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エピソード7

エピソード7-1


頭の左側に衝撃が走る。鋭いジャブだ。バランスを崩して倒れこむ。またしても・・・だ。何度やっても通じない。一度でも当たればその場で今日の訓練は終わりなのだが・・・。


ガイル「まだまだだ。立って来い。もう一度やってみろ。」


そう言って、訓練用ナイフを構える先生。このナイフは傷つかない様に刃は潰してあるし、斬り付けたときにペイントが付着するようにしてある。引き取られてから一年たった後で始まった習慣。学校で行う勉強以外でのガイル先生なりの教育。それが今やっている【戦闘訓練】のことだ。ガイル先生が放つ攻撃には鋭さと重さが合わさり、身のこなしにも隙も無い。この習慣が始まってから攻撃が当たった事など10回もいってない。最も当たった攻撃はダメ出しを受けて「実用性に欠ける、もっと考えて動け」と言われてお終いだ。実際に当たった事がある攻撃は既に対策されてしまったせいか、避けられて反撃されるだけだった。ピエールは立ち上がると同時に訓練用ナイフを両手に構える。その様子を見て呆れる表情を見せるガイル。ナイフが届くギリギリまでは正面まで走って近づき、左手のナイフを投げる。そのタイミングで投げた方向と90度右にステップして左側へ回り込む。投げたナイフが当たるとは思っていない。それはデコイ【疑似餌】だ。一瞬でも気が引ければ良い。そして先生の利き手は右手。だから左側にはナイフは無い。避ける為にはステップを踏まなければならない。そしてステップは連続して踏めない。つまりは動けない。思い切り踏み込んで渾身の突きを繰り出す。が・・・届かない。それどころか・・・。


ガイル「っ・・・!フンッ!」


突き出した右手の手首を左手で掴まれて引き寄せられる!先生の前面まで引き寄せられて、先生の右腕が自分の胸元に抑えつける。先生は右手のナイフを既に落としていたのだ。そうして力任せに地面に投げられた。・・・投げられた先はマットの上だった。


ガイル「うーん・・・。イカンな。動きも感覚も鈍っている。一度休憩だ。」


ピエールはマットから起き上がり、ヘッドギアを外す。服を見ると、真っ白だったシャツは青いはペイントだらけだ。一方、先生の服は殆ど真っ白。それも自分の攻撃で着いた色が移っただけだ。マットに腰かけていると先生はスポーツドリンクを持ってきて渡してくれた。


ガイル「最近はあまりかまけてやれなかったからか?動きが悪い気がするぞ。何かあったか?」


ピエール「そんなことありません。毎回毎回・・・先生が強すぎるだけです。僕は日々の訓練を欠かしてません。筋力トレーニングもランニングもストレッチも。先生と違って夜も7時間はしっかり眠ってますからね。」


そう言ってピエールは渡されたドリンクを飲む。その隣にガイルは腰を下ろす。


ガイル「前にも注意したはずだぞ?両手にナイフを持つのはダメだと。相手に見切られるだけだ。」


ピエール「映画とかだと良く見かけますよ?」


ガイル「そんなもんが通じるのはフィクションの世界だけだ。現実はそうもいかん。両手にナイフを持つと言う行為そのものにタクティカルアドバンテージは無いに等しい。」


ピエール「どうしてです?」


ガイル「想像してみろ。両手に刃物を持った相手がいる。この時点で負けてるようなもんだ。いいか?両手持ちをしている時点で他の戦い方を放棄している。戦いと言う物は相手の選択肢を如何に減らし、自身の選択肢を如何に増やすかに限る。刃物を両手に持った段階で接近戦以外の選択肢は無い。自分が両手に刃物を持った後で、相手が銃を持っていた事に気づいたらどうする?こっちが銃を持っていたとしてもナイフを捨てて銃を取り出すのにも手間がかかる。相手が銃を構え始めた時にこちらがナイフを仕舞って、銃を取り出すまで待ってくれると思うか?もたもたしている間に【ズドン!】だ。」


そう言ってガイルはピエールの心臓の上を指で突く。自分の凝らした工夫を否定されてピエールは黙り込む。言われてみれば確かにそうだ。前にも両手持ちはやったけど通じなかった。だから今回は投げてみたのだが・・・。


ピエール「上手くいかないもんですね。実は自分の部屋でナイフ投げる練習もしてたんですけどねぇ・・・。」


ガイルは苦笑する。


ガイル「ナイフを投げるなんてことは更に効率が悪い。そんな練習をするなら黙って銃の射撃練習をした方が良いだろうな。投げたナイフはどうなるか考えてみろ。実際の戦いの場で投げたナイフを回収する時間など無い。何故、刃物を二つも携帯させているか考えろ。さっき私がやったが、ナイフを捨てれば瞬時に素手に切り替えられる。ナイフによる攻撃は強力だが、場合によっては両手とも何も持たない場合が有利なる事もある。もし、あの場でお前を倒し損ねたとしても予備のナイフを直ぐに構える事が出来る。捨てたナイフを敵の目の前でもたもたと拾うなんて事はしない。状況がよほど有利になったら拾い上げる事もあるだろうが戦いの中でそんなことが起こりえるとはほぼ無いだろうな。」


そう言われてピエールはますます肩を落とす。その様子を見てガイルは言う。


ガイル「努力してきた事が否定に終わっても次の努力を出来ることが大事な事だ。努力すれば全てが報われるなどと言う事はありえない事だ。だから逆に考えろ。今後、戦いを研究する中で【お前は両手にナイフを持つ】ことと【ナイフを投げる練習をしなくても良い】という事が解っただけでも素晴らしい躍進だ。お前は私の教育に真面目に取り組める。そして反省出来る。その中でお前はミスを認めてただ次に活かせばいい。そういう事が大切なのではないか?」


そう言われてピエールはやる気を取り戻したのだろう。ドリンクを煽ると立ち上がってナイフを構える。「休憩は終わりだ。続きを始めたい」と言いたいのだろう。ガイルはその様子に満足すると静かに立ち上がりピエールの5m前に立つ。ナイフを構えて言う。


ガイル「さあ・・・来い!」


ピエールは先ほどよりも鋭く踏み込み突きを放つ。もう先ほどの様な無用な行為はしなかった。それでも訓練の2時間の間、ピエールの攻撃がガイルに当たる事は一度も無かった。




エピソード7-2


ピエールは部屋に帰るとベッドに倒れこむ。疲れた。ひたすらに疲れた。ゴロリと寝返りを打って天井を見て今日の訓練を思い返す。自分のやっていることは殆どが無駄だった。何一つ通じない。先生が昔軍役していたとは言え、とても50代後半の動きじゃない。それでいて仕事の間に鍛錬を欠かさないのだからとんでもない。いつだかも軍人時代の知り合いが民間警備保障【PMC】を立ち上げるから、期間限定の教育顧問になってほしいと言われた事もあるくらいだ。その話は会社の運営が忙しいから断ったけれど。本人曰く、とっくに全盛は過ぎているから知識を蓄える事で衰えを抑制していると言っているが・・・そんな次元じゃない。先生は自分に向かって「いつか私を倒せるくらいにお前は強くなる。確実にな。」とか言ってるけどそんなイメージなんて全然湧かない。ため息をつくとバスルームへ向かう。今日はシャワーはやめてゆっくりとバスタブに浸かる事にする。先生も訓練後はシャワーよりも沐浴した方が良いと言ってるし。お湯の設定温度を温めに決めると溜まる間の時間を使って勉強する事にした。タブレットから音楽を流して、明日学校で教わる範疇を予習する。自力での学習が得意な自分には既に解りきってる事だが行われる上では仕方が無い。先生には飛び級したいと言ったこともあるが「社会勉強の為に今の学校が終わるまではそれは認められない」と却下された。予習の範囲を適当にこなしていると、バスルームからメロディが流れる。お湯が溜まった様だ。立ち上がって冷蔵庫から経口補水液のペットボトルを取り出し脱衣所に入る。着ていた服を洗濯機に放り込むとバスルームへ入った。入浴剤を選んでバスタブへ入れる。今日は柑橘系の物を選んだ。シャワーで汗を流してからバスタブへとどっぷりと浸かる。


ピエール「・・・はぁーー。」


入浴による満足感を感じると同時に空虚な感覚を味わう。保護される前まではこんな生活は想像出来なかったが、保護されたにせよ自分は恵まれ過ぎている。孤児だった頃は勉強できる子たちが羨ましくって仕方が無かった。実際、保護され学校に通い出すと周りの子たちは遊んでばかりいる。自分の価値観とはどうしても合わない。自分の将来に不安が無いのだろうか?もっとより良い人生を送りたいと思わないのだろうか?あれこれ思案しながらペットボトルを開けて飲む事にする。美味しく感じる。これが美味しいと感じると言う事は身体が疲労している証拠だ。如何に大変な2時間だったかが良くわかる。バスタブ横についてあるタッチパネルを操作する。ジャグジーを稼働させた。水泡が包み込み全身を脱力させる。この上なくリラックス出来る。肉体的にはだが・・・。内心抱える矛盾の様な感覚は消すことが出来ない。後10分程度で上がる事を決めると、就寝の時間とそれまでに行う勉強内容を考える事にした。


入浴を終えてパジャマに着替える。部屋に戻るとタブレットが光っている。学校の知り合いからメールが届いていた。内容は「ハロー、ピエール!明日、学校終わったら街に遊びに出ない?この前カワイイ女の子と知り合いになってさ。お前の見た目クールだから来てくれるとすげー助かるんだよ。どう?」と、書いてあった。退屈そうなため息をついて返信する。「それは楽しいそう。でも、明日は予定あるから1時間くらいしか行けないけどそれでもいい?」と礼儀正しい内容で返した。返信が来る間に勉強を進める。数学を解いていると返信が来る。集中を乱されてイラつきながらメールを開くと「それでもOK!絶対頼むから来てくれよ!」とあった。喜んでいるなら返信は無用だろう。再び問題文の続きを解く事に専念する。そうして夜は更けていった。



エピソード7-3


ピエールとの訓練後、ガイルは社長室にてタブレット越しでの重役会議を行っていた。議題は急拡大する自社が業界そのものに与える影響を鑑みる事であった。自社が急拡大させる事は大事だがそれにも段取りはある。全ての顧客を受け入れても悪戯に株価やスポンサーが増えるだけでそれではガイルが身が持たない。働き過ぎる傾向は何もピエールが言い始めたのが初めてではない。如何に健康診断に置いて問題無いと言われても【働かなくても資産を作り出す方法の確立】が資本主義における一種の理想像である以上、それに乖離する行動は慎んで欲しいと言う事だった。ピエールからも注意を受けた事を重役たちに報告し、自身を省みて休日を今より多く設ける趣旨を伝えると会議出席者一同が安堵の息を漏らす。誰よりも働き続ける姿勢を崩してくれた事は安心感につながったのだろう。反対意見を出すものはいなかった。それでも入社した社員や入所した利用者の最初の面談をガイル自身が行う事を止める事だけは認めなかった。その部分の意思を示すと納得半分・不満半分というような感じだ。それに会社をひたすらに拡大させてしまうのも考え物だろう。資本主義経済はライバル企業が存在するので価値があるのであって、他の企業を片っ端から潰してしまうのは自社の将来を不幸にするだけだ。サーベルタイガーの様に強くなりすぎて獲物を獲れなくなって滅亡した。如何に巨大な国があっても強すぎる為に滅亡する。発祥の起源は未だにわかっていないがあれほど栄えた世界屈指の強力な国家であるローマ帝国は何故滅んだ?その一つとされていることが【奴隷に満足に報酬を払わなかった】からだとある。奴隷の働きに胡坐をかいて永遠に繁栄をすると勘違いする富裕層が昔にもいたんだろう。危機感が無い人間に革新の精神である【イノベーション】は産まれない。危機感こそが人間をここまで発展させた。危機感が無くなった時に滅びは始まりそれは止められなくなる。だから適度に不安な状況を社内に作り出す必要もあるのだ。勿論、【イノベーション】が出来ない社員もいるがその人たちをないがしろにするつもりもない。発想力が低い人間は往々にして存在する。だがそれは何も悪い事ではない。自身の長所短所を明確に自覚して、自身にあった社会貢献を目指せば良いのだから。あれこれと会議を進めていると時間は午後9時に差し掛かった。これ以上はマズい。残業がバレるとピエールの機嫌を損なうだろう。昨日のように訓練に参加拒否の意思を示されても困る。重役たちはまだまだ続きをしたい様子であったが、自身の体調を省みる意志を示すとあっさりと会議を終了した。議事録を直ぐ届けるかと聞かれたが朝以降にメールで頼むと伝える。もし、業務終了後にメールを開いた時間帯がバレようものならピエールが本当に怒り出すだろう。それは避けたい。あれこれと閉めの作業をしていると、通信が入った。通信相手は【ヘンリー】と記載されている。


ガイル「ヘンリー博士か。何かあったか?」


ヘンリー「ん?用事があったのはそっちじゃなかったか?利用者が増える事を懸念して新しいセキュリティを考えてくれと言ってただろう。一応考えてはみたからな。その報告だ。」


ガイル「そうだったな。すまなかったな、博士。で、出来たのか?」


ヘンリー「当り前だ。あの程度のセキュリティ強化など造作もない。ただ、セキュリティ強化にも限界がある事も理解してくれ。私がどれだけ優れた科学者だったとしても、世界中のハッカー・クラッカーの対象にされてしまってはどうしようもないからな。徐々に強くしていくしかないし、現状のセキュリティに敢えて欠点を設けておくことで後々の強化に繋げる方法もある。その辺は君の指示に従うしかないがな。」


ガイル「私はセキュリティについてはとんだド素人だぞ?博士がいなければウチはなりたたんだろうな。どうか辞めたりしないでくれ。」


ヘンリー「辞めるつもりなど無い。私は自身の研究さえ出来ればそれで満足だが、会社が潰れて研究出来なくなる事が個人的には厄介だからな。私自身は会社の事業に興味は無い。ただ、個人情報を守り切る業務にどれだけ自分の能力が通じるかを試したいだけだ。世界中の情報セキュリティの最前線に立てればそれで良いと思っている。」


ガイル「解っている。だが、その発言は社の方針としては不適切だ。他の誰にも解らない様にしてくれ。あくまで私と博士だけの間柄だ。ウチはイメージでの売りが大きい。だから最低限は博士にもそう振る舞ってもらう必要がある。博士に営業といった事を任せるつもりは毛頭し、今後もそこは求めない。その上でなんらか不自由が生じた場合は庇い切れない事は理解してくれよ。」


ヘンリー「私と言う存在の対義語にモラルや人道が存在する様なものだ。君が教育用のカリキュラム作れだの、他者へ営業しろなどと言ったら私は思いつく限りの嫌がらせをして退社するからな?勿論、合法の範囲であるがな。」


ガイルはため息をつく。


ガイル「で、博士。セキュリティの受け渡しはいつだ?」


ヘンリー「万一の漏えいに備えたい。この通信でばれたとしたらそれこそ社の信用が落ちる。セキュリティの内容はチップに入れているから後日好きな時間帯に取りに来てくれ。文字通り手渡しだ。異論は認めんぞ。」


ガイル「解っている。博士の言うセキュリティだ。重要機密だとも。私が取りに行く。それを解析スタッフに渡す。解析中は外部ネットワークには繋げない。出来てもローカル通信だ。それでいいな?」


ヘンリー「それでいいとも。ところでなんだが・・・君の退勤時間はどうなっているんだ?タイムカードは切ってないのではないか?」


・・・しまった。30分も残業してしまった。失念していた。これは・・・まずい。


ガイル「博士・・・折り入って頼みがある。」


ヘンリー「研究素材を潤沢させるなら引き受けるが?」


ガイル「解った。それでいい。だから、まぁ・・・今日の退勤時間をごまかしてくれないか?タイムカードは会議終了後切った事にしておいてくれ。バレないようにだ。」


ヘンリーは「お安い御用だ。」と言って通信を切った。これで一安心だ。社長室を出ると一度、社外のレストランへ向かい遅い夕食を取る。直ぐに社に戻るとシャワー室へ向かった。10分程度で汗を流すとスラックスに着替えて仮眠室に入る。夜の11時過ぎだ。明日に備えて眠る事にする。明日からまた忙しい。やれやれと思いながら眠りについた。


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