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第7章 錦小路京麻呂の倒錯

 大食堂の宴はなお盛り上がる。卑猥な言葉や暴言が飛び交うのだが、酒を酌み交わす全員が囚人だと見れば納得もいく。


 暴動を警戒していた看守たちも気を許したのか女囚にコップを差し出して、注がれたビールを満面の笑みで呷っている。

 看守長の権藤は、椅子に座って背筋を伸ばしたまま腕組みをして、窓外の梢の緑葉を眺めながら囚人たちの酒宴を見守っている。



 すっかり身の上を語り終えた冴子は、注ぎ足されたコップのビールを一気に喉に流し込む。

 次はお前だと言う風に、健吉が箸先を京麻呂に向ける。


「おう、兄さん、お前さんの話も聞こうじゃねえか。たしか、京都の先斗町ぽんとちょう界隈で、公家が孕ませた芸者の隠し子とか言ってたなあ……」

 

 大げさにかぶりを振って、京麻呂が藪にらみに否定する。


「とんでもありません。僕のご先祖は公家の末裔として、由緒正しき染め物問屋の商いを続けております。綿々と受け継がれる遺伝子には、まさに高貴で崇高な血が流れておりまして、梅はつぼみより香あり、栴檀せんだん双葉ふたばより芳し、と申しますが、梅と栴檀とは、ほかならぬ僕の事なのでありますよ」


「どうもなあ、まゆつば臭くていけねえなあ……。お前の、そのいびつな顔に流れてるのは、高貴な血じゃなくて、ネズミのションベンじゃねえのか」


「ちと健吉さん、まあ聞いてあげようじゃないの、京麻呂さんの生い立ちを」

 冴子が見かねて口を挟む。


「おう、姉さんがそう言うなら聞いてやろう。おい、いいかげんな作り話なんぞしやがったら、この箸でひと突きだぞ」

 気を取り直して京麻呂は、ニコリと笑って語り始めた。


「僕は幼少のみぎりから神童とあがめられ、比類なき成績をもって京都大学に入学したのであります。なぜ東京大学ではなかったかと? 地元の大学だったからです」


 コホンと咳払いして語りは続く。


「末は国連大使か宰相かと、学長からも将来を嘱望されておりましたところでありますが、父から地元の有力銀行に就職するようにと説得されたのです。父としましては、いずれ長兄に家督を継がせなければなりません。そこで、有能なる僕を地元の有力銀行に就職させることにより、自在に有利な融資を得られることを目論んでいたのです。なにしろ浮沈の激しい織物業界ですから、息子に問屋の家督を譲り、経営を維持させるためには安定した資金の調達が重要だったのでありますよ。僕としましても、あらゆる企業の要として君臨する銀行業に憧れておりましたので、父の薦める地元の有力銀行に就職したのであります」

 

 コホホンと咳払いして京麻呂は天井を仰ぐ。


「どうか思い起こして下さい、当時の日本経済の怒涛の勢いを。鉄は国家なりを合言葉に、製鉄も造船も欧米を凌ぐ大国となり、親方日の丸の護送船団は世界の国々に向けて進出して行きました。やがて自動車は米国を席巻し、総合商社はあらゆる企業を海外へと牽引して、日本の基幹産業は太陽に向かって吼えました。そして銀行は、企業の進出する先に海外拠点網を拡大し、金融の国際化を推し進めていったのです。わが京都の銀行もしかり、ロンドンをはじめ、世界の主要都市に駐在員事務所を設置しておりました。語学堪能な僕は、父が願っていた先斗町支店の支店長出世コースではなく、国際部門に配属されて新たな事務所開設のためにシンガポールへと飛ばされたのです。それは何と、冴子さんがバンコクへ旅立たれた五年ほど前のことでした」

 

 咳払いをする京麻呂のコップに、冴子がそっとビールを注ぐ。


「赤道直下のシンガポールは、今では信じられないほど長閑のどかでした。高台にそびえるホテルの一室を拠点として、所長と二人で事務所の開設準備に取り掛かったのですが、坂を下ってオーチャードロードに出ると、未舗装の路面にトラックが土煙を上げて走っておりました……」


 さらに、京麻呂の語りは淡々と続く。


当時のシンガポールは、あのオーチャードロードが、驚くなかれ未舗装で、二階建て以上の建物はありませんでした。

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