1の3 狂気の改革宣言
翌日の午前十時、朝食が終わって囚人たちが監房に戻され、監内が落ち着いたのを見定めた西園寺は、看守長の権藤に命じて全職員を大食堂に集合させた。
全職員が集まりましたという権藤の目配せで、おもむろに壇上に上がった西園寺は着任の挨拶を始めた。
「法務省にて所用があり、赴任が遅れましたが、私が所長の西園寺正義であります」
一呼吸おいて西園寺は、大食堂に集められた看守たちの顔を左右に見渡す。
「えー皆さん、私がここに来ましたからには、これまでの刑務所や拘置所の概念にとらわれず、というよりもくつがえし、平和と活気、愛といたわりに満ちあふれた獄舎の改革をめざす所存であります。まず第一弾の行事としまして、囚人諸君の相互コミュニケーションと懇親を図るために、死刑囚、無期懲役囚、及び女囚を交えた三囚合同コンパを開催したいと思います」
通り一遍の着任の挨拶だろうと何気なく構えていた看守たちは、いきなり途方もない発言に肝をつぶした。
「な、何とたわけたことを。人殺し同士にどんなコミュニケーションが必要なんだ。囚人たちへの慰安ならば、芸人や歌手を招待して音楽ライブでも催せばいいじゃないか。いったい何を考えているんだ。よりにもよって、女囚を交えた合コンなどとたわけたことを。気でも狂ったのか」
看守たちがひそひそと、顔を見合わせて囁き合う。
「そうだ、そうだ。死刑囚と無期懲役囚だぞ。あいつらみんな人殺しだぞ。俺たち看守の目を盗んで何をしでかすか分からない奴らだぞ。とてもじゃないが面倒なんか見てられないぞ。まさか酒まで出そうって訳じゃないだろうなあ」
「酒も出す。酒なくして何がコンパだ」
西園寺所長の前代未聞の提案に、看守たちは驚き呆れてざわめいた。錯乱してめまいを起こして卒倒する者まで現れた。
「な、な、な、何と恐ろしい。これだから現場を知らずに、思いつきで物事を決める管理職は困るのだ。油断もすきもない極悪非道の凶悪犯を相手に、日々神経を逆なでされながら戦っている俺たちの苦労も知らないで合コンだと。酒も出すだと。何を寝ぼけた事を考えているのだ。喧嘩どころじゃないぞ。強姦されても、殺人が起こっても、放火されても知らないぞ」
「俺だって、巻きぞえになるのは嫌だ。当日は休暇取らせてもらうぞ」
「俺もしばらく青森の郷里に帰って、ほとぼりが醒めるまでゆっくり休養をとることにするか」
「おうおう、想像しただけでも目眩がするぜ。どうしてもというのなら、拳銃を持たせてもらって、正当防衛を保証してもらいたいもんだ」
看守たちのぼやきが大食堂のすみずみにこだまして、壇上に立つ西園寺の耳に飛び込んでくる。所長の真意が掴めず権藤は、直立したままの姿勢で瞑目している。
いつまでも静まらない喧噪に苛立つ西園寺は、再び全職員を見渡して一喝した。
「馬鹿者! いいかよく聞け、看守たち! 生きている人間の運命というものを考えろ! この世の中に、人を殺すために生まれて来る奴なんかいやしない。誰もが母胎にいる間、生命が誕生してから今日までの進化の過程を学ぶのだ。命の尊厳と軌跡を悟り、生きるための知恵と本能を伝達されて生まれて来るのだ。その中には、愛情やいたわりもあれば、残忍な裏切りや憎しみもある。そのような感情が、どのようなきっかけで湧き上がるのか。すべて、環境という外因に刺激を受けているのだ」
西園寺所長の改革宣言はこのようにして始まった。なおもざわつく看守たちの囁きを権藤が制する。
グホンと咳払いをして西園寺は続ける。
「胸に手を当てて考えてみろ。あいつを殺してやりたいと思ったことは一度もないか? あの人が死ねば良いと考えたことは一度もないか? 思ったことは殺したことと大差ないのだ。確かに、殺してはいないから罰は受けない。それは殺す必要がないだけ環境に恵まれていたからだ。それだけ親や世間に甘えていたから、殺さずに済んだのだ。極悪な殺人犯を見て、何て非道な事をするのだと指を差す。しかし、考えても見ろ。いやが応にもその環境に自分が置かれた時にどうするかを。人を殺すくらいなら、飢え死にを選ぶと言い切れるのか、君たちは?」
どんな優しい顔をしていたって裏がある。薄っぺらなプライドがあり、薄汚れた愛があり、醜い友情がある。表と裏が、いつ引っくり返るか分からない。
この世の摂理を考えてみろ。真面目に働いて銭を稼いで、幸せそうに飯を食っている間は気づかないが、人は空気を吸って、水を飲んで生かされている。それだけで生きていられるのに、欲をかくから禍が生じる。だから、犯罪は必然なのだと西園寺は言い放つ。
人間には上があり、下がある。それが宿命というものだ。そこに自惚れと卑下が生まれる。羨望と憎しみが生まれる。自らの宿命からはみ出そうとするから、人生が狂い始める。
将来を夢想し、はるかなる希望を求めて運命を切り開くために努力する。それが人生であり、生き甲斐ではないかと人は考える。罪を犯せば悔い改めるために罰を受け、病気になれば苦痛と戦い、幸福を求めるために人を愛し、家族をいたわり思いやり、学問勤労にひたすら励むこと、それこそが生き甲斐のある美しい人生ではないか。そんな言い草は、みんな綺麗ごとだと、西園寺は切って捨てる。
「そんなことはみんな分かっているのに、不公平が生じるのはなぜか? 努力しようと頑張れば谷底に突き落とされて、避けようもない禍に見舞われて犯罪に走る人たちがいるのはなぜか? 世の中の人間が、みんな双子の兄弟ではないからだ。生まれた日が違い、親が違い、環境が違うだけで、優劣や強弱の関係ができる。その宿命にあらがい、負けた人たちがここにいるのだ」
看守長の権藤が、壇上に立つ西園寺に湯呑みを渡してお茶を注ぐ。それをグイと飲み干して舌鋒は続く。
「人は誰しも、生きる先を悩み苦しむ必要はない。先を考え過ぎれば、死を考えなければならなくなる。今を生きるために考えればいいのだ。どうせ未来など見えないのだから。ところが、ここにいる囚人たちはどうか。未来は確実に見えている。死だ! 今を生きるために何を考えるか。無だ!」
一千万種類の生物の中で、言語を操れるのは人間だけだ。だから人間は考えることができるし、情報を交換することができる。これがコミュニケーションだ。言語を遮断された人間は、もはや人間の資格も尊厳も剥奪されたことになる。
「いいか、よく考えろ! ここで刑に服する人たちの運命の過程を。君たちが生きて来た人生と、いつ交錯していたかも分からない表裏一体だと考えろ! この監獄に服役している囚人たちは、戦後のベビーブームに生まれた団塊世代ばかりだ。働き盛りの年齢でありながら、二度と夜明けを見ることもなく、人生の軌跡を閉じることになる。過激な競争や極貧という、逃避することのできない宿命を背負って耐えながら、凌ぎきれずに人生の狭間で罪を犯した彼らを、愚か者だと侮ってはいけない。私たちの理解に及ばぬ、重い十字架を背負った人たちもいるのだ。私は団塊の世代ではないが、彼らの生き様が良く分かる。彼らに一日だけ、懇親の機会を与えようではないか。コミュニケーションという心の糧を与えてあげよう。どうだ、分かったか。分かったらさっそく三囚合同コンパの準備にかかれ!」
一息ついて、ゆっくりと呼吸を整えた西園寺は、湯呑みに注がれたお茶の残りを飲み干した。
道理にかなったような、常軌を逸したような、途方もない所長の指示に動揺しながらも、看守たちは準備に取り掛からざるを得なかった。
看守たちの愚痴話が噂となって獄舎に流れると、囚人たちは狂喜してどよめいた。教誨師から賜っていた聖書や仏教本をかなぐり捨てて、寒空を仰いでむせび泣いた。
絵空事の輪廻転生や、得体のしれない仏や来世よりも、今現実の酒と女の喜びに勝るものはない。とりあえずその日までは、刑が執行されませんようにと、死刑囚たちは神に祈った。