第8章 聞け、極悪非道の馬鹿どもよ
看守長の権藤が立ち上がり、酒宴に盛り上がる囚人たちの喧噪を一喝して静める。
「みんな、静かにしろ! 全員、黙れ! 黙れと言ったら黙れ! いったんコップをテーブルに置け! 所長から訓示がある」
大食堂はたちまち静まり返り、西園寺所長の舌鋒がほとばしる。
「私は刑事局にいるあいだ、世界中の監獄を視察して回った。その結果、一つの確信を得た。その確信に基づいて、私はこの獄舎を改革する。今回の三囚合同コンパはその一環だ」
健吉と京麻呂の顔をねめつけた後、大食堂の全員に視線を移した西園寺は、監獄の目的には決して触れないように、改革のやり方について語り始める。
「いいか、改革といっても勘違いするんじゃないぞ。お前たちに楽をさせてやりたいとか、救ってやりたいとか、改心させてやりたいなんて殊勝な思いやりなどは露ほどもない。厳しい獄の掟の中で、せめて生きる希望を与えてやろうというのだ。はなから根性の腐ってるお前らが、シャバに出たところで世間と同化できる訳はない。うしろ指差されて地獄の底を這いずり回っているうちに、また人を恨んで罪を犯して舞い戻る。お前らはどうあがいたって、獄舎の外では生きていけないのだ。だから檻の中で、生きがいを見出せるよう取り計らってやろうということだ」
視線を冴子に戻して語りかける。
「おい冴子、考えても見ろ。お前は随分つらい思いをして生きて来たかもしれん。しかし、人間とは不思議なもので、どんなに辛く苦しいことばかり続いても、わずかな隙間に楽しい思い出があるものだ。その思い出だけを大切に思い浮かべて生きている。思い出が命を支えているのだ。だけどな、獄へ入ると誰も思い出を作れないのだ。楽しい思い出なんか作れなくなって、過去の記憶だけを生きる糧にして命をつないでいるだけなのさ。お前だってそうだろうストーカー。それが我慢できなくなって死にたくなるのだ。窓をいくら大きく開放したって、灼熱の太陽が照りつけたって、獄舎の空気が暗く淀んでいる理由が分かるだろう。そうさ、ここには過去の亡霊がさまようだけで、明日の希望も未来の夢も無いからだ。無期懲役囚も死刑囚も、死ぬまで過去を見つめて、ただ生きているだけじゃないか。そうじゃないのか、極悪非道の馬鹿どもよ」
未来だとか夢だとか埒も無い話に、納得がいく囚人なんか一人もいやしない。楽しい思い出なんかありゃしないから、みんなここにいるんじゃないかと開き直る。誰もがそう思いながらも、とりあえず所長の話に耳を傾けるしかない。
「みんな良く考えろ。腐った脳味噌をしっかりと働かせて考えろ。シャバで暮らす人たちは、一生涯シャバという社会の中で生きなければならない。誰一人としてその世界から、逃げ出すことも、はみ出すこともできないのだ。だから人々はその中で、生きるために自分を磨き、工夫しながら生きねばならない」
西園寺は囚人たちの一人ひとりを指差して、決めつけるように説得を始める。
「お前らだって、さして変わりはないじゃないか。監獄という社会で、死ぬまで暮らすだけなのだ。誰一人として逃げ出す所なんかありゃしないのだ。ここには苛めも虐待もない。犯罪すらありえない。逆らう奴は独房入りだ。ただ、今のままじゃあ秩序ばかりで、いくら頑張ったって生きがいを持てない。だから、お前たちに生きる希望を与えてやる。まず労働環境を整備する。信賞必罰のルールに基づいて、けがれのない喜怒哀楽の感情を取り戻す。囚人会を作って、囚人会長を中心にクラブ活動を行う」
大食堂がざわめいた。囚人会と聞いて動揺が走った。クラブ活動と聞いてさらにどよめいた。看守も囚人もどよめいた。
「ク、クラブ活動って何だ? キャバクラか?」
「ホストクラブのことじゃないのか?」
「クラゲのカツ丼って聞こえたぞ」
「もしかして運動会か? 野球大会ならとっくにやってるぜ」
囚人たちの反応に西園寺が一喝する。
「アホウ! そんな頭だから人殺ししかできないんだ、お前らは。小学校や中学校で勉強もしないで何をやっていたんだ。監獄でキャバクラなんかやるかバカ! 運動会ならやっているだと、バカヤロー! 看守のお仕着せで走ったり跳んだりして何が面白いんだ。自主的に運営するのだ。まず放送部を作る。事業部を設立して研究室を作る。ここは天国でもないし地獄でもない、団塊世代が集う煉獄として、その活動や実績を報道する団煉新聞を発行する」
「ダンレンて何だ? 京麻呂」
健吉が首をかしげて問いかける。
「団塊世代の犯罪人たちが刑に服する煉獄。つまり、団塊煉獄の略だと思われますが」
「誰が読むんだ、そんな新聞」
「朝起きたら新聞に目を通し、社会情勢や世界の動向、金利と株価と天気予報を把握して今日を充実して生きる。健吉さんにはそういう習慣はなかったんですか? よくぞ不安もなく日々をすごせていましたねえ」
「余計な知恵をつけずに生きてきたから、お前みたいに人の道をはずすことはなかったんだ。お前の新聞には書いてあったのか、正しいストーカーのやり方とか」
「それにしても監獄で新聞なんて、みんな檻の中でじっとしているだけなのに、掲載できる記事なんてあるんでしょうかねえ。あるとすれば、死亡欄に掲載される死刑囚の名前と処刑日と前科の経歴くらいでしょうか」
囚人たちのざわめきを権藤が制し、西園寺の演説はますます熱をおびて続く。
「新たなルールを作って委員を任命する。奉仕活動や文化活動の執行部を作る。野球部やサッカー部を作って網走刑務所のチームと交流試合が出来るように取り計らうこともできる。そのかわり日々の労働は三倍やってもらう。自分たちの食いぶちは自分たちで稼ぐのだ。シャバで生きる人さまの税金で獄舎暮らしを楽しもうなんて、ふざけた怠け心は金輪際捨てることだ。いいか諸君、思い出すのだ、昭和三十年代、四十年代の怒涛の勢いの日本を。君たちが生き抜いてきた昭和の日本を思い出せ。君たちに何ができるかを獄舎の中からシャバの若造どもに教えてやるのだ。私の改革はママゴト遊びじゃあ済まさない。特許の取得から食物の品種改良まで多岐にわたる。おいストーカー、お前は京都大学卒だったな。明日から半導体を開発しろ。新案特許を申請するのだ」
「は、半導体? は、ははは、ば、馬鹿なことを言わないで下さいよ。僕はマネーゲームと恋愛は得意としますが半導体なんて……」
「やかましい。足かせはめて一間四方の牢屋にぶち込まれたいのか。お前は外国語も堪能だ、極限まで頭脳を酷使して、シャバの誰もが考えつかないような、ベンチャー企業を起こす気概で取り組むのだ」
一人ひとりを指差して、西園寺は囚人たちの士気を煽り立たせる。
「おい貴様。詐欺と恐喝の手口を洗いざらいさらけ出して論文を書け。正直な世間の皆様が悪質な詐欺に引っかからないように、マニュアルにして出版するのだ! おい、ヤブ医者くずれ。ヤクザとつるんで毒薬ばっかり調合していやがるから、顔がゆがんでカメレオンみたいな目になっちまうんだ。ヒグマの脳味噌や臓器をを解剖して、命の神秘を解き明かして学会で発表するくらいの医療に取り組め! お前は一級建築士だったなあ、体育館や研究棟の設計図を書け! やい毛唐、外人だからってそっぽは向かせないぞ。なんだと、英会話教室を開きますだと? バカヤロー、そんな安易な思いつきだからすぐに人生に挫折して犯罪に走るのだ。他人の国へ来てまで強盗殺人なんか犯しやがって、でくのぼうが。国家という垣根を越えて何ができるかを命を張って真剣に考えろ! ここはお前らの死に場所じゃあないのだ。生きるために何ができるかを考えろ! 全員一丸となって目標に向かって励むのだ! 頭を使う奴は知恵を絞り、身体を使う奴は汗を流せ! 辛い思いをして働いて、楽しい思いをしてクラブ活動に励むのだ! 過去は忘れろ! 過去を忘れて明日に向かって走るのだ! 見ろ! 窓の外の大輪の太陽を。希望の光を君たち皆に分けへだてなく照らしているのだ」
窓外を眺めて死刑囚が呟く。
「あれは満月ですぜ、だんな。しかも、朧の月じゃあねえですかい、所長さん」
「バカたれ! まだ分からないのか、ドめくらが。今日からこの獄舎から月も星も消えたのだ。さんさんと輝く灼熱の太陽が、お前らのボンクラ頭を照りつけるのだ。地の果ての知床特殊監獄には、寝ても転がっても恩赦なんてありえないのだ。極悪非道をきわめたお前らは、二度とシャバの空気を吸うことはできないのだ。無期懲役囚も死刑囚も、ここがお前らの墓場なのだ。シャバの未練をきっぱり捨てて、新しい社会を創造するしか生きる道はないのだ。ろくでもない過去を振り返りながら、死の影におびえるような、いじけた生きざまは今日でおしまいにしろ。無期囚が墓場に行くまでにはまだ三十年、四十年も残されている。死刑囚だって生きている間に、くさい飯を食うより、うまい飯を食いたくはないのか。地を見つめてうなだれているより、天をあおいで夢を見たいと思わないのか。どうせ自分はろくでなしで役立たずの能無しだから、やるならお前らだけで勝手にやってくれと、他人事のように考えている奴は手を上げろ。今すぐ死刑台に引きずり出して、私がボタンをブチッと押してやる。今すぐ手を上げて、出て来やがれ。ダニは早いうちに始末しとかねえと、ヤル気で努力する奴のさまたげになるのだ。手を上げろってんだこのヤロー! いねえのか」
ざわついていた大食堂が、水を打ったようにシンと静まり、満月に照らされた白樺のこずえから、毛虫が落ち葉にポトリと落ちた。
「死にたい奴はいないようだな。お前らだって死ぬために生まれてきたわけじゃあないんだよ。二十年前を思い出せ。日本の未来のための原動力となって生きてきたお前たちが、喧騒な社会の歯車にかみ合わなくて、鍋の底をはいずるように世の中を流浪しながら辿り着いた先がここだった。全てを捨ててもう一度戻るのだ、あのころへ。終戦後に生まれたお前たちは、どんなに貧乏でも親父とお袋がいた。金の卵ともてはやされて、集団就職列車に詰め込まれた時にも励ましあえる仲間がいた。繁華街の片隅で靴磨きをしていた時も、いつか何かが変わるかもしれないという希望の呼び声が、青空の彼方から聞こえていた。力道山がシャープ兄弟を倒した時に、日本が戦争に負けたことを帳消しにできた。東京でオリンピックが開かれると聞いた時、日本の未来に己の夢が重なった。俺たちには未来があると眼を輝かせていたあの興奮を思い出せ。あの青春を取り戻すのだ。お前たちならできるはずだ。お前らだからこそできるのだ。明日に向かってどう生きるかを考えるのだ。極悪非道のそのエネルギーを、あの太陽にぶつけるのだ。いつまでも日陰者ヅラ下げてフラフラ獄舎の中をほっつき歩いてる時じゃあないだろう。団塊世代のパワーを全開にして、シャバの馬鹿どもに見せつけてやれ。明日に向かって突っ走るのだ」
オー、オー、ワオー、ワオオオーと、大食堂は大歓声にどよめいた。
「健吉さん、あんたどうするね?」
怪訝な表情で冴子が健吉にさぐりを入れた。
「そうだなあ。俺は格闘技には自信があるが、いきなりクラブ活動とかって言われてもなあ。京麻呂、お前はどうするんだ」
「僕は語学が得意だしファンド・マネジメントのプロですから、監獄の財務を管理して、資産を百倍に増やして見せますよ。冴子さんは放送部のアナウンサーなんかどうですか」
冴子は黙ってコップのビールをグイッとあおった。目をつぶると瞼の裏に何かが蠢く。地を這うように蠢いているのは、毒を孕んでいじけた蛆虫。こんな私にクラブ活動なんて、粋なことができるのかねえマーさん。
いつの間にか夜は更けて、看守長の権藤の号令で三囚合同コンパはお開きとなる。ほろ酔いの看守たちが立ち上がり、名残を惜しむ囚人たちを追い立てて獄舎へと導く。