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第13章 企(たくら)み

 健吉は尻を押さえて悲鳴をあげた。喉も痛くて首に手をやった。


 何が起こったのか分からない。足元の床が開いて一瞬の息苦しさをこらえ、動顛して闇をさまよったところまでは覚えている。


 失神したのか死んだのか、首に手を当て、目を見開けば漆黒の闇の中だ。意識があるから死んだとは思えない。足を打ち付けたのか膝も痛い。どうやら自分は柔らかいマットの上に転がっているようだ。


 徐々に判断力を取り戻した健吉は確信した。処刑は失敗したのだと。この監獄で処刑台が使われたのは俺が初めてだから、機械や装置のどこかに不具合があったに違いない。

 だけど、仮にそうだとしても、俺はいったいどうなるのだ。


 何も見えない暗闇の中でしばし呆然としていると、後方の扉が開いて明かりが差し込み、一人の男が現れた。


「死刑囚郷田健吉が死んだことを、ただいま、しかと確認した」

 それは聞き覚えのある声だった。

 

 もぞもぞと背を起こして座り直した健吉は、精一杯の声を絞り出した。

「その声は所長じゃねえか。悪い冗談はやめてくれよ。機械の装置が壊れて処刑に失敗したんだろ?」


「機械は壊れていないし、失敗でもない」

 つっけんどんに所長の言葉が返される。


「失敗じゃないって、どういう事なんだよ? いくらなんでも処刑台で囚人をもてあそぶのはタチが悪過ぎますぜ」

 面食らって声を張り上げる健吉に、西園寺は冷然と語りかける。


「郷田健吉は死んだと言ったはずだ。検察官が処刑に立ち会ったのをお前も見たはずだ。冗談でも遊びでもない、刑は執行されたのだ。私の責任において死亡手続きが行われ、郷田健吉の存在はこの世から抹殺されることになる」


「だったらこれから俺はどうなるんですかい? 血の巡りの悪い俺には、何のことだか分かりませんぜ」


「君はこの一年のあいだ、監獄の規律を守らせる風紀委員としてみごとに務めを果たしてくれた。おかげで囚人同士のトラブルはなくなり、怠惰に反抗して妨げになる者もいなくなった。ヤクザも学者も浮世のしがらみが解けて、赤子のような純真な心を取り戻した。囚人たちに自主運営の重要さを諭し、その機能を構築することができたのは君の努力によるものだ。ゆえにさらなる健闘を期待する」


「所長さんよう、そいつは勝手が良すぎやしませんかい。死刑囚にも生きる目的を与えてやるとあんたは宣言して改革を始めた。死ぬ人間になぜ生きる目的がいるのだと俺は思ったけど、まあ、ここで死ぬまでのゲームなら楽しんでみようじゃねえかと考えて、あんたの言う通りに動いているうちに死ぬことを忘れてしまった。そうして一年たって、死を忘れてしまった頃に突然処刑を突き付けられた。いいかい所長さん、生きる希望を与えられた死刑囚が、いきなり手のひらを返されて処刑されたら、二度と生きる気力なんて湧いてきやしませんぜ。生きろと言われて夢を見たら処刑台に連れ出され、きっぱりと生きる未練を絶つと覚悟を決めたらまた生きろだと、そんな器用なまねなんかできませんよ。俺は完全にやる気が失せて、すっかり腑抜けになっちまったんだ」

 

 そんなことは承知の上だと言わんばかりに西園寺は、健吉の愚痴を軽く黙殺して咳払いをする。


 最高裁で死刑を宣告された被告人は、生きる望みをきっぱり捨てて死ぬまで檻の中だと往生を決める。ところがふとした手違いで、刑を免れる僥倖ぎょうこうを得られたとすればどうだろう。とたんに死の恐怖を覚えて、怯えて、生きることに固執するだろう。ところがもしも、戸籍と国籍を奪われて、生きる権利をも保証されなければどうだろうか。


「君たち死刑囚は極悪非道の殺人を犯した。人殺しのみそぎは処刑台で身体を清め、死をもって償うしかないのだ。だから死んでもらった。これからは生きることを考えるのだ」


「ちょっと待ってくれよ。死んだ人間に生きろって言われたって、いまさら俺がどんな顔してみんなの前に戻れるんだよ。どんなに規律を振りかざしたって、死人の命令なんて誰も聞きゃあしませんよ」


「勘違いするなよ。私は君に、みんなの所へ戻れとは言っていない。ここは法務省直轄特別管区の知床特殊監獄だ。特殊監獄の特殊な目的を貫徹するために、君は処刑され、生き返ったのだ。良く聞け、郷田健吉。いや、もうすでに郷田健吉ではないのだが、君を生かした真実の理由を告げる。しっかりと心して聞きたまえ」


 意味を解せず呆然と座り込む健吉に、西園寺は語調を一変させて説得を始める。


「太平洋戦争が終わり、日本は軍隊を放棄した。無条件降伏した日本は、他国に押し付けられて憲法を改正した。その憲法に平和主義と規定されているから、安全が保障されていると日本人は勘違いしている。安全なんか、保障されてはいないのだよ」


 西園寺の話は本題に向けて、次第に熱を帯びてくる。


「日本は戦後復興を乗り切るために、貿易や経済の立て直しが急務だった。ところが経済発展に目を奪われて、政府も国民も国家の安全をなおざりにして平和ボケに慣れきっている。いま世界の各地では、国家の欲望と威信をかけて戦争や紛争が絶えることなく勃発している。中東戦争や国境紛争など、世界の情勢は混沌としている。そういう視点で日本を見つめ直せば、日本国民がいかに脆弱で不安定な、薄氷の上の平和と安全に胡坐をかいているかが分かるだろう。そうは思わないかね?」


「よくは分からねえが、そんな気もする……」

 言葉の意味を必死で汲み取ろうとして健吉は、微動もせずに聞き入っている。かまわず西園寺は話を続ける。


「日本の各地にアメリカ軍の基地がたくさんあるが、駐留に要する経費負担額の不公平を、かねてから米国は日本に訴えている。駐留軍の経費を増額しないと、日本を守り切れないと脅して要求しているのだ。はたして日米安保条約という紙切れだけで、いざという時にアメリカは本気で日本を守ってくれるのか。日本は憲法に縛られて軍隊を持てないから、戦争はできないし武器も持てない。中国やロシアや朝鮮民族にとって、日本の憲法なんて紙くずと同じなんだ。人権も平和もクソもない、人を殺すし、領土も奪うし、誘拐もする。だから我々は、他国の攻撃に対して周到な準備をしておかなければならないのだ。それがこの監獄の設立の意図だ」


「なんだかよく分からねえが、俺にスパイでもさせる気かい?」


「イキがるな、バカ者。スパイというのは頭脳を駆使して敵を欺く、とりわけ高度な情報戦だ。お前なんかに務まる訳がない。いいかよく考えろ。この一年間、君たちは何をしてきたかを。特別管区である知床監獄には恩赦も特赦も大赦もない。いかなる軽減制度も適用されることはない。死刑囚も無期懲役囚も全員がここで死を迎えることを君たちは覚悟したはずだ。しかし人間は、生まれた時から根っからの死刑囚などいない。社会のうねりに適合できず、恵まれない環境の中で、否応なく犯罪に手を染めなければならなかった宿命を私は呪う。そんな君たちに、新たな運命を与えようと私は決めた。平気で人を殺せる死刑囚の胆力を、正義と鉄則によって洗浄し、日本を守るための戦士として養成して生まれ変わらせる。自主運営の改革を推進するために、強固な団結と絶対的な安全を確保する。その為には、規律と会話が必要だった。だから三囚合同コンパを開催した。誰もが要所の役割をあてがわれて責任と自覚を持ち、生きる希望と勇気を持って自主運営を確立させる」


「ようやく話が見えてきたぜ。俺たち死刑囚を教育したうえで処刑にみせかけ、自衛隊にでも送り込んで特攻隊にしようって魂胆だな。まあいいさ、どうせ俺たちの運命は死しかないんだから」


「君たちの行く先は自衛隊ではないし特攻隊でもない、軍隊だ」


「なんだって……、 日本は軍隊を放棄したって、あんたさっき言ったじゃないか」


「軍隊なくして国家は守れない。徴兵制度なくして兵は育たないのだ。世界で軍隊を持たない国々は、持たないんじゃなくて、金が無いから持てないだけだ。大国に安全を依存する小さな国ばかりだ。日本は金があるけど、憲法で徴兵制が禁じられているから、世界を相手に国土を守ることもテロ対策すらもできない。武器には武器を持って制する闇の軍隊が必要なのだ」


「そんな軍隊が、どこにあるんだい?」


「無人島の海底基地ではすでに、海底戦艦が秘密裏に建造中だ」


「か、海底戦艦て……、な、何なんだ?」

 呆然とたじろぐ健吉は生唾をゴクリと飲み込み、何が飛び出してくるか予測もつかない西園寺のさらなる言葉を待ち受ける。


「戦艦十隻、潜水艦五十艇分以上の戦闘能力を有している。ジェット機並みの速度で移動できるし、核ミサイルも搭載できる。海底空母も建造中だ。軍事国家を恐怖に怯えさせるだけの攻撃力を備えている。かつて戦艦大和を建造した日本の造船技術と、最先端の物理工学が駆使されている。だが、いざという時にこの戦艦に乗船して戦えるのは、戸籍も国籍も持たない君たちなのだ。国籍不明の謎の艦隊として、日本の領土と国民を守る最強最後の切り札なのだ。我々は決して戦争を望んでいる訳ではない。いざという時が来なければ、それが一番良いのだ。君たちは訓練を怠らず、永遠に雌伏していれば良いのだ」


「雌伏って……、どうすりゃいいんだよ……?」


「終戦直後に生まれた団塊世代の君たちは、戦争の恐怖を直接体験していないから戦うことに物怖じしない。復興のさなかに育ったから勢いがあり、規律をわきまえ従順さがある。ここに選ばれし君たちは、愛国心と実行力を兼ね備え、人を殺すパワーを秘めている。君たちが団塊の世代に生まれたことは宿命だ。その宿命の底に眠っているエネルギーを、浄化の炎に変えるのだ。魂を浄化させて地獄から天国へと這い上げれ。それこそが団塊煉獄の目的なのだ。君たち第一期生が試金石となり、国家安泰の礎となるのだ。これから数か月のうちに、ここにいる死刑囚の全員が処刑されるだろう。すみやかに刑は執行されて、最強の戦士として蘇り、次に新たな死刑囚たちが収監されてくる」


「戦士だなんて簡単に言うけど、人殺しの俺たちに海底戦艦だの空母だのを操れるのかい? それに、日本中の死刑囚を全員集めたって百人余りしかいやしねえ。とうてい無理だと思うがねえ」


「機械はAIが操作する。遠隔操作で艦は動く。君たちは戦闘員だ。行けば分かる。何も案ずることはない」


「無人島って、どこにあるんだい?」

「誰も知らない……」


 固唾を呑んで耳を傾けていた健吉も、ようやく己の運命の先を見据えることができた。なんとか落ち着きを取り戻し、気になる最後の疑問を投げかけた。


「それじゃあ京麻呂の野郎と冴子姉さんも、俺と一緒に海底戦艦とやらの戦士になるのかい?」


「錦小路京麻呂にはストーカーの悪癖があるが、数理にたけて語学も堪能だ。適切な役割を与えられ、有能な戦士になるだろう。冴子は無期懲役囚だから死刑にはならない。彼女たちは獄舎の職員となって、死ぬまで職務を全うする運命だ。新しく入所して来る囚人たちの面倒を見ることになる。いずれ彼女たちはベテランの職員となって、死刑囚たちの思考、動向、所作を監視する。本音を語り合って本性を知る。そのために三囚合同コンパを開催しているのだ。面と向かって取り調べをしたって、真実など露わにはならないが、酒が入れば本音がこぼれて人間性が剥き出しになる。それを調書にとって軍部に送り、どんな戦士に育成するかが決められる。唯一高齢の乱吉は、医師免許は持たないが医療にたけている。囚人たちの面倒をみてもらうに貴重な存在だ」


「軍隊には女もいるのかい?」

「三囚合同コンパを思い出してみろ。死刑囚には女囚もいたはずだ。だが、お前たちは処刑された身であることを忘れるな。余計な煩悩は捨てろ。戦う事だけを考えろ」


「そういうことかい、良く分かったよ。俺はこの一年の間、自分が死刑囚であることを忘れたことは一時いっときもなかったけど、所長さんが仕掛けた改革をゲームだと思って、俺なりに精一杯熱中できて楽しかったよ。だから所長さん、どうせ俺には生きる権利も国籍も無いんだから、もう一度ゲームだと思ってあんたの企みに乗ってやるよ。海底戦艦に乗り込んで、命を懸けて暴れてやるよ」


 これ以上、聞きたい事は何もないし知りたい事もない。どうせ死人の亡霊だから。ならばこれから自分はどこへ行って、どうすれば良いのか。健吉は所長に問いかける。

「俺はいつまでこの暗がりの中にいるんだよ?」

 

 頷いて西園寺が暗闇の先を指差すと、コンクリの壁が動いて隠し扉が開き、闇の通路の輪郭が浮かび上がった。人一人がようやく通れそうな狭い空間が、運命の行く先を暗示するかのように招き寄せる。


「このトンネルは知床半島の岸壁まで続いている。灯りは無いが枝道も無いから無心に進め。一時間も歩けば海に出る。そこに一隻の潜水艦が待ち受けている。団塊のパワーこそ君たちの生きる源だ。永久とわに達者であることを祈る。さらばだ」


 健吉は立ち上がると、深くこうべを垂れたのち、ゆっくりと首を持ち上げて別れを告げる。


「俺は行くぜ。どこか知らないが無人島の基地へ……。所長さんよ、俺たちはあんたのお陰で良くも悪くも希望を持てた。みんなもあんたを信頼している。後に残ったみんなの事をよろしくたのむぜ」


「私は本日をもって、定年を迎えて解任される。まもなくここを去る」


「何だって!」

 健吉は目をむいて、直立している西園寺の顔を直視した。何事もないかのように飄々と、所長の声は穏やかだ。


「先ほど君を処刑台に送った。それが私の最後の仕事だ。まもなくヘリが私を迎えに来るだろう」


「待ってくれよ、所長さん。定年だって……、ふざけたことを言いやがるぜ。俺もみんなもあんたの気合に負けて、あんたを信じて言う通りに動いてきたんだ。それを辞めるだと……、生まれたての赤ん坊を、他人の家の軒先に捨てていくようなまねをするなよ。人に責任を持てと押し付けながら、自分が一番無責任な事をするじゃねえか。定年なんて言い訳をして、みんなを捨てて逃げる気かい?」


「世の中の組織には、自分の意志ではどうにもならないケジメというものがあるのだ。いっかいの役人の私などは、路傍に転がる石ころと同じだ。私は役割を終えた陽炎に過ぎない。すぐに内閣情報局から新しい所長が赴任して来る。私と一緒に改革を進めて来た者だ。たとえ所長が代わっても、改革の志は堅持できると私は信じている。君が憂える必要はない」

 

 不承不承に背を向けた健吉は、黙ってうなずきトンネルの闇奥に姿を消した。隠し扉は閉じられて、何事もない刑場に戻って静まり返った。


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