8 真実
☆大地side☆
「望愛ちゃん、もっと笑えるでしょ」
ベッドに縛られたまましゃがみ込む望愛ちゃんに、俺は夢中でシャッターを押した。
でも、譲さんが好きな望愛ちゃんの笑顔はこんなんじゃない!
「ラビー王子の話をする時は、もっと笑顔が輝いてるよ。気合いいれて笑う、さぁ!」
望愛ちゃんの最高の笑顔を、僕が譲さんに届けるんだ!
望愛ちゃんと同じ高校に入って、譲さんになりきって、望愛ちゃんに近づいて、好意があるふりを続けてきたのはこのためなんだから!
シャッターを押すたび欲が湧く。
俺ならもっと良い望愛ちゃんの笑顔を引き出せる。
更に可愛く!
もっともっと可愛く!
周りが見えなくなるほど必死に、シャッターを連射。
「大地君教えて。お兄ちゃんは大地君にどんなことを話したりしたの?」
涙を必死に堪え優しく微笑む望愛ちゃんが、ファインダー越しに僕の瞳に写って
やっと譲さんの好きな望愛ちゃんの笑顔を引き出せた!
そのままそのまま!
そのサイコーの笑顔、カメラに収めさせて!
そう思って嬉しくなったはずなのに……
急に俺の指が、シャッターを押すのを拒み始めた。
俺の脳に譲さんとの思い出が蘇ったから。
俺が小6で、譲さんが中2。
姉さんに会いに来た譲さんを捕まえて、一緒にキャッチボールをやってもらってた時のこと。
譲さんが本物のお兄さんみたいな優しい笑顔で、俺に言ったんだ。
『リクってさ、ほんと良い奴だよね』って。
ボールと一緒に飛んできた、いきなりのマジ褒め。
恥ずかしさが込み上げてきて
『いきなりなんですか? 気持ち悪い』
ボールと共に投げ返しちゃった。
『気持ち悪いとか言うなよ。俺、普通に凹んだんだけど』
『譲さんが凹むなんてこと無いですよね』
『バカっ、俺も人間だよ。笑っていられない時くらいあるっつーの』
『うっそだぁ~』
『リクのくせに、俺をいじるとか生意気なんだよ~』
譲さんはケラケラ笑いながら僕のとこまで駆けてきて、横っ腹をくすぐられたんだっけ。
でもそのあと譲さんは、真剣な顔をして僕に言ったんだ。
『俺さたまに思うんだよね。リクになら俺の妹を託してもいいかも』って。
『えっ?』
『それだけリクを気に入ってるってこと』
『……っ、なっ///』
『リク、顔真っ赤じゃん。照れてるわけ?』
『譲さんがハズイこと言うから~』
『アハハ、やっぱりリクは可愛いなぁ~』
俺が何度手を追い払っても、気持ち悪いくらいのニコニコ顔で俺の頭を撫でてきた。
『譲さんには、心を許してる親友が、二人もいるくせに』
『何? 嫉妬? 焼いてくれてる?』
『そういうんじゃないから!』
『アメとムッチー、それにリク。望愛の王子様候補、これで3人キープっと!』
俺に見せつけるように、譲さんは俺に向かって両手ピース。
しかもどや顔つき。
「シスコンだぁ」って、俺はツッコんじゃったっけ。
『俺さ星羅を大事にしたいし、妹離れが必要じゃん?』
『どんだけ姉さんのことが好きなんですか』
『同じ中学だったら、昼休みの星羅を空き教室に監禁したいくらい』
『その恋心は犯罪の一歩手前のような……』
『話が逸れたけどさリク、今度俺の妹に会ってくれない?』
『いいですけど……』
『俺を楽しませるのが得意なリクなら、望愛のことをバンバン笑わせてくれそうな気がするからさ』
結局望愛ちゃんを紹介されぬまま、譲さんは亡くなってしまった。
あの日、俺も姉さんも出かけていて、ケーキを買いに来てくれた譲さんに会うことすらできなかった。
譲さんがいなくなってから、俺も姉さんも変わったよ。
生きる目的が望愛ちゃんへの復讐になって、それ以外どうでもよくなった。
復讐は今スタートしたばかり。
この望愛ちゃんのコスプレ姿をSNSにアップして
『望愛ちゃんは兄殺しの犯人』
学校中、いや世界中に噂をバラまいて、望愛ちゃんの生きる気力を無くして、一生家から出られないくらい追い詰めようと思っていたのに……
譲さんの優しい笑顔を思い出すと、俺の心の中で何かが引っかかるんだ。
罪悪感なんてものが生まれちゃうんだ。
俺、間違ってない?
涙目で必死に笑顔を作る望愛ちゃんを見たら、譲さんは悲しむだけだよ。
そんなこと頭ではわかってるのに……
俺は苦しい。
生きているだけで、譲さんとの楽しかった思い出を振り返るだけで、心臓をナイフで一突きしたいくらい苦しくてたまらない。
この苦しみから逃れるには、俺と姉さんの恨みを望愛ちゃんにぶつけるしかないんだ。
「お兄ちゃんは大地君にも優しかった?」
望愛ちゃん、微笑まないで。
「リクが弟だったら毎日キャッチボールするのにって、よく話してくれたよ」
だから優しく微笑むのやめてってば。
その笑顔、譲さんと重なっちゃうんだから!
俺は高校で望愛ちゃんと過ごしながら、必死に押し殺してきた思いがある。
望愛ちゃんといると譲さんを思い出すんだ。
望愛ちゃんが笑うと、譲さんと話してる時の高揚感が味わえるんだ。
一人で譲さんのことを思い出すと苦しくなるのに、望愛ちゃんと一緒ならなぜか心が痛まない。
復讐で近づいたことすら忘れて、本気で笑っちゃうことばっかり。
そんなとこで笑うのって望愛ちゃんに突っ込みながら、譲さんと笑いのツボまで一緒なのって、つい噴出しちゃう自分がいて。
たまに錯覚する。
俺が今話してるのって、望愛ちゃんだよね?
望愛ちゃんに乗りうつっている、譲さんじゃないよね?って。
何、この感情。
苦しい。
やめて。
俺の中から消えて。
望愛ちゃんを一生恨み続ければ、俺は楽に生きられるんだよ。
譲さんの死を全部望愛ちゃんのせいにして、望愛ちゃんを俺の恨みをぶつける的にすれば、気持ちが楽になるんだよ。
姉さんだってきっとそう。
だってあの日
『望愛を怒らせちゃって家から追い出されちゃった。ご機嫌取りのモンブラン買いに行くけど家にいる?』
姉さんのスマホに届いた譲さんからのメッセージに、一緒にショッピングモールにいた姉さんと俺はとんでもないメッセージを返しちゃったんだから。
過去の苦しい思い出に、心が押しつぶされそうになっていると
「準備できた?」
姉さんが勢いよく部屋に入ってきた。
「大地、早く望愛ちゃんのベルトをほどいて。譲君に会いに行くんだから」
なにもかも……俺……限界かも……
「姉さん……もうやめよ……」
「は?」
「譲さんの死は望愛ちゃんのせいじゃないって、姉さんはわかってるでしょ」
「何……言っ…ってんの」
「あれは……俺たちが……」
俺の声を遮るように姉さんは泣き声を張り上げた。
「チガッ……あれは……私たちのせいじゃ無いんだから!」
姉さんは大粒の涙をこぼし、望愛ちゃんの前にしゃがみ込み
「あんたが譲君を家から追い出さなければ!!」
座った状態でベッドに縛られたままの望愛ちゃんの髪を掴み
「譲君は死なずに済んだのに!!」
泣き声と怒り声を張り上げ、望愛ちゃんの髪を引っ張っている。
左右に頭を振り回せれている望愛ちゃんは、痛みを堪えるように目をつぶるだけ。
抵抗なんてしない。
「姉さん、やめてよ!」
もうやめようよ、望愛ちゃんに僕らの罪をなすりつけるのは!
俺は姉さんの腕をつかみ、望愛ちゃんから引き離す。姉さんの瞳をまっすぐ見つめた。
「譲さんが車にはねられたのは、俺たちが『店の近くの公園で待ってて』ってメッセージを送ったからでしょ!」
「違う……」
「違わない!」
「私も大地も何も悪くない……」
「悪くないと思いたいだけでしょ」
俺たちの送ったたった一通のメッセージがなければ、譲さんは公園に向かっていなくて車にも引かれなかった。
その事実は、俺ら姉弟が一生背負わなければいけない大罪なんだよ。
「譲さんが妹を大事に思ってたって、姉さんが一番よくわかってるでしょ!」
「……うっ」
「望愛ちゃんを追い詰めて、譲さんが悲しんでるよ」
「譲君の…ことは……私が一番…よく…わかってる…けど……」
「姉さんは譲さんに嫌われてもいいの?!」
「…………えっ?」
俺を見つめたまま、これでもかっていうほど目を見開いた姉さん。
「それは……嫌……」
望愛ちゃんへの怒りの糸がプツッと切れ
「嫌われるなんて……譲君に…嫌われる…なんて……絶対に嫌ぁぁぁぁぁ!!」
泣きわめきながら床に崩れこんだ。
「ただ……譲君に……会いたかっただけなの……」
「俺もだよ……」
俺も姉さんも買い物を早く切り上げて、譲さんに会うために公園まで走ったんだから。
「望愛…ちゃん……ごめんな…さい……」
姉さんのこんな狂い泣きを見るのは初めてで
「じょう…君……私を嫌わないで……お願い……」
姉さんの後悔と懺悔が手に取るようにわかってしまって、俺も涙を堪えずにはいられない。
俺と姉さんは、大好きな人を死に追いやった罪を背負うのが苦しすぎたんだ。
誰かにこすりつけ罪をごまかさないと、生きてこられなかったんだ。
俺は譲さんの笑顔が大好きだったのに、思い出すと心がえぐられたように痛む。
思い出したいのに苦しすぎて。
でも譲さんとの日々は、一生の宝物で。
3年以上、自責の苦しみの渦から抜け出せなくて。
俺も姉さんも我慢の限界で、本当に苦しくて耐えられなくて。
俺らの罪を望愛ちゃんのせいにすることで、苦しみの業火から逃げてきたんだ。
「望愛ちゃん……傷つけてごめん……」
俺はベッドに縛られたままの望愛ちゃんを解放した。
「俺たちのせいで譲さんが亡くなったことが苦しくて……罪を抱えられなくて……逃げたくて……」
大粒の涙を流た俺が望愛ちゃんにタオルケットをかけてあげた時、望愛ちゃんが女神みたいに優しく微笑んだ。
「星羅さんと大地君のせいじゃないよ。私のせいだからね」
「違う……俺たちが……」
「お兄ちゃん、二人のことが大好きだったんだよ。ずっと笑ってて欲しいって絶対に思ってるから」
「でも俺たちの罪は……」
「星羅さんと大地君の後悔、全部、私に背負わせてくれないかな」
……え?
「私、一人で背負いたいの」
一人で背負う?
「そうすればお兄ちゃんの大事な人は、誰も悲しまずに済むでしょ」
望愛ちゃんは、俺たちの罪も肩代わりしようとしてるの?
望愛ちゃん自身、譲さんを追い出した後悔で、心が押しつぶされそうになっているんじゃないの?
「これ以上お兄ちゃんを悲しませたくないんだ。ケンカばっかりしてたけど私、お兄ちゃんのこと大好きだったから」
ほらそういうところ。
自分の苦しみを隠して、相手の心を軽くしようと必死に笑うところ、俺の大好きだった譲さんそっくり。
なんで俺、こんな良い子に復讐なんてしちゃったんだろう。
ベルトでベッドに縛り付けて、嫌がる望愛ちゃんを無視して、写真を撮り続けちゃったんだろう。
こんな形で出会わなければ絶対に、望愛ちゃんに対して恋心が芽生えていたはずなのに……
望愛ちゃんはタオルケットで全身を包んだまま部屋の隅に行くと、1冊のノートを抱えて戻ってきた。
床に伏せたまま泣きじゃくる姉さんの前にしゃがみ込み、差し出している。
「星羅さん、このノートを見てもらえませんか」
体を起こした姉さんが受け取ったノートの表紙には
【歴史 優木 譲】
ささっと書きましたって感じの走り文字が。
「これって……」
「むち君が前にお兄ちゃんが授業中にノートに落書きばかりしてるって言ってたのを思い出して、昨日お兄ちゃんの部屋に入ってみたんです」
「ずっとお兄ちゃんの部屋に入れずにいたんですけど……」と、悲し気に瞳を光らせた望愛ちゃんは、自分を奮い立たせるように言葉を紡いでいく。
「そこで見つけちゃいました。お兄ちゃんから星羅さんへのメッセージです」
目に涙を浮かべたまままぶたを開いた姉さんは、歴史のノートをめくりだした。
何が書いてあるんだろう。
俺も気になって覗かずにはいられない。
「っつ………」
姉さんから漏れた声にならない吐息。
ひっきりなしに流れる姉さんの涙が落ち、ノートを濡らしていく。
表紙の文字とは明らかに違う、心が込められた丁寧な文字。
姉さんは愛おしそうに指でなぞった。
【俺の夢 星羅と二人だけでケーキ屋を開くこと】
【俺たちの子供となら、一緒にやってもいいけど】
でもその一文には、上から二重線がひかれていて
【やっぱり星羅と二人だけがいい】
最後にハートマークで締めくくられている。
この落書きはプロポーズ?
姉さん、譲さんに愛されすぎでしょ。
大粒の涙を流しながら、望愛ちゃんは姉さんに微笑んだ。
「星羅さん、今度お兄ちゃんの部屋に来てくれませんか?」
「……譲君の?」
「私はまだこのノートしか見つけていんですけど、探したらきっと他にも星羅さんへのメッセージが出てくると思うんです」
「望愛ちゃんのお家に……私が……お邪魔していいの?」
「お兄ちゃんの残してくれた宝物、一緒に探してください」
「お願いします」と丁寧に頭を下げた望愛ちゃんに、姉さんは戸惑いを隠せない。
「私……お葬式で望愛ちゃんを叩いて……今日だって……酷いことをたくさんして……」
「それは星羅さんのせいじゃないですから」
「でも……」
「私もお兄ちゃんを追い出しちゃった罪を背負いきれなくなると、等身大枕のラビー王子のお腹、ポコポコ叩いちゃったりするんです」
「……」
「これお兄ちゃんに内緒にしてください。ラビー王子に暴力をふるうなって怒られちゃう。って、空から見られちゃってるか」
目を真っ赤に染めているにもかかわらず、重ぐるしい空気を一掃するようにエへへと笑う望愛ちゃん。
あ~もう!
譲さんも望愛ちゃんも、よどんだ空気を春風で一掃する術でも身につけてるの?
敵わないな、本当に。
今の笑顔で望愛ちゃんのこと、大好きになっちゃったじゃん!!
まずは望愛ちゃんに心から謝ろう。
望愛ちゃんを大事にすることで罪を償って、望愛ちゃんに猛アタックを仕掛けるから。
望愛ちゃん、覚悟しててね!
「譲君からの宝物……私も……探していい?」
ノートを大事そうに抱える姉さんに
「お兄ちゃんも絶対に喜びます!」
望愛ちゃんは瞳がなくなるほど微笑んだ。
その笑顔が湖に降り立った妖精みたいにキラキラで可愛くて。
今日からラビー王子と譲さんの魅力を、勉強し直しだな。
望愛ちゃんに振り向いてもらえる男になろうと、俺はひそかに決意を固めた。