ざまぁ!いえ、まだまだ
「アザリア……!あなた、わたくしを見捨てるの!!裏切るの!!」
喚く殿下の元からやっと解放されたというのに、王宮から去ろうとする私を引き留めたのは、ベールをすっぽりかぶったレイチェル。バタバタと、お元気そう。お顔の傷以外は健康そのものなのだから、当然と言えば当然。大きな声、怒鳴り声。侍女たちが制止するのも構わず、私につかみかかってきた。
「お前が治すはずだから、わたくしは毒を被ったのよ!」
それはそれは。
喚く女の、身勝手な訴え。
世間では「公爵令嬢はあえて、狂った男の投げつけた薬を被った。哀れな男の心が、自分の美しさを奉げる事で救われるようにとしたのだ」などと言われている。実際、護衛騎士のいる御令嬢を、ただの金持ちの男がどうして害することができるのだろう。考えれば仕組まれたことと、わかりそうなものも、御令嬢が「あえてそのようにした」と、美談美談、美しい、話。
「レイチェル……!あぁ、可哀想なレイチェル……」
駆けつけたアルフレッド様が、レイチェルを抱きしめた。けれど、その拍子にベールがふさり、と床に落ちてしまう。興奮して暴れているから、仕方のないこと。
「っ……」
レイチェルとの愛は真実の愛なんだと、声高だかに宣言していたアルフレッド様の顔が歪む。劇薬で爛れ歪み爛れた肌、銀の髪が無残に僅かしか残らなかった頭、右目は大きく見開かれ、左目は潰れている顔。唇は溶けて歯が見えている。そんな顔。
どん、と、アルフレッド様がレイチェルを突き放した。明らかな嫌悪の色。醜いものを見てしまったと、本能的な嫌悪。げぇっと、そのまま嘔吐した。
レイチェルはショックを受けたように放心し、けれど、すぐに私に殴りかかる。か弱い深窓の公爵令嬢のどこにこんな力があるのか、と思う程、勢いよく、殴りつける。
殴られたら痛い。ので、奇跡を。
「ぎゃ、あぁあああっ!!」
「まぁ!お可哀想なレイチェルさん!そんなお体で無茶をなさるから……!」
私の鼻を殴って折ったはずのレイチェルの、かろうじて残っていた鼻から血が流れだす。鼻の骨が折れたのだろう。気の毒に。自分で自分の鼻を折れるなんて、中々ない大変だろう。
「あんた……あんた……今ッ!」
「お可哀想に……貴方たち、何をしているのです。早くレイチェルさんを連れていってあげなさい。こんなに錯乱されてるなんて、きっと御心を病んでしまわれたのでしょう……」
おろおろと狼狽えていたメイドたちが、慌ててレイチェルを連れて行く。王子はさっさと消えている。王宮内で嘔吐し蹲った王子をいつまでもそのままにしておけるわけもないので。
気の毒に、と、私は両手を胸の前で合わせてにぎり、祈りの姿勢を取る。
「あ、あの……聖女さま。どうして、公爵令嬢を……治療されないのですか?」
この醜聞。茶番。呼び方はなんでもいいのだけれど、騒動に、人が集まってきた。王子と公爵令嬢が去って、残された聖女さま。恐る恐る、というように声をかけて来たのは騎士の一人。
「どうしてって……」
私は小首を傾げる。
どうして。
実はこの「聖女」の力、本当は国がどこぞの悪魔と取引した「呪い」で、厄介な一族の娘に他人の不幸や苦しみを引き受けるためだけのものだった、とか。
実は私の正しい用途は、18年前にあった予言の、今から一年後に国で発生した疫病を全て引き受けて、その上で「疫病をばら撒いた魔女」として火炙りにされることだった、とか。
実はレイチェルもアルフレッド様もそれを知っていて、私が実家を嫌い、国のために尽くすように良い友人として側にいただけで、本当は「呪われ者」だと嫌悪していた、とか。
実は私はこの人生は二度目で、一度目の、火炙りにされた記憶をもっていて、火刑台に上がる前日までは「仕方ない」「これも贖罪」と全て受け入れていたのに、レイチェルに全てバラされて絶望のまま焼かれたのだ、とか。
実は回帰したのはついさっき、アルフレッド様に「レイチェルの治療をしろ」と言われた時だった、とか。
色々、本当に、色々あるのだけれど。
それは個人的な事情で、この、今後人生に一度も関わらないだろう見知らぬ騎士に教える必要は一切ない。
ので。
「嫌だからですわ」
生理的に無理。
理論上は治療が可能だとしても、無理。嫌なので無理。無理なものは無理。
にっこりと微笑んで答えると、騎士が絶句した。騎士だけではなく、周囲にいた人だかりも、唖然として、そして次には「なんて女……」「あれが聖女だなどと……」「とんでもない」と、ひそひそと言い合う声が出てくる。
「ごきげんよう」
それらの声は、私を燃やした人間たちが叫んでいた言葉よりちっとも辛くない。
私はにこにこと笑顔で王宮を出る。
「お嬢さま、お迎えに上がりました」
「あら。貴方、お父さまの」
家までどうやって帰ろうかと。これまで私はレイチェルと公爵家に住んでいた。さすがにもう戻れないだろう。どうしようか、と思っていると、王宮の門の所に見慣れた家門の、見慣れた馬車。
父の右腕ともいえる執事が礼儀正しく待っていた。