My Little Girl
メルヘンを目指したらただの恐怖の都市伝説になってしまったやつ。
むしろ世にも○妙な物語?
舞は泣き虫だ。
ちょっと近所の男の子にからかわれただけで泣く。
ちょっとどこかにぶつかっただけでも泣く。たとえ実際にぶつかったのが自分じゃなくても。
今日もやっぱり泣いている。
理由は単純。
いつも持ち歩いている大事なテディベアを、電柱にぶつけてしまったから。
当の本人は、いたってなんともない。だってぶつかってすらいないのだから。
そのテディベアとて、ほんの少しお腹のところが汚れてしまっただけだ。
「ふえっ・・・うぐっ、ふぐぅぅぅ・・・」
あーあ。しまいには泣きすぎて過呼吸。
えっくうっくと、それでも泣いている舞を見かねたのか、向かいに住む少年が声をかけてきた。
「まぁた泣いてるの?そのうち顔、溶けちゃうぞ」
・・・甘いな、それじゃ逆効果だって。
それを聞いて、さらに舞の泣き声が大きくなる。
少年は慌ててポケットからキャンディを取り出すと、舞の口に放り込んだ。
「ほーら、泣き虫けむしがいなくなるおまじないだぞ。
だからほら舞、もう泣くな」
うん、それはいいアイディアだ。
舞はきょとんとした顔で彼の顔を見あげると、口の中の甘い味にようやく気がついたのか涙をきゅっと袖で拭いた。
その手に握られたテディベアがぶらんと揺れる。
「あのね、うーくんがぶつかったの」
うーくん、というのは彼女が持つテディベアのこと。
正確には“ウィズ”というきちんとした名前があるのだけれど、まだ幼い彼女は上手く発音することが出来なかったのだ。
少年が舞の差し出したテディベアをよく見ると、その茶色い腹には、土のようなすすのような黒い汚れがほんの少しこびりついている。
このテディベアは彼女の祖母がクリスマスに買ってくれたものなのだが、全長で言えば30cmを越える比較的大きなもの。
まだ幼い彼女にとっては、元から持ち歩くには少々不向きな大きさだと言えた。
どれだけ気をつけていても、彼女がそのテディベアを何らかの形で汚してしまうことは必然だったのである。
一言で言えば“当たり前”
「これくらいなら、ちょっとだけぽんぽんすれば大丈夫だよ。
それより、舞が泣いてる方がうーくんは困ると思うけどな」
ほら、一緒にぽんぽんしよう、と少年が言い、舞の手を取ってテディベアの腹を2人でぽんぽんと払う。
元よりそう神経質になるほどではなかったので、汚れはすぐに落ちた。
「大丈夫だろ?」
「うん、ありがとうおにいちゃん」
舞はすっかり泣き止んでいた。
それでも生来の性格というものは、そうそうすぐ直せるものではない。
一説によれば、その人の性格を変えるには、それまでの人生の倍の時間がかかるという。
小学生となった舞はさすがに以前に比べればマシになったものの、やはり人よりも涙腺が弱かった。
今日も相棒であるウィズを涙で濡らし、めそめそしている。
「いい加減に泣き止めよ。毎度毎度、しょうもないことで・・・」
「しょうもなくないもん!」
ひとつ変わったことがあるとするなら、中学生になった向かいに住む“お兄ちゃん”の呆れた声に、反抗する余力が出来たことくらいか。
ちなみにここは舞の家ではない。
正確にはその向かい、お兄ちゃんこと“令”の家だ。
帰宅部である令が小学生である舞と帰宅時間が大して変わらないのをいいことに、何かあると涙でべしょべしょになったウィズを連れてこの家に来るというのが舞の日常と化していた。
令からすれば迷惑この上ない話だろうが、令はいつも辛抱強く舞に付き合ってくれた。
「で、今日はどうしたの」
どうにかこうにか令が舞から聞き出した内容によれば・・・
「・・・身長が小さいのをからかわれた、と」
確かに舞は、同い年の子たちと比べても小柄な部類に入る。
というより間違いなく小さい。
それでもまあ、令やウィズから言わせてもらえば「だからどうした」な内容である。
たとえ本人がどう思っていようとも。
そうして舞が十分に自分の主張を言ったところで、令はおもむろに言った。
「舞は確かに小さいけど、まだ小学生だろ?
成長期なんだからそうやって気にしてる方がかえって、ストレスで身長伸びなくなっちゃうかもよ」
「・・・うん」
舞の声に、これ以上濡れなくてすみそうだ、とウィズは安堵していた。
あるとき、ちょっとお使いに行ってきてくれ、という母親に、舞ははぁいと返事をする。
「たまにはウィズも一緒に行こうか」
舞はお気に入りのコートを羽織りながら、珍しくそんな提案をする。
中学生になった舞は、さすがに俺を涙で濡らすことはほとんどなくなった。
それでも彼女の部屋の一番目立つ場所は俺の特等席で。
俺は財布と一緒に彼女に抱えられ、外へ向かった。
外に出るのは本当に久しぶりだ。
空からはちらほらと雪が降ってきていた。
最近は母親に編み物を教わっている舞は、ウィズにもマフラー編んであげるね。と笑って言った。
その言い方が、少しだけ気にかかる。
“ウィズにも”・・・つまり他にも編む相手がいるということか。
いや、別についででもなんでもいいけどね。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、青がいいかな、赤がいいかなと舞は嬉しそうだ。
もうすぐクリスマス。
街はカラフルな電飾に彩られ、実に華やかだ。
「こんにちわ」
急に声をかけられ彼女が振り向くと、そこには舞と同い年くらいの男の子がいた。
少し普通と雰囲気が違うのは、彼が赤い服を着ていたからだ。
一言で言えば、サンタのコスチューム。
どこかの店の宣伝でもなく、住宅街のど真ん中でコスプレまがいの格好は明らかに浮いている。
しかし、周りの人たちは彼を気にする様子はまったくなかった。
「あの・・・どうかしましたか?」
明らかに怪しげなその少年に舞がたずねると、彼はにっこりと笑って言った。
“おめでとう、君は今年の新しいサンタに選ばれました”
その声とほぼ同時に、びゅうっと強い木枯らしが俺たちを襲った。
舞はとっさに俺をしっかりと抱きしめ、目を閉じた。
風が止み、彼女がそっと目を開けると、そこから少年の姿は消えていて。
代わりに残されたのは、ひらりと空から落ちてきた一枚の紙。
A4のレポート用紙に書かれたその文面は、こんな一文から始まっていた。
“サンタクロースに選ばれたあなたへ”・・・
『そのいち、大人はサンタクロースになることが出来ません。
また、サンタクロースになった子どもは決して大人になることが出来ません。
そのに、サンタになったらお父さんやお母さんには二度と会えません。
なぜなら、大人にはサンタクロースが見えないからです。
そのさん、あなたがサンタクロースになりたくないときは、代わりのサンタクロースを指名することが出来ます。
ただし代わりのサンタクロースが見つからない場合、あなたは強制的にサンタクロースにならなければなりません。
追記:イブの日の夜に、新しいサンタクロースをお迎えに参ります』
お母さんに頼まれた買い物を終えた舞は、部屋の机でそれをじっと読んでいた。
俺はそんな舞を見ながら、あの不思議な少年について考えていた。
「舞、サンタクロースになんてなりたくない・・・」
お父さんやお母さんに会えなくなるなんてやだ、と舞は机に突っ伏した。
“人の性格を変えるには、それまで生きてきた人生の倍の時間が必要”
だけど舞はいつからか、泣くときに俺を必要としなくなった。
俺は手の届かない場所で、じっとそれを見守ることしか出来なくなっていた。
しばらくそのままじっと肩を震わせていた舞は、急に顔をあげるとぎゅっと袖で涙を拭き、その紙を折りたたんでポケットに入れた。
そうしてお気に入りのコートを羽織って、部屋を出て行った。
俺はそのまま、部屋で舞の帰りを待った。
1時間ほどで帰ってきた舞はもう泣いていなかった。
「あのね、ウィズ・・・舞、決めたよ」
クリスマスイブ。
街は相変わらず華やかでキラキラときらめいている。
舞はお気に入りのコートを着て、ゆっくりと雪の降る道を進む。
その胸に抱かれているのは、彼女が作った赤いマフラーをつけた俺。
あの日、舞は“決めた”と言った。
もし舞がお母さんやお父さんと離れたくなくて、誰か他のサンタクロースを指名したとするでしょ?
だけどその子は舞の代わりにお母さんとお父さんと離れなきゃならない。
それはやっぱり変だもん。
・・・だから舞が頑張ることにしたの。
お父さんとお母さんに会えなくなるのは嫌だけど、ウィズが一緒なら・・・そしたらきっと舞は頑張れるから。
舞は母親に、お友だちの家で行われるクリスマスパーティーに行くと伝えていた。
帰りは遅くなるから、と。
だが、それだけじゃない。
舞がサンタクロースになってしまったら、もう二度と家には帰れない。
友だちも今は会えるかも知れない・・・けれどいつかは必ず大人になってしまう。
舞は・・・一人きりになってしまう。
「あの日ね、令兄のとこに行ったの」
きっと、舞が涙目で部屋を出て行った日だ。
「舞ね、令兄に聞いたの・・・『舞が頑張らないと、誰かに迷惑がかかっちゃう。だけど舞は頑張りたくない。令兄だったらどうする?』って」
令兄は言ったよ。
『舞は自分でどうするべきか、わかってるんじゃないの?』って。
「・・・令兄も、いつかは大人になっちゃうんだよね」
今、確か彼は高校生だったはずだ。
そうなれば、彼が“大人”になるまでもう数年しかない。
俺を抱っこしている手に、ぎゅっと力がこもる。
それでも、舞はその足を止めない。
足はそのまま、近所の馴染みの公園へと向かう。
『来たね、新しいサンタクロース』
あのときの少年が、ブランコに乗って待っていた。
まるで、舞があえて人の目を避け、ここに来ることを知っていたように。
「うん・・・舞がサンタクロースになる」
少年はにっこりと笑い、ぴゅうっと口笛を吹いた。
しゃんしゃんと鈴の音がして、彼と舞の間にすうっと何かが空から降りてきた。
まるで絵本から飛び出てきたようなトナカイとソリ。
その光景はまるで夢のような不思議さだったけれど、俺にとっては悪夢でしかなかった。
少年はソリに乗ると、立ち尽くしたままの舞に声をかけた。
『お隣へどうぞ。そしたら君はサンタクロースの仲間入りだ』
ダメだ、舞。
乗っちゃダメだ。
だけど、俺の声なんて届くはずもない。
俺が代わりにサンタになれたらよかったのに。
そしたら・・・
「舞っ!!」
その声には聞き覚えがある。
その手には、例の“説明書き”
おそらく、先日彼のところに行ったときに落としてきてしまったのだろう。
いい歳して、まるで冗談みたいなその紙の内容を信用するのもどうかと思うが、少なくとも俺の願い通りに舞は動きを止めた。
「サンタクロースになんてなるな!代わりに俺がサンタになるから・・・」
バカヤロウ、それじゃ意味がないんだ。
舞が、何のためにお前のところに行ったと思う。
『それが君の願い?』
ソリに乗った少年が言った。
ダメだ、奴の言葉は聞くな。
連れて行かないでくれ。
お願いだ。
そう願った瞬間、急に視界が暗転する。
突然のことに、あっ、と舞が小さく声を漏らすのがやけに遠くに聞こえた。
『・・・心配しなくても大丈夫だよお兄さん。
今年のサンタクロースはもう決まったから』
そう言って、少年はふとした拍子にソリの中に落ちた俺をそっとすくい上げた。
そして俺は、自分の願いが叶ったことを知る。
『じゃあボクは、今年の仕事があるからそろそろ失礼させてもらうよ。
さて、新しいサンタクロースのお兄さん、何か言い残したことは?』
俺はしゃべることなんて出来ないのに、サンタクロースの少年は俺の顔をひょいと舞に向ける。
だけどそうやって舞と顔を合わせたら、なんだか話せなくとも自分の声が彼女に伝わるような気がした。
・・・だから俺は、心の中でゆっくりと音にならない言葉を紡ぐ。
『舞、今までありがとう』
言いたいことはいっぱいあったはずなのに、もうそれしか伝える言葉が思いつかなかった。
代わりに、舞のすぐ後ろに立っていた令が俺と同じ色のマフラーをつけていることに、今さらながらに気づく。
いつか君が大人になって母親になって。
そうして生まれた子どものところへ、俺がサンタクロースとしてプレゼントを届けることが出来たら、俺はどれだけ幸せだろう。
少年サンタクロースが俺を隣に座らせ、トナカイに出発の合図をした。
シャン、とひときわ大きな鈴の音が鳴り、ゆっくりとソリが動き出す。
上昇し始めたソリから最後に見えた舞はこれまで見たことがないくらい、すごく険しい顔をしていたのだけれど。
決して泣くまいと言わんばかりに、ぎゅっと歯を食いしばっていた。
久々に読み返したら、書いた本人のくせに泣きました。