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 1の2 無期囚と死刑囚

 食事を終えた囚人たちは、二時間ほど自由に解放される。


 建屋の外に出て太陽の光を浴びることも許されているのだが、寒風が吹きすさぶ零下二十度の広場に出る者はなく、暖房の利いた大食堂が居心地の良いたむろの場となっている。

 時間になるとサイレンが鳴り、看守に促されてそれぞれの監房へと引き上げる。

 

 

 看守長の権藤に案内されて西園寺は、一棟の廊下をゆっくりと歩いた。

 左右の大部屋に目を走らせると、囚人たちは寡黙にくつろいでいた。西園寺はふと立ち止まり、監房の隅にうずくまって背を向けている小柄な男に声をかけた。


「おい、そこの無期懲役囚。うずくまっていないでこっちへ来い」

 聞こえぬ素振りで男は背を向けている。


「おいこら、所長が呼んでいるのが聞こえんのか!」

 看守長の権藤に怒鳴られて、しぶしぶ男は立ち上がる。なおも俯いている男に西園寺が問いかける。


「お前は一日中そうやって、犯した罪の重さを悔いて瞑目しているのか? それとも家族や世間から見放された己の惨めな生涯をかえりみて、極悪非道の宿命を恥じているのか? どっちなんだ……? 黙っていないで何とか言え」


 男は口をきこうとも、動こうともしなかった。

「おいこら、所長の質問だぞ。しっかりと答えろ」

 看守長に促され、上目づかいに西園寺をにらみつけて男は呟いた。


「罪を悔いてもいねえし、家族もいねえ。何も考えることがねえから、ただうずくまっているだけだ」


「お前には、希望はないのか?」

 西園寺は男に問うた。男の反応を確かめる為に、希望という言葉をあえて使った。当然ながら、男は顔を上げて目をむいた。


「バカ言ってんじゃねえよ。こんな暗闇のブタ箱の中で、どんな希望を持てるってんだ。あんたらシャバのお偉いさんはねえ、生まれた時から何もかもに恵まれて、金とか名誉とか贅沢とかの区別もつかず価値も分からず、上ばっかし見つめて弱者を見下していやがったから、苦労も知らず、忍耐も知らず、世間知らずに威張り腐って、希望だの夢だの間の抜けたことを抜かしていやがるんだ……」

 一息ついて、吐き捨てるように男は続ける。


「世の中にはなあ、学校だの家族だのとは無縁の泥沼で、小さな罪を犯しながら辛うじて息をしているヘタレもいるんだよ。生きて行くために罪を重ねて、絶望の渦に呑み込まれて追いつめられる。それでもなあ、前のムショにいた時には、わずかでもシャバに戻れる可能性があったと思うぜ。だけどここにぶち込まれたら、恩赦も大赦も減刑もないって言うじゃねえか。そんな俺らに希望はないのかなんて聞きやがる、どういう意味だ、バカヤロー」


「こら、所長になんて口のききかたをしやがる。慎まねえとぶっ叩くぞ」

 怒鳴りつける権藤を制して、西園寺は男の話に耳を傾けるそぶりで促した。


「話を聞こうじゃないか。続けてくれないか」

 男はあからさまに舌打ちをして、上目遣いで話を続けた。


「俺たちはなあ、生まれた時から人殺しじゃあねえんだよ。生まれた場所や、育ちのスジがちょいと違っていりゃあ、今ごろアゴで人さまをこき使っていたかもしれねえんだ。この世の中には、表と裏があってバランスがとれてる。天があれば地があって、正義があれば悪がある。たまたま俺たちが、悪のあみだくじを引いてしまっただけじゃねえか」


「人を殺したのは、あみだくじのせいだと言うのか?」

 男の目を正視して、西園寺は穏やかに問いかける。


「俺たちはなあ、生まれた時から蔑まれて、いびられて、邪険にされて、コケにされて、ツバをはきかけられたうえにションベンまで引っかけられるから、思いっきり裏にまわって悪の道へ走るんじゃねえか。それを正義ヅラしやがった表の世間知らずが俺たちを追いつめ、け落とし、せっちん詰めにしてこんな暗闇に押し込みやがる。その見張り番のお前らに、ヘラヘラ笑って媚びなんか売れるかよ」


「うむ……」


「俺たちはなあ、昨日も今日も明日も同じなんだよ。何の変化もなく、死ぬまでこの暗闇に閉じ込められて暮らすんだ。夢だ、希望だ、幸せだと、ふざけんじゃねえよ。そんなもんがあったらぶっ潰してやる」


「昨日と今日と明日が違えば、希望を持てるのか?」

 言葉尻をとらえて西園寺が問う。


「あのなあ所長さまよ、死刑囚には死への恐怖と緊張があるかもしれねえが、俺たち無期にはそれすらねえんだよ。ただ、だらだらと、永遠の時が流れていくだけだ。止めることも変えることもできずに、同じ時を刻んで流れる。シャバも地獄、ここも地獄。いっそのこと死刑になった方がましかもしれねえと考え始めると、脳味噌が潰れて気が狂いそうになることもある。簡単に口にするなよ、希望なんてとぼけた言葉を」


「生意気な口をきくな!」

 興奮して言葉を荒げる囚人を、とがめるように権藤が怒鳴った。

「この檻の中にいるお前らは、人間の仮面をかぶった野獣なんだ。何人もの人を殺して地獄へ落ちたお前らに、人並みの口なんかきかせないぞ」


 権藤の懲戒棒で胸を小突かれた男は、頬を歪めて監房のすみに転がった。毛布にくるまって顔をうずめた。



 ― 死刑囚 ―


 西園寺は黙ってきびすを返し、二棟の獄舎へと向かった。死刑囚の監房はすべて独房だが、鉄格子で廊下が素通しだから陰鬱な暗さを感じない。

 

 その男は、清々しい眼をして飄々ひょうひょうとしていた。ベッドに横たわり、片肘の拳で頭を支えてこちらを見ていた。

 西園寺が立ち止まると、男も起き上がってベッドに腰を据え、いつもの癖のように腕を組んで身構えた。大柄の体躯に、太い眉毛とねじれた鼻孔が印象的だった。


「お前は人を何人殺したのだ?」

「五人」

 西園寺の問いに、あっけなく男は答えた。


「なぜ殺した?」

「銭が欲しかったから殺した」

 即答する男の表情に悪げはない。


悪辣あくらつだな」

 言葉の意味を解せないのか、男は首をかしげて問い返す。

「どういう意味だ?」


「極悪非道だということだ」

「みんなからそう言われる」


「なぜそんなに爽やかな目をしているのだ?」

「命の限りを定められたからだ」


「そんなに死にたいのか?」

「死にたくはない。だが、死刑と決まって何十年もずるずると焦らされるのは死よりも辛い。明日かもしれないし何十年後かもしれないなら、命の見切りのつけようがない。ここでは必ず刑を執行すると告げられた。限られた命が見えてきた」


「どのように見えてきたのだ?」

「教誨師に教えられた。醜い己の臓腑を捨てろと言われた。下賤な生まれ、嫉妬や欲望、憎しみにまみれた生涯の膿を吐き出し、来世の生き様を想像して考えろと言われた。そう言われて考え始めると、楽しくなって胸がときめく。刑の執行が明日かもしれないと思うと、明日の夜明けまでの時間に夢を巡らす。生きる未練などない」

「そうか」


 男の顔から視線を上にずらした西園寺は、透明ガラスに鉄格子のはまった小窓から、ほのかに差し込む銀吹雪の輝きを見た。

「窓が小さいな」

 西園寺のつぶやきを耳に留めた権藤は、怪訝けげんなそぶりで首をかしげた。



  ― 罰 ―

 

 無期懲役囚たちは、希望も変化もない無為の日々を、今日も明日も暗い檻のなかで生き続ける。喜ぶことも、悲しむことも許されず、一刻一秒の時の刻みに耐えながら、死ぬまでの果てしない時間を生き続ける。

 死ぬのも怖いし生きるのも辛い。いい加減に殺してくれと叫びたくなる。これが本来の、無期懲役囚に科される正しい罰だ。


 ところが、日本中の刑務所に服役している無期懲役囚たちは、大赦だ、恩赦だと減刑をあてにして、真面目なふりして二十年も務めれば、晴れてシャバに戻れると安易に考えていやがる。

 だから平気で人を殺せるのだ。自分の犯した罪の重さに対する意識が薄いのだ。被害者を、社会そのものを徹底的に舐めているのだ。



 死刑囚たちはどうか。消灯が過ぎると布団の中で、明日も生きられるだろうかと己の運命を占い苦闘する。

 やがて夜が明けて、静まり返った廊下に耳をそばだて、刑の執行を告げる使者の靴音が聞こえぬようにと身をすくませる。刑が先延ばしになるだけ毎日をおどおどと焦らされて、絶望と向き合いながら苦悶と戦っている。これが本来の、死刑囚に科される正しい罰だ。


 ところが、日本中の拘置所の死刑囚たちは、その一刻が無事に過ぎたとき、今日の一日だけを確実に生き延びられることを知る。

 だから、今日一日を有意義に、一生懸命楽しくすごす。今日一日が人生の全てだから、気力がみなぎり生きる喜悦に笑みが浮かぶ。心のうちでは明日も明後日も、無事に生き延びられると高を括って生きていやがる。労働もしないでやけくそに、毎日タダ飯を食らっているのだ。


 こんな現実は、誰が考えたって分かることではないか。いや、世間のみんなが知っているのだ。それなのに、誰も規則を変えようとしない。

 だから俺が変えてやる。恩赦よりも絶望よりも、もっと価値のあるものを教えてやる。

 生かされる時間が限られれば、焦らしの意味が濃密になる。日々の命を達観できて、祈りの言葉さえも充実できるだろう。



 巡回を終えて西園寺は、権藤に命じて囚人のファイルを取り寄せた。全員の生年月日を確認すると、納得したように深く頷いた。

 

 彼らはみんな終戦直後に生を得た、団塊世代の囚人ばかりだ。常に過激な競争にさらされ続け、産業復興の歪みに貧富の差が開き、溺れる者が藁をも掴みそこねて死に物狂いに罪を犯した。

 底辺を這いずり回ってもがき苦しみ、這い上がれなかった弱者が夢を絶たれ、追い込まれて憎らしくて人を殺したというのか。


 ちょっと筋書きが違うような気もするが、ここが奴らの終着駅となるのなら、狂った運命の歯車をきっちりと締め直して、名残の花をみずからの力で咲かせてやるのが、この監獄の目的の第一幕だ。


 若造でもなく老いぼれでもない、最高潮に能力を発揮できる彼らこそ、必ず期待に応えてくれる原動力になるはずだ。


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