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第3章 三囚合同コンパ開催

 半島を取り巻く流氷が消え、風に乗ってオジロワシが滑空する。オオハクチョウの群れはすでに、北方を目指して渡り終えた。

 知床の深い森にも鳥がさえずり、エゾシカが群れを成して木の皮を食み、草地に種を落としたエゾカンゾウがところどころに咲いて黄色に彩る。



 かくして知床監獄も春爛漫の候を迎え、第一回・三囚合同コンパの会が華々しく開催される運びとなった。

 

 大食堂には自家発電の照明が用意されているのだが、日暮れにはまだ早いのでその必要はない。薪ストーブの照り返しが、村祭りの屋台のカーバイトランプの風情を思い起こさせる。


 次々と監房から出されてくる囚人たちは、無垢でいたいけな幼児のように頬を赤らめ、期待に胸をときめかせている。ざわざわと、おずおずと、興奮を隠しきれない様子で看守の指示を待ちわびていた。

 

 やがて大食堂の東の入口から無期懲役囚の一団が、西の入口からは死刑囚の面々が、そして最後に女囚の六名が姿を現した。


 看守の誘導に従って列を整え、粛々と入場して来た囚人たちだが、無期囚と死刑囚の先頭同士がキッと鋭い目つきを合わせた刹那に、ピタリと列の動きが止まった。と、思いきや、ワォーという喚声とともに、男囚も女囚も入り乱れて席の奪い合いが始まった。

 

 規律や協調や謙譲とかは言うに及ばず、知性も情も倫理も愚の骨頂としか受け入れられない彼らにとって、意味のない闘争と混乱の中にこそ不文律の秩序があったのだ。

 心地良い罵声と小競り合いを緩衝にして強者弱者の折り合いがつき、看守の制圧を待つまでもなく大食堂に静寂が訪れた。


 その機をとらえて所長の西園寺は、司会を務める看守長の権藤からマイクを受け取って開会の挨拶を始めた。


「えー、所長の西園寺であります。本日、十三日の金曜日の仏滅ではありますが、三囚合同による第一回懇親会開催の運びとなりましたことを、大変喜ばしく思っております」


「イヨー、大統領―、待ってましたー、ワォー」

 割れんばかりの叫び声を、看守たちが両手を上げて制する。囚人たちの興奮がようやく収まったところを見計らって、西園寺は再び挨拶を続ける。


「皆様方はゆえあって罪を犯し、えんあって当監獄に来られた。ここにおられる多くの方々は、終戦直後に生を受けた団塊世代の成れの果てであります」


 大食堂の高い天井を仰ぎ見て、思案をするかのように西園寺は眉をしかめる。女囚を含む七十人の囚人たちは、しつけられた子供のようにおとなしく、テーブル席に座して西園寺を見つめている。


「東京は焼け野原、戦地から引き揚げてきた兵隊さんたちが見合いをすれば、全ての女性が美人に見えたと叔父が言っていました。日本全国で三々九度の盃が舞い、大量の命がこの世に飛び出してきた。だからあなたたち団塊世代は、生涯永遠に激烈な競争を宿命として生きてゆく破目になった。口減らしのために集団就職列車に乗せられ、遠い都会に捨てられて、孤独で生き抜き、戦い、挫折もした」


 囚人たちは誰一人よそ見をすることもなく、相槌の鼻息さえ聞こえぬほどに聞き入っていた。


「私ごとで恐縮でありますが、この混沌の世代の入口で、一つの運命が弄ばれてしまった小事についてお聞き願いたい。それは、たった一つの小さなボタンの掛け違いだったのです。産婦人科病院での出来事です。産院の狭い部屋の洗い場に、生まれたばかりの赤ん坊が大根の如く幾つも並べられて、流れ作業で身体を洗われている際に、赤ん坊の取り違えが方々の産院で起こったのです。冗談ではありません、事実なのです、コホン」

 西園寺の小さな咳払いが、静まり返った大食堂の隅っこまで響く。


「あなたたちと同じ団塊世代の知人の話です。彼は天賦の才に恵まれたおかげで小学、中学、高校と、さして勉学に励むことなく成績優秀でありました。尋常小学校卒の両親は、トンビが鷹を産んだと鼻高々に喜んでおりました。何と馬鹿らしい事でしょう。そもそも両親はトンビで、彼は鷹だったのですから……。しかし、考えてみて下さい。どこかの鷹の両親に、トンビの子供が生まれた事になるのですから……。東大卒の両親に高邁な目標を託されて、医者になれ、高級官吏を目指せと重責を担ったトンビの子供の運命やいかに。死ぬほどの苦悩と葛藤をいだき続けた末にグレグレの泥沼で足をすくわれ、覚醒剤や暴力犯罪の渦に流され巻き込まれ、逃避の先さえ失って重犯罪や死を選んだ人もいるでしょう……。彼が産婦人科で取り違えられたと、なぜ分かったのかというのですか? はい、彼は学生運動の闘士として、日本の未来と改革のために戦った。機動隊の容赦のない攻撃に傷つき血みどろとなり入院させられ、その際に血液検査を受けたのです。そして知ったのです。彼が両親の子でないことを。賢明で慈悲深い彼は沈黙を守り通したので、両親はこの事実を知らずにあの世に行ってしまった。彼も本当の親がどこにいるかを知らないし、知るすべもありません」


 西園寺は最後にいたわるような、穏やかな口調で締め括った。


「皆さんも、どこかで小さなボタンを掛け違えたのです。犯す必要のない罪を犯してしまった。世間を恨んでも、時代を恨んでも、ましてや親を憎んでも仕方がない。定められた運命なのだから。今日は、語り合おうではありませんか。己のつたない精魂について。背負って来た宿命について。なぜ罪を犯さなければならなかったのか、どこでボタンを掛け違えたか。ささやかですが精一杯の料理と酒を用意しました。諸行は無常にして果てしがない。心に残る重いしこりを酒精と一緒に喉の奥に流しましょう」


「ワァー」

「ウオォー」

 パチパチパチパチパチ

 西園寺所長の一礼と同時に大歓声の拍手が起こり、看守長の権藤による司会の声がこれに続いた。


「えー、それでは次に、我が知床監獄唯一の例外であります高齢の、無期懲役囚による囚人代表挨拶であります」


「おー、いいぞ、おっさん。手短にやれよ。料理が冷めるからな。長話なんぞしやがったら只じゃおかねえぞ」

「そうだそうだ、立ち上がったら直ぐに座れ。分かったかクソ親爺」

「もう終わったか? なにい、これからだあ。早くしねえと死刑だぞ、このくたばりそこないの老いぼれ」


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