<第一章(前)・朝>
七月上旬。
肌に強く当たる太陽の熱。それによってにじむ汗。三か月ほど前までは淡紅色の花びらを身に着けていた桜の木にも、緑色の葉が日光を透かして輝きながら生い茂っている。
向日葵や朝顔といったこの季節に主役となる植物以外にも、夏が顔を出しているのが感じられることは色々あった。
そんな景色で溢れる街の小路に、ひとつの影が見えた。
半袖のセーラー服に、膝がぎりぎり隠れるかどうかの長さのスカート。黒っぽいスクール鞄を肩から掛け、ローファーから伸びる脚には紺色のソックス。
この街の高校、風見野高校の女子生徒だった。
女子生徒の、艶のあるさらさらした長い茶髪と、うっすらと赤みがさした色白な肌が、陽射しに当たるたびに光を溶け込ませて輝いている。この季節には日焼けなどで困る人も多い日の光を、自らの味方につけたようにも見える。
彼女は時折、一重だがぱっちりとした目の中にあるメイプル色の瞳を、辺りを見回すようにきょろきょろと動かす。
そのたびに映る景色に夏の訪れとやらを感じながら、平日の朝の通学路を歩いていた。
その女子生徒――――島崎 陽が、目を守るようにしながら左手を顔にかざし、強い陽射しの方をふと見上げた。
「夏だなあ…」
ため息のようなつぶやきを漏らして、眩しそうにそっと目を細める。それに反応するように、そよそよと風が通った。熱と湿り気を詰めた空気の中に、色濃く、鮮やかな夏の青空が浮かび上がる。
真上の空を見上げたままの陽が思わず感嘆してため息を漏らしていると、その背後から、誰かが自転車を走らせる音が近づいてきているのに気が付いた。
はっと我に返って振り向いた陽の目に、半袖のワイシャツをなびかせて自転車を走らせる人影が映った。黒いズボンを履いて、漕いでいる自転車のカゴには陽と同じようなスクール鞄を入れている。
男子高校生のようだ。
なんてぼんやりしているうちに、その男子高校生らしき人影と、タイヤとアスファルトがこすれる音が段々大きくなっていく。
陽がまたもや我に返り、それをよけるように二、三歩慌てて後退した目の前を、その人影は走り抜けた。それが通り過ぎた瞬間、少し背中を丸めるような姿勢で思わず目をつぶった。
「あっぶな…」
びっくりした様子で陽が縮んでいると、
「ねえねえ」
しばらくして頭上から声が降ってきた。
「(ん?)」
聞き覚えのない声に戸惑いながら顔を上げると、ふわふわした茶髪の少年が陽を覗き込むように立っている。
「(やっぱり見覚えがない…誰だ)」
話しかけられたことそっちのけで、観察眼を少年に向ける。
半袖のワイシャツ、黒いズボン、カゴにスクール鞄の入った自転車…さっきの高校生か。けど私になんの用だ?どっかで会ったことあったっけな…いや、無い、はずだ…。
う~ん…とうなり声を上げる陽に、
「あのー」
少年が再び声を掛けた、が、完全に自分の考察に入り込んでしまっているようで、一向に気付かない。
どんな小さなことでも、いったん考え込んでしまうと意識が迷宮入りしてしまう、陽の癖である。
「おーい」
やっぱりうなっている陽に半ば呆れてから、今度は耳元で呼んでみる。
「大丈夫?」
「ひぁああ!?」
少年が言い終わるが早いか、陽はようやく、悲鳴と共に迷宮から戻ってきた。
自分の意識に突然入り込んできた声の方へ勢いよく顔を向けると、ぶつかりそうなくらい近くに、さっき自分を覗き込んでいた顔があった。
「おっと…」
そうつぶやいて、少年は思わず顔を引いて、
「やっと気づいた」
嬉しそうな笑顔を陽に向けた。地面に降り注ぐ夏の日光にも勝ってとても眩しく、でも、ずっと見ていたいと思えるような笑顔だった。
思わず見入っている陽を、少年がぽかんとしながら見つめる。
「(この制服…)」
口を半開きにしている陽に、再び話しかけた。
「もしかして風見野高校?」
その問いかけに、はっと我に返って、
「え?ああ、うん。まあ」
思わず見入っていたことを隠すように、挙動不審にそう答えた。
なんだこの人、うちの高校?でも初めて喋るな。少なくともクラスメイトではない…
「あの…」
陽が恐る恐る口を開いた。
「何か、ご用でしょうか…」
警戒しているような遠慮がちな陽の声に、何かを思い出したように
「ああ、そうそう」
と言って、それまで握っていたであろう何かを陽の前に差し出した。
「えっ、私いつの間に?」
少年が持っているそれを見て、慌てた様子でスカートのポケットに手を突っ込む。
その中に何もないのを確認して、ようやく彼が呼びかけてきた理由が分かった。
「君ので間違いない?」
「ああ、うん。ありがとう」
陽の手に乗せられたのは、一角に向日葵の刺繍がほどこしてある白いハンカチだった。途中で陽が落として、それを少年が拾っていたのだ。
陽はそれを受け取って、よかった、とそのハンカチを抱きしめる。
陽の顔が、やわらかな笑みでほころんだ。夏の木漏れ日のように、やさしい笑顔だった。
その笑顔を思わず見つめながら少年が尋ねた。
「そんな大事なものなの?」
「うん」
陽はうなずいて、過去の何かを思い出したかのような嬉しそうな声で言った。
「誕生日にもらって…すっごく嬉しかったの」
無邪気ささえ垣間見える笑顔は、陽の大人びた顔立ちに、無垢で純粋な少女を思わせた。
守りたくなるようなその笑顔をじっと見つめている少年に、いつの間にか微笑んでいたことに気付いていないまま、今度は陽が尋ねた。
「どうかした?」
ぽかんとしている陽の問いかけで、少年は我に返った。
「いや、その…」
可愛いなと思って、などと口に出せるはずもなく、こっそり赤面した。
頭にクエスチョンマークが浮かんでいる陽をよそに、にやにやしそうな赤い顔を両手で覆い隠す。
まあいいや、と、不意に陽が左手首の腕時計に目を落とした。
「あれ、もう七時五十分か」
そうつぶやくと、少年は何か思い出したように
「あ、やっべえ」
と、少し焦り気味に言った。
「今日担任に用事押しつけられてるんだった…」
「用事?」
繰り返すようにつぶやく陽に、少年は半ば独り言のように言った。
「それ忘れてて、いつも通りの時間に起きちゃって。いつもの道だと間に合わないから、この間知ったこの道使ったんだけど…」
なるほど、だから今まで見覚えがなかったんだ。
陽はそう納得してから、笑顔で少年に言った。
「でも、ハンカチ拾ってくれただけじゃない。急いだら今からでも間に合うと思うよ」
そう言って、こうしてはいられないとばかりに、少年を急かしながら立ち上がった。
少年が自転車にまたがると、なぜか陽もその後ろの荷物台に乗って、少年に抱きついた。
急に後ろから抱きつかれて、少年が顔を真っ赤にしていると、
「さあ早く!」
と、勢いで年も名前も知らない初対面の男子高校生の自転車にまたがっていることも忘れて、急き立てた。
「あ、あぁ。うん」
その勢いに押されて、戸惑いながらもペダルに足をかけ、アスファルトを思い切り蹴った。
「(なんでこの子まで?)」
と思いながらも悪い気はせず、陽に言われるがまま自転車を走らせる。
夏の眩しい景色の中を、自転車の上の影が二つ、すべるように駆け抜けていった。
いきなり初対面の男子生徒に抱きつくなんて陽ちゃん大胆ですね~
私もこんな青春がしたい…(無理いうな)
そんなことより投稿がかなり遅くなってしまった…テストなんか大っ嫌いだあ(泣)