<第一章(後)・学校にて>
太陽によって容赦なく降り注がれる日の光がアスファルトを焼き付ける。
そんな小路を、高校生二人を乗せた、ひとつの自転車が走る。
街路樹の下に自転車を走らせながら、
「そういえばさ」
ハンドルを握っている男子高校生が、しばらく続いた沈黙と気まずさを破るように、陽へ話しかけた。
「ん?」
少し前まで、知らない男子高校生に急に話しかけられて警戒していたことも、その自転車に勢いで乗っていることも忘れている陽が短く返答した。
彼女が落としたハンカチを拾っただけなのに、どうしてその子が後ろに乗っているんだろう。
そんな疑問をぶつけることはせず、名前くらいは聞いておこうと、
「名前は?」
そう問いかけた。
「島崎 陽。宮古島の島に、宮崎の崎で島崎。太陽の陽ではる」
「陽ちゃんっていうんだー」
嬉しそうに笑って、男子高校生が続けた。
「陽ちゃんって…」
ちょっと待て。何年生か聞いてないのに「陽ちゃん」なんて呼んで、先輩かもしれないじゃないか。第一、初対面で馴れ馴れしいんじゃないか?
すると、陽がそれを察したように、
「一年生だから心配しないで。私も今気が付いたけど、名前も年も聞いてなかったし。」
と言って微笑みかけた。「名前も年も聞いていない」と言うわりには、何も聞こうとしない。
最初は警戒していたのに、いつの間にかその素性のなにひとつ分からない相手に向かって、ずいぶんと打ち解けている。
心配じゃないんだろうかと男子高校生が思っていると、
「ああ、それと、ちゃん付けでもいいけど、個人的には陽って呼び捨ての方がうれしいかな」
背中越しのその声を聞いて、
「じゃあ、陽」
そう言ってほんの少し、陽のいる背後へ顔を傾けた。
「俺も自己紹介するね」
陽から見えたのは、顔全体は分からないが、確かにさわやかな笑顔だった。
「笹川 翔真。風見野高校、一年C組。部活はなんにもやってないけど、サッカーとか野球とか水泳とか、得意かどうかは分かんないけど、一応スポーツは好きだよ。他はなんにも紹介するようなとこ見つかんないような奴だけど、よろしくね」
彼の背中にうずめた顔から、陽が上目遣いで覗いたその笑顔は、よく見えなくても、とても眩しく輝いている気がした。
「よろしく」
陽がぼそっとつぶやいたところで、しばらく会話は途切れた。
だが、さっきのような気まずさに似たものはなく、互いに居心地もわりと悪くはなかった。
それから五分ほどたって、二人とも見覚えのある建物のてっぺんが見えてきた。
「あ、もう学校…」
不意に陽がそう言って、いつもの自分の朝を思い返した。
別に友達がいないわけじゃないけれど、誰かと一緒に待ち合わせをするわけでもなく、ぼーっと周りの景色を眺めたり、色々と考え事をしながら歩いていた。つまらなかったわけではないのに、今日の朝は、なんだか楽しくて、いつもより時間が経つのが早かった。
たまにはこういう賑やかな朝もいいかな。
「着いたよ」
翔真の声ではっと前を向くと、その背中越しに風見野高校が見えた。
「(またこんな朝が過ごせるかな…)」
翔真の腰に両腕をまわしたまま、ぼーっと宙を見つめた。
「陽―、おーい」
女子に抱きつかれて、恥ずかしいような嬉しいような気持ちで翔真が呼んだ。それでもなお、陽は一点を見続けている。
「ねえちょっと、何かその、恥ずかしいんだけど…」
翔真の消え入りそうな声をかき消して、低い声が飛び込んできた。
「朝っぱらからイチャついてんじゃねえ」
その声でようやく陽が正気に戻り、二人してその声の方へ顔を向けると、ジャージの袖をまくって腕を組んで立っている男がいた。
「げっ、黒沢」
黒沢 一昌。翔真の所属する、一年C組の担任で、生活指導も受け持っている。
「ば…ばか、ちげーよ!」
翔真が赤面しながら慌てて否定する。
別に悪い気はしなかったけれど。
「あとお前ら、自転車の二人乗りで生徒指導な。笹川はともかく、島崎は指導受けるような奴じゃなかっただろ」
翔真の否定を流して、陽に視線を向けた。
ここで陽の頭に疑問が浮かんだ。
ん?二人乗り?私はぎりぎり徒歩通学の範囲のはずなのに。
「…」
考え込む陽に、翔真が言った。
「俺もずっと疑問に思ってたんだけどさ…」
「…?」
「なんで俺と一緒に俺の自転車乗ったの?」
どうでもよくなりかけていた疑問を、そういえばというように投げかけた。
自分が座っている自転車の荷物台を見て、ようやく陽は疑問が解けた。が、
「な、何でだろう?」
自分でも翔真と一緒に自転車に乗ってきたことの理解が付かなくて、急いで今朝の記憶をたどってみる。
あれ?私、ハンカチ拾ってもらって、翔真くんが用事押しつけられたって、それで、急いだら間に合うよって言って…
「私も一緒に、勢いでついてきちゃった!?」
「うん、だからそう言ってるんだってば」
「い、いや、その…急げ~!って勢い込んで…ほら、あるでしょ?ね?」
ね?と言われても、いきなり初対面の人の自転車に一緒に飛び乗ったことなど、翔真も黒沢も思い当たらない。
苦笑いでごまかす陽に呆れながら、
「まあ、とにかく反省文、放課後に残って書け。そんで職員室に持って来い。あ、あと笹川は頼んどいた用事、ちゃんとやっとけよー」
そう言い残して、さっさと職員室へ戻っていった。
「…翔真くんごめん。私が意味分かんないことしちゃったから…」
陽が申し訳なさそうに翔真を見る。
「いや、俺もすぐ言えばよかったよな、ごめんな」
「き、気付いてたの?」
「えっ、ああ、まあ」
「ご、ごごご、ごめんなさい!」
気付くもなにも、急に初対面で乗ってくるとは思わないから、驚きはするだろう。
「でもどうすっかなー」
少し不安そうに翔真が言った。
「?」
「いや、俺、文章書くの苦手だから…」
「じ、じゃあ、私が代わりに、翔真くんの分も…」
「いや、それは申し訳ないというか…」
さすがに二人分書かせるわけにはいかないよな。
「じ、じゃあ、私が文章考えるから!」
「それもあんまりかわんないんじゃ…」
「じゃあ!ざっくりと書き方だけでも!」
なにかお詫びせねばと食い気味な陽に押し負けて、放課後、図書室で落ち合うことになった。
放課後のチャイムが鳴って、生徒たちは部活や家、寄り道など、各々の時間となる。
陽は、いつも図書室で本を何冊か借りて帰ったり、テストなどが近づくとここで勉強したりするので、翔真より一足先に図書室へきて本を見繕ったあと、黙々と反省文を書いていた。
いつもは家にすっ飛んでいく翔真も、今日ばかりは、早く帰りたいという気持ちで重くなる体を引きずって、ため息交じりに廊下を歩いていた。
「何だよ、いいじゃんか別に。しょーがねえじゃん」
別に黒沢に非があるわけではないけれど、どうにも気に食わなくて、かといって、陽を責める気が起きることもなく、ぶつぶつと文句を言っている。
そうしているうちに、図書室の目の前まできた。
ぐずぐずしていて、チャイムが鳴ってからそれなりに時間が経ってしまった。
どうせやらなければならないことだし、早く終わらせて、早く帰りたい。
仕方ないかと、入口の扉を開いた。
少し奥の窓際の席で、すでに陽が反省文を書いているのが見えた。
「お待たせ―、ごめんねー遅れちゃって」
そう言って目の前の席へやってきた翔真を見て、それまで集中していた陽がぱっと顔を上げる。
「ああ、やっときた」
そう言って微笑んだ陽の手元には、すでにびっしりと文字が詰められた原稿用紙があった。
「って、早っ!」
時間が経ったとはいえ、十五分程度だ。
「もしかして、作文お強い方?」
「うーん、強いというか、まあ、別に苦ではないかな」
そう言って笑う陽を、翔真はうらやましそうな目で見ながら、ペンケースを取り出した。
シャープペンを右手に持ちながら、あっという間に書き進められていく陽の原稿用紙を見つめる。
陽の反省文はいつの間にか、一枚半以上の字数制限を通り越し、ぎりぎり与えられた二枚目の最後の行で締めくくられていた。
翔真は、名前しか書いていない自分の原稿用紙を見つめながらため息をついた。
ほんとになんにも浮かばない。せめて少しくらいは自分で考えようと思ったけれど、やっぱり昔から、じっと何かを考えているのが苦手だ。
なんてぼんやりしていると、
「最初はね」
そう言って、陽が翔真の原稿用紙をシャープペンで示してきた。
そのペン先を見つめながら、陽の言う通りに文章を書いていく。
分かりやすい言葉ですらすらと教える陽の声を聞きき続けて、十分ほど経つと、ぴたっと翔真のシャープペンが止まり、
「終わったー」
伸びをしながらのため息のような声が翔真から漏れた。
「おつかれさま~」
翔真に微笑みかけながら、陽が道具を片付けている。
「すげえ、こんな短時間で書き終わった!すっごいな陽、俺みたいなのに教えられるって」
嬉しそうに笑っている翔真に陽が言った。
「別に、書き方を教えただけだもん。書き上げたのは翔真くんでしょ?こういうこと書いて、次にこうしてーって言っただけで、文章考えたの翔真くんだから。私はそんなすごいことしてないよ」
片付けの手を動かしながら陽が続ける。
「正直に、伝わりやすいように、言葉を選んでくの。そんな、立派なこと書こうなんて思わなくても、ちゃんと文章になるよ」
陽の右手が鞄のファスナーを閉める。
「まあ反省文なら、思ってないこと書いてもバレないしね」
そう言って笑って、聞き入っている翔真に、片付けるように促す。
翔真が手を動かしながら、
「陽のおかげで書けたのは間違いないもん」
ぼそっとつぶやいた。
「陽って、教えるの上手いと思う」
陽の目を見て、やわらかく笑った。
素直に褒められて、陽が少し照れた。
そんな照れた顔も可愛いなと、翔真は窓からの風に吹かれながら、ひそかに思った。
正直に、伝わりやすいように、言葉を選ぶ。
大事なことのような気がして、陽の言葉を確かめるように心の中でつぶやいてみる。
窓からは、黄昏れの色に染まっている日の光が入り込み、そっと二人を包み込んでいた。
第一章、いかがだったでしょうか。次章では、陽の幼馴染みである優ちゃんや、翔真のにぎやかな友達を登場させる予定です。
それにしても、異性と二人で放課後を過ごすなんて、やってみたいなあ…(遠い目)