嫌なものは嫌
「……は?今、なんて言ったんだ?お前、聖女だろう」
信じられないものを見るような目で、第二王子アルフレッド様が聞き返す。
「えぇ、ですから。『嫌です』と申し上げたのです。レイチェルさんの治療を行いますと、私がその傷を引き受ける事になりますので……この美貌が損なわれるのが、嫌です」
えぇ、嫌です。と繰り返し言いながら、私は小首を傾げた。どうしてそんなわかりきったことを何度も言わせるのか、と呆れるように。
「お前はレイチェルを見捨てるのか!!?親友だろう!」
「親友でしたらレイチェルさんの方こそ、私への配慮をしてくださっても良いのではないでしょうか。現状ちょっと、お顔がグズグズに溶けてしまっているだけですので、お体は健康そのもの、殿下の御子を産むのに何の問題もないと侍医より聞いておりますよ」
そもそもその顔に劇薬を浴びた理由とて、表向きには「美しい公爵令嬢に一方的な思いを抱いた男が、令嬢が王子と婚約したと聞いて逆恨みして浴びせた」となっているけれど、実際のところ、傾きかけた公爵家でそれでも贅沢三昧が止められなかったレイチェル。金持ち男をひっかけて「あなただけよ」と囁いて、大金を巻き上げた、痴情の縺れである。
(まぁ本来、そのお金持ち……成り上がりの商家の方へは。貴族を害した、と、公爵家への巨額の慰謝料、賠償金、さらに国による財産没収で……そういう、企てだったのですけれども)
商会の男。妻子のある身で、自分の子より若い娘に入れ込んだ。
王子との婚約を知れば「約束が違う!」と激昂するのはわかっていたこと。それで、公爵様が企んだ。娘に何かしらの暴力を振るってくれれば、何もかもこちらに有利に運べるぞ、と。
レイチェルには「聖女」の親友。つまり私がいる。何かあっても、何をされても、聖女の力で癒してしまえるので、家のため、未来のため、お前が王妃になるために、やってくれるな、と父の説得。娘のレイチェルも自分に傷がつく事を恐れなかったわけではないらしいが、大きな宝石に新しいドレスの山の請求書の数が膨れ上がる事とどちらが怖いかと、その天秤。
こうして、「貴族でもないのに巨大な財を得ている」鼻持ちならない成り上がりは、貴族に何もかも献上して罪を償えるのである。
ちなみに、レイチェルとその父親、国王陛下たちの名誉のために付け足しておくと、彼らに「悪意」はない。
貴族でもない平民が努力で貴族以上の財産を得るなど「危険」「不幸になる」「分不相応で身の破滅を齎す」と、為政者としてきちんと「管理運用」すべきとした、善意、善行、正義の心ゆえなのだ。
正義ってなんだ、と思ってはいけない。正義というのは、力のある人間の暴力である。
「お前……ッ!!」
さて、そんな大人の世界の裏事情はさておいて、お顔を真っ赤にして震えるアルフレッド殿下。金の髪に青い瞳の、国一番の顔の良さと他国でも評判の王子さま。
この方は、気の毒な事にレイチェルさんが完全な被害者で憐れな女性だと信じていらっしゃる。美しくいつも社交界の華でいらっしゃるレイチェルさんの堂々とした振る舞いに、まさに王妃に相応しく自分の隣に立つべきひとだと、そのように思っていらっしゃる。
ので、聖女の私がレイチェルさんのお顔を治療して差し上げて、美しさを取り戻したレイチェルさんを「苦難に打ち勝った」「どんな悪意も彼女をくじけさせることはない」と、箔をつけて王妃に迎え入れたいのでしょう。
美しいアルフレッド様の隣に立つ、美しいレイチェルさん。
お伽噺の結末のような二人の結婚式のその様子を、私は見て、知っていた。