片思いは打ち上げ花火と共に
夏の匂いが鼻をくすぐる季節だった。
一学期の終業式。セミの鳴き声がひたすらに響き渡る放課後、俺は教室の窓際の席で、だらしなく頬杖をついていた。
「また、やってる〜」
その声を聞くと、自然と笑みが浮かぶ。
隣の席。ショートカットが似合う少女――相沢ひなたが、あきれたような笑顔で俺を見つめていた。
「別にいいだろ、夏バテなんだよ」
「まだ七月だし、冷房効いてるし、言い訳になってないし」
小さく笑って、彼女はペットボトルの麦茶を差し出してくる。
「ほら。飲みなよ」
「……ありがとな、ひなた」
口をつけると、ぬるいけど、やさしい味がした。
俺、桐谷 蓮と、相沢 ひなたは、物心ついたときからの付き合いだ。
同じ町内に住んでいて、小学校も中学校もずっと一緒。高校も奇跡的にクラスが同じになって、今では席まで隣。
正直、俺にとってひなたは"特別"な存在だった。
優しくて、でも芯が強くて、誰とでも仲良くできる。それでいて、昔から俺の一番近くにいてくれた。
─────好きだ、って。言えたら、どんなに楽だろう。
けど、怖い。
この関係が壊れるのが、何よりも。
夕方、帰り道。
ひなたと二人、自転車を並べて走っていた。夕焼けが川面に反射して、オレンジ色の世界が広がる。
「ねえ、蓮。花火大会、行く?」
「花火? ああ、来週のやつ?」
「うん。駅前の。……あたし、浴衣、着ようかなって思ってて」
その言葉に、ハンドルがぶれそうになるのを必死に抑える。
「……じゃあ、俺も行く」
「やった! 誘おうか迷ってたから、嬉しい!」
満面の笑みを浮かべる彼女に、俺の心は少しだけ痛んだ。
それはきっと、その笑顔が自分じゃない誰かに向けられる事を恐れる痛みだった。
片思いは打ち上げ花火と共に
花火大会当日。
人混みをかき分けながら、駅前のロータリーで彼女を探す。
そして─────目に入った瞬間、世界がスローモーションになった。
白地に藍色の花柄の浴衣。ほんのりと色づいた頬。結んだ髪からこぼれる飾り紐。
「……ひなた?」
「うん。蓮……待たせた?」
「いや……全然」
とにかく、可愛かった。言葉にできないくらい。
「な、なんか、変じゃないかな……?」
「いや、むしろ似合いすぎてて困る……」
「……えへへ。ありがと」
照れたように笑うひなたが、今日という日を特別な一日にすると、告げていた。
祭りの喧騒は、夏の空気に溶け込んでいた。
屋台の匂い、浴衣のすれ違う音、人々のざわめき────全部が、非日常の風景を彩っている。
俺とひなたは、そんな雑踏の中をゆっくりと歩いていた。
「わあ、すごい人だね……!」
「ま、まあ予想はしてたけどな。っていうか、手ぇ離すなよ?」
人の波に流されそうになりながら、俺はひなたの手を軽く掴んだ。
ひなたは一瞬目を丸くしたあと、少しうつむいて、恥ずかしそうに笑った。
「……うん」
その返事が、屋台のざわめきに掻き消されないように、俺は心で何度も繰り返した。
「ひなた、たこ焼きと焼きそば、どっちが食べたい?」
「両方食べたいけど……蓮が奢ってくれるなら、決められるかも?」
「俺の財布が死ぬやつじゃん」
そう言いながらも、結局俺はたこ焼きと焼きそばを両方買っていた。
ひなたは楽しそうに口を開け、アツアツのたこ焼きを一つ、ふうふうしてからほおばる。
「あちっ……! けど、うまっ!」
「水買ってくる?」
「だいじょぶ! これもたこ焼きの醍醐味って感じ!」
祭りのざわめきと、ひなたの笑い声。
そのすべてが、やけに鮮やかに焼きついていく。
「ねえ、射的やりたい!」
いつの間にか見つけた射的屋の前で、ひなたは目を輝かせていた。
「得意だっけ? ああいうの」
「ううん、苦手! でも、取ってみたい。あの白くまのぬいぐるみ、かわいくない?」
指定された棚の上、まんまるとした白くまが、こちらを見ていた。
なんか……ちょっと腹立つな、あの顔。
「よーし……狙いを定め……おりゃっ! ……今度こそ! ……次こそは……!」
ひなたはずっと白くまを狙っているが、かすりすらしていない。ここは俺が、スマートに取ってやるか。
「……任せろ。男見せてやるよ」
そう言って、射的の銃を構える。
狙いを定めて、肩の力を抜いて、引き金を─────
「わっ!」
「うおっ!?」
ひなたの突然の大声がタイミングを狂わせて、コルク弾はとんでもない方向へ吹っ飛んでいった。
……当然、白くまには届かず。
「ぶっ……ごめ、ふふっ……!」
「おい、急に脅かすなよ……!」
「わ、笑いすぎて涙出た……」
ぬいぐるみは取れなかったけど。
この笑い声を聞けただけで、俺はもう満足だった。
「蓮、あっち行ってみよう!」
金魚すくい、ヨーヨー釣り、ラムネ……。
あちこち歩き回って、気づけば人混みに飲まれた。
そして─────
「あれ? ……ひなた?」
さっきまで繋いでいたはずの手が、離れていた。
「ひなたっ!」
声を張り上げるも、人々の波にかき消されていく。
周囲を見渡しても、同じような浴衣姿が行き交い、焦りだけが募っていく。
─────そのとき、背後から聞こえた。
「……バカ。迷子になるとか、子どもかっての」
振り返ると、ひなたが少しふくれっ面で立っていた。
「ちょっと目を離したらこれだよ。……心配した」
「……ごめん。でも、俺もお前が見えなくなって、本気で焦った」
互いに安堵して、顔を見合わせる。
「……もう離さないから」
そう言って、俺はひなたの手を取り直す。
指と指が絡まって、手のひらが、しっかりと重なった。
ひなたはそれを受け入れるように、小さく「うん」とだけ言った。
人混みの中を抜けて、小高い丘の方へ登る。
ここからなら、花火がよく見える。人も少なく、静かだ。
「わあ……ここ、すごいね……!」
ひなたが空を見上げた瞬間、最初の花火が打ち上がった。
ドン─────という腹に響く音とともに、夜空に咲く大輪の花。
光に照らされたひなたの横顔が、あまりにもきれいだった。
「……ひなた」
「ん?」
俺は、すっと息を吸った。
胸の奥にずっと溜め込んでいた想いを、花火の音が消してくれる今こそ、伝えようと思った。
「ずっと、好きだった」
ひなたが、目を見開いた。
「お前の笑顔が、声が、全部が好きで。昔からずっと、一番近くにいたけど、ちゃんと"好き"って言いたくて。言えなくて、怖くて……でも、もう我慢したくないんだ」
しばらくの沈黙。
花火の音だけが、夜空に鳴り響いていた。
─────そして。
「……バカ」
小さく、ひなたがつぶやいた。
「気づいてたよ。ずっと、前から」
それから、少し泣きそうな顔で、微笑んだ。
「でも、わたしも怖かった。変わっちゃうのが。でもね─────変わってよかったって、今思ってる」
俺たちは、そっと顔を近づけた。
花火がまた、大きく打ち上がった。
音の中で、世界がふたりだけのものになる。
手を繋ぐ。目を見つめる。
そして、ふたりの唇が、そっと触れ合った。
翌日。
夏は、いつもと同じように暑かった。
けれど、俺とひなたの世界は、確かに変わっていた。
「……今日、うちで映画観ない?」
「お前んち、クーラー効きすぎなんだよ」
「なら、うちでお昼寝でもいいよ」
「それって……デート?」
「うん。デート」
何気ない会話の中に、“恋人”という関係があって。
ただ一緒にいるだけで、心が満たされる。
夏の匂いが、昨日と同じはずなのに、全然違って感じた。
隣にいるだけで、こんなにも嬉しくて。
ふたりで見る景色が、こんなにもきれいで。
あのとき、伝えてよかった。
そう、心の底から思えた。
だから、もう一度だけ言おう。
「好きだよ、ひなた」
「……うん。わたしも、蓮のこと、大好き」
俺らはきっと、この先も、すごく長い時間を一緒に過ごしていく。
それでも、たぶん、忘れないと思う。
あのときの花火みたいに─────楽しくて、眩しくて、一瞬で過ぎていったあの夏の思い出を。
高評価だったら、名前や設定を少々変更して、連載版を書かせて頂きます。