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悪魔のお誘い


「……馬鹿にしているのか?」


 こちらを見下ろす銀色の目はどこまでも冷たい。

 私の提案、自分の状況に対して彼の出した言葉がこれだ。それでも私はちっとも嫌じゃなかった。


 頭の中で鐘の音が響く。

 厳かで、重々しい鐘の音。


 幻聴というより、記憶の回想。

 思い出すのは、一度目の人生の、最後の日。


『どうして、アンタが死ななきゃならない』


 ぐちゃぐちゃになった皮膚、引きつった顔、乱雑に牢に放り込まれ、汚物に塗れかろうじて息をしているだけだった私を、抱きしめて涙を流してくれた名前も知らない男の人。


(あなた、ハヴェル商会のひとだったのね) 


「……」

「に、兄さん!!」


 にこにこと微笑んで彼を見上げていると、ルーリエさんがバッ、と彼をひっつかんで何やらこそこそと内緒話をするように背を向けた。


「……この人、兄さんに一目ぼれしたのよ……!やったじゃない!これでこの女を利用すれば……」


 降ってわいた幸運に、飛びつかない理由はないとルーリエさん。商人はチャンスを逃さないものだと、若いお嬢さんなのにしっかりしている。


 しかし、商人としては兄の方が優秀らしい。


 妹のように素直に受け取るわけではなく、警戒し、けれど相手が「自分に好意を抱いている演技をしたいのなら」と、ぞんざいな口を聞いてどこまで寛容する演技かと試している。


 私は回帰したこの二度目の人生、面白おかしく生きるつもりだった。

 もう我慢はしたくないし、美味しいものを沢山食べたいし、綺麗なドレスも沢山着たい。宝石、綺麗な石だって大好きなのだ。そういうものを楽しんで、それで、最後は疫病を封じこんで死ぬつもりだった。


 レイチェルもアルフレッドも公爵家も王家も憎んでいるけれど、それはそれとして、私が死ななければ疫病は消せないのだから仕方ない。


 私はこの回帰した人生は、「どうせ死ぬのだから、この一年を楽しみなさい」という、悪魔だか神様だか、どちらでも良いけれど、そういう「贈り物」だと思った。


(最後はちゃんと、死んであげる。だから、私が自分の望みを叶えたっていいでしょう)


 降ってわいた幸運を、私は素直に受け取ることにしただけだ。


「御存知かと思いますが、わたくしはアザリア・ドマと申します」


 拒否された手を再び差し出す。


 男の目が憎々し気に歪んだ。こちらの好意、善意をこれっぽっちも信じていない。父をハメた貴族。貴族は皆同じだと、そのように考えている男の目。自分たちに近付くのは、優し気な声で話すことは全て罠で嘘で、騙すため、利用する為のものなのだと、経験からちっとも信じる気がない男。


 私の申し出に、どんな裏があるのかと。騙されたハヴェル家の人間だから、警戒する当然の反応。


「俺に結婚を申し込む、アンタのメリットはなんだ?ハヴェル商会の……全盛期の勢いのままだったとしても、アンタの家、ドマ伯爵家のやりかたとうちは違う。手に入れても運営に無駄な労力を割くだけで、それほど旨味もない筈だ。……落ちぶれた下級貴族が、借金を帳消しするために財産のある商人と婚姻関係を結ぶ例もあるが……アンタはドマだ。その必要もないし、今のハヴェル家には貴族に出すに相応しい持参金もない」


 貴族が平民に近付くのは、金か体が目的しかないと、理解している男の目。

 どんどんとルーリエさんの顔が悲しみに曇った。自分たちの現状。落ちぶれている現在。かつてこの国一番と言われた大商人の子であった誇りと栄光の何もかもが、もう失われているのだと、兄の言葉で理解した様子。そしてそれを、淡々と兄が受け入れて口にしていることに対して、傷付いている様子。


 彼は頭の良い人だ。私があれこれ適当な理由を並べ立てても信じてくれないだろう。かといって『回帰する前の人生で恩があるのです』と正直に言っても、頭のおかしい女と思われる。相手の言葉を信じるのは、何も考えていない愚か者か、素直か、相手に好感を抱いている場合だ。彼はそのどれにも当てはまらない。


「今、あなたの問題は、私の手を取る事で解決すると思いますが」

「……」

「私の提案は一年間の契約結婚です」

「……契約結婚……?」

「はい。先ほど恋愛を前提、と言いましたが、朝食は必ず一緒にとる。週に一度は一緒に一日過ごす。お互いを名前で呼ぶ。この三つを守って頂ければ構いません」


 その代わりに、ドマ家はハヴェル商会を全力で公爵家から守り、釈放させ、賠償金と慰謝料を全額ドマで負担する。


「……口約束では意味がない」

「もちろん書面を作成させます。神殿の誓約魔法を用いて」

「……」


 正気か、という目をされた。彼は無口だけれど、眼は随分とお喋りだ。


「……」


 彼は考えるように沈黙した。目を伏せ、眉間に皺を寄せる。私がどんな企みをしていても、それを見逃さないというように鋭く向けられていた目が閉じられて、私はやっと彼の顔をゆっくり見つめることが出来た。


「…………公爵家が、ハヴェル商会を欲しいというのなら、くれてやる」

「……と、言いますと?」

「アンタと結婚しよう。その代り、今日今すぐ、アンタはハヴェル商会の全ての従業員を「買収」し、アンタの商会の従業員として雇い入れろ」


 え、私??

 商会なんて持ってませんけど……。


「……」


 思わずきょとん、とすると、一瞬彼は「?」と、不思議そうな顔をする。


「………………今日中に、アンタは商会を立ち上げるんだ」

「あぁ、成程」


 説明してくれたので、ぽん、と手を叩く。


 また彼が不思議そうに首を傾げた。


「わざとか?」

「はい?」

「いや……」


 ふむ、と、黙る。


 私は彼の言葉をじっくりと考えた。


 成程、良い案だと私も思う。

 王家と公爵家はハヴェル商会が欲しいのだ。そして彼は王家と公爵家に対して、憎悪を抱いている。何かしてやりたいと、そのように。


「でも、よろしいのですか?従業員の方々は助けられますが……これまで得た富や名声は全て、彼らの思惑通り奪われることになりますよ」


 彼の提案では、賠償金と慰謝料の支払いはそのまま、財産も全て没収される道に変わりはない。


 悔しくないのかと、思って聞いて、私はびくり、と体を強張らせた。


「……」


 私の質問に答えず、静かに沈黙しているハヴェル家の男の顔には何の感情も浮かんでいない。だけれど彼が、確実に「怒っている」ことはわかった。


 彼は公爵家と王家を許すつもりはないのだ。


 従業員だけ助ける、つもりなどない。


 成り上がった平民の、大商人の一家の男。貴族に良いように利用され捨てられた。その事実を彼は誰よりも理解している。授業料。いい勉強になった。奪われたのは公爵家と王家に「負けた」からだと。賭けのチップを支払う潔さ。ではない。


 褐色の肌に銀の瞳の男性。

 異国の血を引いているとひと目でわかる男性。


 褐色の肌を持つ、砂の民の人々は神に祈らず悪魔を崇拝している異端者だと、この国では言われている。

 降ってわいた幸運を、神に感謝する男ではない。


 悪魔の提案を受け入れて、相手を破滅させるために自分を薪にして燃やす覚悟。


(今度は、一緒に死んであげられたらいいのだけれど)


 それは無理だろうなぁ、と、私は思ってぎゅっと、ドレスを掴んだ。



評価・ブックマーク・イイネ、ありがとうございます(/・ω・)/

物書きというものは孤独なものでカチカチ打っていくしかないのですが、応援してくださる人がいると「……がんばる」と思う単純な生き物でございます。

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