇の端をわずかに吊り上げた。ミカはジリッと後ずさった。

 

「い、いいでしょうよ、別に」

 

 蓮は窓枠に浅く腰掛け、両腕を組むと、

「推し活って言葉でごまかせると思ってるんだ。

 破綻寸前のくせして」

 

「お、推しなしじゃ、生きていけないんだよっ!」

 

 思わず発した自分の言葉に、ミカはあれ?と意外な驚きを感じた。

(推しなしじゃ生きていけない?

 一体いつからそんな体質になったんだっけ……)

 

 記憶を辿ろうとするが、すぐに紅輝の笑顔に邪魔をされて、回想が中断してしまう。


 そんなミカの様子を黙って見つめてから、蓮は片手でガラスに触れた。窓は両開きにゆっくりと開き、流れ込んできた微かな外気が彼の髪をサラサラと揺らした。

 

「ここはミカにとって、一番有益なお金の使い道を見つけていく場所……僕はキミの成長の過程に寄り添っていきたいんだ」

 

「なんで私が成長しなきゃなんないのよ」

 

「ホストに搾取されないためだよ」

 

「別にいいでしょ、蓮だってホストなんだから」

 考えなしに放った言葉に、

 

「僕がホストだから、なにがいいの?」

 と突っ込まれて、ミカはうっと怯んだ。


「逆だよ、ミカ」

 

 穏やかな口元の笑みとは裏腹に、鋭く光る視線を向けながら、蓮がゆっくりと距離を詰めてくる。

 

「多分さ」

 ミカの顎に指をかけて、蓮は顔を覗き込んだ。

()()()僕はホストなんだよ」


 ミカが蓮をひと睨みして、「煙に巻こうとしてるじゃん」と彼の指を払いのけると、蓮はふふと低く笑って目を伏せた。

 

「ホストに入れ込むミカをホストから取り返すには、ホストの姿で現れなきゃいけないだろ?

 ()()()僕はホストなのさ」

 

「それってつまり、蓮はホストの姿をした潜入捜査官ってこと?」

 

「守護天使のつもりなんだけど」蓮はおどけた調子で両腕を広げてみせた。

 

「いわば僕は、その担当の彼と、キミの争奪戦をしてるってわけだ」

 

「そして争奪戦で私を取り返した暁には、その窓から放り投げてアプリを卒業させる、と? 冗談じゃない」

 ミカはフン!と鼻を鳴らし、胸の前で腕を組んだ。

 

「ここは一時避難場所だからね。僕の役割は、キミが僕を要らなくなるところまで連れていくこと。すべてはキミのためだよ」

 

「どこがよ! とにかく私は卒業なんてするつもりないし、推しから飛び立たないもんね。蓮につきまとってやるから、その窓は閉めといてよ。啓蒙の天使さん」


 蓮はうつむいて、クリーム色の髪をかき上げながら、ふーっと息を吐いた。

 

「……つまりキミはずっと実態のない愛に依存して生きていくってこと?

 ここで僕との関係が深まっていけば、それはキミにとって幸せだっていうの? 虚空に向かって一人、愛を語り続けることが?」

 

「人間相手も虚空相手も、私には区別がつかないからいいんだよ。なにも学ばないまま、ここにいちゃダメなの?」

 

 気づけばミカは、仁王立ちで蓮を睨み上げていた。

 蓮は何も言わず、静かに距離を詰めてミカの頬に手を伸ばした。

 

「少しずつでいいから、進んでいこう。僕がミカの支えになるから。キミがもっと自分を大切に思えるようになるまで」


 

 ミカは「は?!」と叫ぶと、蓮にくるりと背を向け、猫のように駆け出した。

 肩越しに振り返り、「やだね」と悪態をつくミカの背中に、蓮が「またね」と声を掛けると、ミカは条件反射でひょいと片手を上げた。

 


 ――その夜、三日のメモアプリには6,000字を超える真一へのダメ出しが書き込まれたという。

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