5 兄への懺悔
☆望愛side
*
淋しいなぁ。
雨ちゃんとむち君に『妹卒業宣言』をしたのは、二週間前のこと。
朝ごはんは自分の家で食べている。
早朝ランニングだって一人で続けている。
登下校は大地くんと一緒。
雨ちゃんとむち君とは、たまに家の前で会って挨拶を交わす程度。
お兄ちゃん代わりが幻だったかのように、他人なっちゃった。
この二週間で変わったこと。
雨ちゃんとむち君はびっくりするほど別人に。
これまでの雨ちゃんは囲まれた女子みんなに優しさを振りまいていたみたいだけれど、噂によると今は女子を完全に遮断。
授業中以外はヘッドフォンをつけて『静かに音楽を聞きたいから一人にしてね』と、王子様級の笑顔で女子を追い払っているらしい。
むち君は逆。
女は俺に話しかけるな!
魔王オーラ放出で、男子としか話さないを貫いていたのに
『鞭光先輩が、女子と話してるのを見たよ』
『雰囲気が優しくなったよね? 私も話しかけに行っちゃおうかな』
むち君ファンの会話を盗み聞きしたところによると、女の子を少しずつ受け入れるようになったみたい。
雨ちゃんとむち君の急な変化に、戸惑いが隠せない。
私の心に苦みのような痛みが広がってしまう。
二人は私のものじゃない。
親友の妹だから、お兄ちゃん代わりでいてくれただけ。
それなのに嫉妬っぽい感情なんか抱いちゃって
私……本当に性格悪いなぁ……
夜9時半、毎晩DVDボックスを引っ張り出し、アニメ『うさラビー』の一人鑑賞会をする。
一人じゃないか。
ソファに座る私の隣に、お兄ちゃんの写真を置いているから。
野球帽にユニフォーム姿でニカッと微笑んでいる。
ウサギ人間のラビーは、頭に王冠を乗せ長い耳をたらした王子様。
悪い魔女に沼から出られない魔法をかけられてしまい、一日中温泉につかっているみたいに胸から上だけが沼から出ている状態なんだけど、自由を失ってものほほんとしていて幸せそうで、天然が入りすぎで、言ってることがぶっ飛びすぎの非常識だらけ。
でもそれがみんなを笑顔にする神技でもあって、沼から周りの人に元気を与える太陽みたいな王子様なんだ。
お兄ちゃんもよく言ってたよね。
ラビー王子みたいになりたいって。
『ジョーといると楽しすぎ』
『笑い止まんないんだけど』
そう言われるくらい、周りを楽しませられる人になりたいって。
お兄ちゃんが憧れていた高校に私は入学できたよ。
二週間たってやっと慣れてきた。
お兄ちゃんみたいに人気者の大地君のそばにいるからかな、女子も話しかけてくれるようになったの。
お兄ちゃんが生きていたら、お揃いの桜色の制服を着て一緒に高校まで通っていたのかな。
それとも、妹と登校なんて恥ずかしいと拒否られていたのかな。
うさラビー鑑賞が終わるといつも、私は抜け殻のようになってしまう。ベッドにばたり。
何も考えたくなくて、ぼーっと天井の模様を眺めていた時
コン!
何かが窓に当たる音が。
コン、コン、コン!
ベッドのすぐ横の壁にはめられた窓から3回続けて音がして、私はちょっとだけカーテンを開けてみた。
ひゃっ! む……むち君?
慌てて窓を開けた私に
「やっと気づいたか」
隣の家のベランダに頬杖をつきながら、むち君は呆れ声を吐き出している。
「望愛、朝になったらシャトル拾っとけよ」
「えっ?」
「下」
むち君の指が示す先、私とむち君の家の間にバドミントンのシャトルが4個落ちている。
低い塀があるから我が家の敷地にだけど。
懐かしい。
むち君は小学生までバドミントンを習っていた。
よくお兄ちゃんと雨ちゃんも交えて、4人でバドミントンのラリーをしたっけ。
『へたくそ!』
『どこに打ってんだ!』
『シャトルから目を離すな!』
むち君はあの頃から鬼コーチだったな。
「むち君、どうしたの?」
スマホに電話が来ることはあった。
でも窓を開けて会話するのは初めてだよね。
「別に、望愛の高校生活はどうかってアメが心配してたから」
それでベランダに出て、シャトルを投げて、私の様子を聞きに来てくれたんだ。
むち君とおしゃべりするなんて久々だ。
懐かしさで心が浮わついてしまう。
「美奈ちゃんと華ちゃんっていうお友達ができたの。お昼も3人で食べてるよ」
「ふ~ん」
「うさラビー好きって話したら今度アニメを見てみたいって、我が家に遊びに来ることになって」
「良かったじゃん」
えっ?
「オマエの好きなもの、わかろうとしてくれる友達ができて」
あれ?
むち君ってこんなに優しい表情をする人だっけ?
冷たさを含んだ夜風が、むち君のサラサラ髪を優しく揺らしている。
むち君の瞳も、別人みたいに優しく揺らいでいる。
「ダイエットは?」
「むち君が作ってくれたトレーニングメニュー、なんとかこなしてるよ」
朝ランニングを2キロ。
あとは寝るまでに、腹筋、背筋、腕立てにスクワットを50回づつ。
「ダメダメ望愛が? ほんとかよ」
むち君はイジリ顔でクククと笑ってくれた。
「昨日まで体中が筋肉痛だったんだから」
「じゃあ筋トレ追加」
ひゃっ?
やっと痛みが取れたのに、それは鬼すぎるよ!
「朝ラン、プラス1キロ」
合計3キロ?
朝何時に起きれば高校に間に合うの?
「ムチャ言わないで!」
「オマエの痩せたい気持ちってその程度?」
……うぅぅ。
「望愛さ、ダイエットする理由って何?」
隣の家のベランダから、真剣な視線が私の瞳に突き刺さっている。
むち君の目が凛としていて男らしくて
嘘をついたら失礼なんだろうな……
そう思ってしまうほど熱のこもった視線で、私は誰にも言わなかった理由をむち君にこぼした。
「ラビー王子のフィアンセのお姫様って、むち君は知ってる?」
「俺が知ってると思うのかよ」
だよね?
むち君はアニメに興味ゼロだし。
「そのお姫様のコスプレ……したいから……」
「はぁ? そんな理由できついトレーニングをこなしてるって」
「……言い方」
「夢見女子の頭の中、ほんと理解不能だわ」
バカにしたようなむち君の発言にイラっ。
「コスプレしてイベントに行って、ごっついカメラを抱えた奴らにパシャパシャ写真を撮られたいってことか」
シャッターを押す真似をしたむち君に、さらにイライラっ。
「大地って奴もそのアニメが好きなんだよな。男を誘惑するためのコスプレかよ」
「違う!」
「ダイエットしても色気がないと、コスプレなんて似合わないんじゃないの?」
むっ。
「望愛は一生、色気なんてでないんだろうな」
おちょくりを追加され、我慢の限界を超えた私。
夜だっていうのに大声を張り上げちゃった!
「好き勝手言わないで! お兄ちゃんに見せたいだけだもん!」
「……は?」
うわっ、なんかおかしなことになっちゃった。
なぜかわからない。
悲しいことなんて一つもないはずなのに、涙あふれちゃいそう……
夜の闇に消えていく私の声。
涙をこらえようと必死に深呼吸する私の吐息だけが、響き渡っている。
1分ほどの沈黙の後、むち君が弱々しくつぶやいた。
「……なんか……ごめん」
なんで謝るかなぁ。
そんな優しい声を奏でられたら、涙があふれちゃいそうだよ。
「望愛をいじるの久々だったから……つい……調子に乗った……」
だからやめてよ。
むち君はドSで攻撃的でイジワル悪魔で、今まで通り堂々と仁王立ちしていてよ。
むち君はベランダに立ちつくしたまま、柔らかい声を震わせた。
「明日、ジョーの誕生日だよな……」
「……うん」
生きていればお兄ちゃんは18歳だね。
「望愛もジョーのとこに行くんだろ?」
むち君も雨くんも私に気を使って、『お墓』って言葉は絶対に使わない。
「行くよ、シュガーパレットのモンブランを食べさせてあげたいし」
「あの店に行って大丈夫なのか」
「私なんかが行ったら追い返されちゃうかな」
「モンブランは俺が買ってくる」
「私が行きたいの。もう一度星羅さんに謝りたいって思ってるから」
それにね
「嫌な過去から逃げ続けるのも、結構つらいんだぁ」
思い出したくもない出来事。
私が小6で、お兄ちゃんが中2の時のこと。
部屋で宿題をしていた私のところにお兄ちゃんが、興奮気味にやってきた。
『望愛、これ見てよ』
『みみラビ姫のコスプレ衣装?』
『自分で着るわけじゃないし、これに小遣いつぎ込むのどうなのかって思ったんだけどさ』
『……うん』
『俺さ、ええい!って買っちゃった』
その時のお兄ちゃんの満足そうな笑顔といったら。
ラビー王子をいじめる魔女の心を、清められるんじゃ?
聖なる泉のようにキラキラで。
『かわいいね』
部屋に飾って楽しむ分には、好きにしたらいいよ。
他人事みたいに微笑んだのに
『うさラビーファンの望愛なら、喜んで着てくれるよね』だって。
え? え?
こんなムチムチの私が着るの?
下着が見えそうで見えないくらい短いスカート。
100%二の腕をさらすノースリーブ。
私のぜい肉のお披露目会になっちゃう!
絶対にムリ!
『ヤダよ、私に似合わないから』
『望愛に似合わない服なんてこの世にないでしょ』
何その、妹だからテキトーでいいやみたいなごまかし方!
『お兄ちゃんの彼女さんに着てもらって。モデルさんみたいに細くて可愛いんだし』
『俺が頼めると思う? 星羅に嫌われたら生きていけないってなんでわからないかな』
妹の前でノロケですか?
私だってムチムチな太ももと二の腕をさらしたら、生きていけないほど恥ずかしいんだから。
『お願い、今日だけだから』
『イヤ!』
『公園の滑り台の上で写真を撮ったら、即、終わりにする』
コスプレした私を外に連れ出そうとしているなんて。
ムリムリ!
誰かに見られるなんて絶対に拒否!
『アメも望愛のコスプレ姿を見たいって言うしさ。ムッチーから高性能カメラまで借りてきたんだからさ、頼むよ』
雨ちゃんもむち君も共犯なの?
二人とも私がややポチャを気にしていて短いスカートは履かないって、知っているくせに。
『ねぇ望愛これ着て、一生のお願いだよ』
私の前で必死に手を合わせて懇願するお兄ちゃんへのイライラがはちきれそうで。
お兄ちゃんの手を引っ張って階段を下る。
『もしかして着てくれる気になった?』
ルンルン声のお兄ちゃんを玄関の外にポイっ。
『今日限りで私のお兄ちゃんをやめて!』
『のあ、怒んなって』
『もう帰ってこないで!』
私は靴も履いてないお兄ちゃんに罵声を浴びせ、思い切り玄関のドアを閉め、ガチャリと鍵までかけちゃった。
その後お兄ちゃんはむち君の家に行って、遊びに来ていた雨ちゃんからお金を借りて、むち君から靴と自転車を借りて
望愛に謝らなきゃ!
私の好きなモンブランを買いに、彼女さんの家が経営しているケーキ屋さんに行ってくれたらしい。
ケーキを買った帰り道、信号無視の車に自転車ごと跳ねられた。即死だったと聞いた。
悲しい知らを聞いた後も、お兄ちゃんが死んだなんて信じられなかった私。
ふらっと帰ってくるんじゃないかと変に期待までしていた。
お葬式で棺の中で目をつぶるお兄ちゃんに手を合わせても、お兄ちゃんが焼かれても、死んでない死んでないって思い込んで。
私を現実と向き合わせてくれたのは、お兄ちゃんの彼女『星羅』さんだった。
お葬式の後、星羅さんは涙でぐちゃぐちゃな顔で私の前に。
怒りでぎらつく目で私を睨んだ瞬間
パシッ!
私の頬を思いっきり叩いた。
『コスプレくらい、してあげればよかったじゃない!』
叫んでは私の頬をはたき
『人殺し! あんたが死ね!』
私の左頬が何度も何度もはたかれて、でもなぜか頬に痛みなんて感じなくて、心だけが斧でめった刺しにされたようなズブズブの痛みに襲われた。
『譲君がどれだけあなたのことを大事に思ってたか知らないでしょ!』
怒りで荒れ狂う星羅さんに、私は抵抗する気さえ起きない。
『相手が妹なのに、彼女の私が嫉妬しちゃうくらいだったんだから!』
握りこぶしで胸を何度も叩かれ、駆けて来たむち君が星羅さんを私から引き離してくれて。
雨ちゃんが私に『望愛のせいじゃないから。僕がケーキを買ってあげればなんて言ったから』って、庇い続けてくれたけれど。
お兄ちゃんと星羅さんを引き裂いたのは、間違いなく私。
私がお兄ちゃんを家から追い出さなければ、こんな悲劇は起きなかった。
今もまだ私の心には、後悔と罪悪感の太い棘が刺さったまま。
『今日限りで私のお兄ちゃんをやめて!』
『もう帰ってこないで!』
あんなひどい言葉、お兄ちゃんにぶつけるんじゃなかった。
お兄ちゃんのこと……大好きだったのに……
「あのさ望愛……」
穏やかな声にはっと我に。
ベランダの柵によりかかるむち君に目を向ける。
「明日さアメと3人でジョーのとこに行かないか」
「えっ」
「アメの奴、最近おかしいんだ。オマエの顔見たら元に戻りそうだしさ」
むち君が他人を心配する発言をするなんて。
滅多にないことで、一緒に行くって答えたくなったけれど
「むち君、ごめん……」
私はもう、むち君と雨くんに寄りかかるのは止めるって決めたんだ。それに……
「大地君がお兄ちゃんに挨拶したいって言うから、一緒に行く約束をしてて」
「あっそ」
「なんかごめんね」
「どうでもいい他人に謝ったりするな」
むち君はぶっきらぼうな声をこぼすと
「シャトル拾っておけよ」
私の顔すら見ずに自分の部屋に入って行った。
次の朝になった。
お兄ちゃんの誕生日の朝。