2.「モニター?お任せあれ☆」
雨宮晴花の部屋は、今日もお洒落で落ち着いていた。モノトーンを基調とした室内は掃除が行き届き、観葉植物には埃ひとつない。スマートハブらしき機器類も統一感のある箱に収まり、さりげなく部屋の隅に置かれている。
しかしその中で一か所だけ、異彩を放つスペースがあった。それは三日が訪れるたびに内容が変わる、壁に並んで掛けられた男性アイドルグループの電子ポスターだった。
そんな部屋の一角で、三日は無料版のデザインアプリを操作していた。ハルの漫画のキャラ衣装を生成するためだったが、まるで集中できない。諦めて手を止めると、天井を仰いで大きくため息をついた。
「はぁぁぁ、紅輝のバースデーどうしよ。
借金? 夜職? それとも宝くじ……」
ハルは、ローテーブルに突っ伏す三日に振り向き、眉を寄せて尋ねた。
「さっきからなに。空気が不穏なんだけど」
三日は突っ伏したまま
「担当を愛しすぎた……」
「担当? あんたが!? どこの担当!?」
三日が状況をかいつまんで説明するのに耳を傾けながら、ハルは途中から頭を抱え始めた。
「……それ、私が元凶じゃん」
九か月前のこと――。
ハルは漫画の取材ついでに「一度ホストクラブへ行ってみよう!」と思い立ち、軽いノリで三日に同行を頼んだ。
安心要員のつもりだったが、まさかそれが彼女を思いもよらぬ窮地へ追い込んでいたとは――。
「信じられない、あんたがそんなにハマるなんて……」
「私も昨日、残高見てビビったよね」
三日が他人事のように唇を尖らせる。
「てか、もうブロックして逃げなよ!」
「もはやちょっとした家族なんだよ」
三日の能天気な笑みに、ハルは呆れて言葉を失った。
「雑魚素人が見事な釣られっぷり……」
三日は謎に、首を横に振る。
「彼との絆は永遠だし!」
「なるほど。じゃないのよ」
「でもまぁ、自縄自縛で動けんわ……どうしよっかなぁ」
「ゲロ吐きそう……」
ハルは表情を曇らせて、頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てた。
その時、インターホンが鳴った。
「あ、来た」
ハルが立ち上がってドアを開けると、背の高い男がスマホ片手に立っていた。
ダークグレーのテーパードパンツに白Tとオーバーサイズのシャツといったラフな出で立ちだが、寝不足なのか目の下にはクマが見える。
「写真撮ってきた」
男はぶっきらぼうにそう言うと、片手でスマホに指を滑らせながら、無造作に部屋へと入ってきた。
「ありがとね。そっち座ってて」
ハルは電気ポットの湯量を確認しながら、自分の作業机の横の椅子を指差した。
彼は部屋に入るなり、ローテーブルで頬杖をつく三日の姿に気づいて、ピタリと立ち止まった。
「あれ……」
その声に、三日も顔を上げる。
(……ん? この人……?)
男はしばし無言で三日を見つめた。
そして数秒の間をおいて、口を開いた。
「紅輝のカモじゃん」
「――――ッ?!」
三日は目を剥いて、反射的に体を起こした。
(そうだ!この人昨日、紅輝に『風営法が……』って言ってた黒服の……!!)
ハルは湯気の立つコーヒーカップを片手に、困惑した様子で二人を見比べ、「知り合い?」とそれぞれの顔を見た。
「……そっか! 私たち真一が内勤やってる店に行ったんだもんね」
彼の名は日高真一。
ハルの大学時代の同期で、現在はシステムやアプリ開発を生業にしている。
ハルが取材先に選んだ『IGNIS』は、真一がときどき内勤として顔を出しているホストクラブだった。
もともと彼は、会計システムの開発を依頼されたことがきっかけで店に関わるようになったのだと、三日は以前、ハルから聞いていた。
ひとり納得しているハルを横目に見つつ、真一は作業机の脇に腰を下ろし、顔を上げて話題を切り替えた。
「アプリどうだった?」
ハルは『え、なんだっけ?』と言いそうになったのを咳払いでごまかし、「あー、あれね」と大きく頷いた。
二週間ほど前に真一から頼まれた、VRチャットゲーム『AIホストクラブ「貯金しろ!!」』のテストプレイ。
スマートグラスをかけてアプリにログインすると、自動でVRモードに切り替わり、目の前に仮想空間とAIキャラが現れる。そのキャラとチャットしながら貯金に励む、というのがゲームの内容だった。
「キャラも映像もいいんだけど、いまどきホスゲーってのがさ」
「まあな」
ハルがほとんどAIホストとの会話に興味を示さなかったことを、真一はログで確認済みだった。
「なんでホスゲーなの? アイドルと同棲できるとかなら、課金するけど」
ハルはニコニコと、親指で壁のポスターを指した。
「アイドルは権利的に使えないし、VRは一部規制と仕様のせいで思うように触感フィードバックが返ってこないからさ。同棲なんてことになると、逆にフラストレーションがたまるんだよ」
真一は壁に目もくれず、ポケットから紙巻きタバコと携帯灰皿を取り出した。
「禁煙外来どうしたの?」
「挫折した」
「そっか、お帰り。……私も一本ちょうだい」
二人はため息交じりに立ち上がり、キッチンの換気扇へ向かった。
「ホスゲーってなに?」
うつろな目で聞くともなく二人の会話を聞いていた三日が、頬杖をつきながら不意に口を開いた。
ハルはキッチンから三日に向かって、
「うーん、VRでチャットするんだけどさ――」
言いかけたところでハッと大きく目を見開いて、隣の真一に顔を向けた。
「ねえ!あのゲーム、三日にモニターしてもらったら?」
「あ?」咥えタバコの真一が短く反応する。
「ね、三日。AIホストクラブってゲームのモニター、やってみない?」
「なにそれ。やる」
「AIが接客するホスト体験ゲーでさ……」
「やる!」
「勝手に決めんな」
携帯灰皿にタバコを押し付けながら、真一は視線だけをハルに向けた。
「三日のほうが、絶対良いアイデア出せると思うんだよ」
「こんな小学生みてーなやつが?」
今度はチラリと三日に視線を向け、真一はまた椅子に戻った。
「でも三日こそターゲット層でしょ? むしろ頭を下げてでもお願いすべきだよ」
少しでも三日をホストの沼から引き上げようと、ハルは食い下がった。
「もしかして黒服がホスゲーのモニターを頼むと、なんだっけ……利益相反?とかになるの?」
いや、と真一は首を振る。
「モニター頼むくらいは問題ない。中身は……まあ、そのうち店も辞めるし関係ないな」
そんな二人のやり取りをよそ目に、三日は天井を見上げて小さく呟いた。
「あー、安全に稼げる夜職とかないかな……」
「どこの世界線探せば安全な夜職なんて見つかんだよ」
スマホから目を離さず、真一が冷たく言い放つ。
「どうせ紅輝のバースデーで酒入れる金が欲しいだけだろ」
三日はまたもテーブルから跳ね起きた。
(クッ……この黒服、職業倫理どうなってんだ!私の個人情報を……!!)
ぎりりと真一を睨みつけ、「言うなっ!」と抗議するが、待てよ、と視線を天井に移す。
(もうバレてるし、隠す必要もないか。こいつはいつかどうにかして、償わせてやる)
そう開き直って三日はハルに尋ねた。
「ね、モニターってなにすんの?」
「VRホストクラブでね、AIホストとチャットするの。貯金したり、金融リテラシー向上のためのレクチャー受けたり。継続率とか、どこで課金したくなるかとかを見たいんだって。当たれば大きいらしいよ」
「AIホスト×VRゲーム×貯金……ホス狂が人生最後に見る夢やん」
三日は身を乗り出して、
「モニター、やりたい!」と、真一の顔を覗き込んだ。
「金融リテラシー向上はいらんけど」
スマホ画面をスクロールしていた真一の指がピタッと止まった。顔を上げて無言のまま三日を見る。
「……お前、金の管理したことある?」
「ある」
「じゃあなんで10万のシャンパンしょっちゅう抜いてんの?」
「それは流れで」
「普通そうはならねーんだよ。リテラシー低すぎて数、数えられなくなってんじゃねーの?」
「……」
ハァと息をついてスマホ画面に視線を戻す真一に、三日はぽつりと呟いた。
「でも内容詰めすぎ。貯金だけでいいよ」
――え? と声が漏れかけて、真一は思わず顔を上げた。
しばし無言のまま三日の表情を見ていたが、彼女がなぜそんなことを確信を持って言えるのか、いまいち真意が掴めない。
「それ、なんか根拠あんの?」
「――女の勘!」
「……」
軽く曲げた人差し指を顎に添え、真一は何かを探るように宙を見つめた。
(確かに気になっていた点ではある……)
教育要素を密かに忍び込ませたとしても、興味がなければただのノイズだ。特に『ホスゲーを始めよう』なんてユーザーには離脱要因になりかねない。まして、そんな知識が彼らの人生設計に資することを期待するのは、あまりに高望みなのではないか……。
「まあ、一理あるかもな」
真一がボソッと呟く。
「リテラシーは後回しでいいか。まずはコンセプトの収斂だな」
「コンセプトは収斂させてなんぼ」
「チッ……」
黙っていても気配がうるさい三日に舌打ちして、真一はひとりごとのように言った。
「まともなフィードバックは期待できなくても、確かにこいつはターゲットユーザーのどセンターだ。
課金層への訴求ってことなら、試してみる価値はあるかもな……ホス狂のポテンシャルに乗っかってみるか」
「お?」
下から顔を覗き込んでくる三日を、真一は改めて見返した。
「モニターやってみる気ある? モニター料、出すけど」
「モニター料!?」
三日はバン!とローテーブルに両手をつき、身を乗り出して叫んだ。
「やるやるやるやる!!!!」
再び小さくため息をついて、真一は「じゃあスマホ出して」と告げた。
「今からテスト版送るから、TestFlight入れて、このコード入力して」
「TestFlightってなに?」
スマホを手に説明を求める三日に、「アプリのテスト版配る用のやつ」と流して、真一は操作を続けた。
三日は言われたとおりに画面をタップしていくと、アプリが自動でインストールされてくる。
「なんか情報抜いてる?」
三日は警戒心もあらわに眉根を寄せて、真一を見上げた。
「お前がホストに貢ぐよりは安全だから安心しろ。当然、ゲーム中の課金もダミーだからな」
三日のスマホ画面を覗き込んで、真一が指で示す。
「利用規約、読んだら同意してスタート」
「は〜い」
三日は規約画面を弾き飛ばすようにスクロールして、「同意する」をタップした。
「じゃ、俺もう行くわ。フィードバックは一週間後、場所は――」
「俺たちの故郷!」
拳を突き上げて叫ぶ三日を冷ややかに一瞥し、真一はハルに視線を向けた。つられて三日もハルを見る。
ハルは二人の視線に一瞬、ん? と戸惑ったが、その意図を理解して大きく頷いた。
「いいよいいよ、ぜひうち使って」
三日の更生(?)に、ほんの少しでも役立てるなら……そう考えると、肩に背負った罪悪感もわずかに軽くなる気がする。
こうして三日は『AIホストクラブ「貯金しろ!!」』のモニターに抜擢されることとなった。
「……やっぱ、なんかミスったな」
そう呟く真一は、この先さらに面倒な展開に巻き込まれていくことを、この時まだ知らない――。




