<第二章(前)・ふたりで>
職員室の黒沢に反省文を提出し、翔真と陽は、他愛のない会話をしながら昇降口へ降りた。
靴箱から取り出したローファーに陽が足を入れる。
「なんか今日、色々あったなあ。二人乗りの件は、ほんとに申し訳なく思ってるんだけど、なんか楽しかった。ありがとう」
陽はそう言って、翔真に優しい笑みを向けた。
玄関の扉の向こうから、校庭で部活をしている生徒たちの掛け声が響いている。
それとともに玄関に入ってくる日の光が、二人にうっすらと影をつける。
「じゃあ、また」
そう言って体の向きを扉の方へ向けようとする陽を、翔真の声が呼び止めた。
「あのさ」
くるりと振り向いた陽に、翔真がためらいがちに言った。
「一緒に、かえ、らない?」
きょとんとする陽を見て、翔真が慌てて付け加える。
「あ、別に、無理にとは。ただ、なんとなく一緒に、帰りたいなー…って…」
しばらく陽の視線が翔真を見つめる。
翔真は鼓動が速くなるのを感じた。
やがて陽が口を開いた。
「うん。私でよければ。今度は、ちゃんと自分で歩きます」
陽の顔に、やわらかな笑みが浮かんだ。
陽の笑顔って、ほっとするな。
翔真はふとそんなことを思いながら、
「行こっ」
そう言って歩き出す陽を見つめていた。
夏のとある日の五時半頃。
門を出たきり、ふたりとも何も言わなかった。
時折、翔真が口を開きかけるが、何を話せばいいのか分からず、再び口をつぐむ。
ぼんやりとした緊張が感じられる空気のまま、陽はなにも言わずに翔真のとなりを歩く。
ふと、翔真が陽の横顔を見つめた。自分で見つめておきながら、なんとなく恥ずかしくなって、ふいっと目をそらすと、
「そういえばさ」
急に陽が口を開いた。
見つめていたことに気付かれたのかと、翔真の心臓がばくんっと跳ね上がった。
当の陽は、翔真が顔を真っ赤にしていることには少しも気付かず、何気ない口調で続けた。
「再来週の月曜日から、期末テストだね」
「あ、ああ。うん、そうだね」
陽がようやく翔真のぎこちなさに気付いた。
「大丈夫?…もしかして」
も、もしかして?
見透かされたような口調に、また心臓が大きく跳ねた。
「今回、自信無い?」
「う、うん。まあ、自信はいつもない」
まあそうなんだけど。いつも自信なんてないけど。でも大丈夫じゃないのは陽のせいだ、多分。
「陽は、自信あるの?」
赤面しながら、絞り出すような声で翔真が問い返した。
「私は…うーん、一応、勉強はしてる。他になにもすることないしね。幼馴染みも、高校入ってからは、部活が忙しいみたいだし。あんまり遊べないから」
することがないなんて言っても、ちゃんと勉強してるじゃないか。俺なんて、友達と遊ばない日は、ゲームか漫画か映画だぞ。
「すげえなあ」
翔真が漏らしたそのつぶやきに、陽がそちらへ顔を上げる。
「することなくても、ちゃんとしてんだなあ。俺なんて勉強もなーんもしてないしなあ」
またこうやって、一緒に登校して、帰って、陽に笑いかけて、笑いかけられて。またそうやって、また明日も、そうやって、ふたりで一緒に過ごしたい。
心のどこかにある気持ちを確かめながら、陽の歩く速さに合わせて、ゆっくりと自転車を押していく。
なんでだろうな。こんなふうに思ったの、初めてかもしれない。
「翔真くん」
ぼーっと地面を見つめながら歩いていた翔真が陽の方へ振り向いた。
いつの間にか、今日の朝、翔真が陽のハンカチを拾ったあの道まで来ていた。
その目の前の十字路の右側を指しながら、
「じゃあ、私はこっちなので」
そう言って陽が歩き出そうとする。
「また、」
それを引き留めるように、翔真が言った。
「また…」
また、ふたりで帰りたい。一緒に笑い合いながら、並んで歩きたい。
その気持ちは、喉を通りすぎても、声になることはなく、
「また、明日」
代わりに出てきたのはそんな言葉だった。
翔真の方を見つめていた陽がにこっと笑う。
「うん。また明日」
陽はそう言って軽く右手を振って、家のある方角へ、再び歩き始める。
今までこんな気持ちになったことなんてなかった。一緒にいたいとか、笑った顔見てほっとするとか。
初めての気持ちを持て余しながら、しばらく陽の背中を見送っていた。
明日もまた、ふたりで。