6の14 寮を出て
翌朝、私は大きい鞄に荷物を詰めて寮を出た。マーさん、ごめんよ。どうしても我慢ができずに辞めちゃったよ、と呟いて寮を出た。
下町の歩道に出ると、制服姿の女高生たちが気取った素振りで闊歩していた。商店街のショーウインドウにはお洒落な靴や帽子が飾られていた。じっと立ち止まって眺めて悲しくなった。
半盲だってビッコだって女だから、赤い靴も履いてみたいしピンクの帽子も被ってみたい。幼い頃、お父さんが小さな赤い靴を買ってくれた。赤い靴が欲しいって言ったら買ってくれた。そのお父さんはどこへ行っちまったかもういない。
上野公園に行ってみようと思った。山手線に乗って公園口の改札を出た。園内には幼児を連れた若い夫婦や美術館へ向かう老夫婦がいた。
西郷さんの銅像の前の石段を背に、若い男がキャンバスに向かって絵筆を使い、幼い女の子の似顔絵を描いていた。そばで女の子の母親が、幸せそうな笑みを浮かべて見守っていた。
あのキャンバスに自分の顔を素描されたら、どんなに醜い表情が現れるのだろうかと、思い描くだけでおぞましい。
少し前なら満開の桜で賑わっていたのかもしれないが、花の散り終えた桜の枝葉は、どこかうら寂しくて目をそむけたくなる。
木々の生い茂る小道を抜けて、不忍池の畔に下って行った。池には蓮の緑が重なるように浮遊して、弁天堂の朱色が目にまばゆく飛び込んだ。
これからどうしようかと、鞄に尻を乗せてしゃがみ込み、弁天堂を眺めつつ思案するでもなくぼんやりしていたら、その姿が途方に暮れた田舎者に見られたのか、風来坊のような男に声を掛けられた。不忍池の底に巣食うガマガエルのような声だった。
「姉さん、訳ありだったら俺に相談してみないかね。助けになれるかもしれないよ」
男の言葉を邪魔くさいと思った反面、気持ちの隅で誰かを待ち受けていたのかもしれない。
女だからという捨て鉢な甘えとすさんだ心のはけ口が、ぽっかり空洞になって身投げ女と同じ心境になっていたのかもしれない。渋谷のハチ公前で、はかない未来を楽観していた時とは異なる、病葉としての捨て鉢だったのか。
コロニアル風のミチルの館に案内されて、自分の部屋を与えられた時に人形が目についた。小机の上に置かれた金髪の少女の人形が、揺り椅子に身体を預けて天井を見上げていた。
何度も眺めているうちに、この人形は何を考えているのだろうかと考えた。笑ってもいないし悲しんでもいないけど、人形にも強い個性があって、生きているんじゃないかって考えたことがある。いつか捨てられてしまうかもしれないが、そこにいる限りは永遠にその姿は変わらない。
私に声を掛けてきた男は、人形の手足を引きちぎってしまうような、情けのかけらも無さそうだった。それでも今の私には、相手を選ぶ権利などない。
「どんな助けになってくれるのかね?」
私が問うと、おうむ返しに男は答えた。
「あんたの器量と年齢じゃあ、小粋なバーやキャバレーは無理だから、場末の店なら斡旋できるよ」
場末かと思ったけれど、そんなところで相応だろうなと見切りをつけた。これから先は金だけが頼りの人生だから、稼げるうちに銭を貯めようと自分に言い聞かせて往生した。
それでも年を重ねるたびに、段々と倦怠感がつのってきた。四十も半ばを越した頃、体調が悪かったのか薬が効かなかったのか、ただの肥満や生理の不順じゃないと察して性病の定期検診の際に医者に診てもらったら妊娠だった。
誰にも言えないし面倒だから放っておいたら、いつの間に半年が過ぎた。中絶も出来ず、勤めもできず、小銭が少し貯まっていたのでしばらく仕事を休ませてもらうことにした。
日当たりの悪いアパートの暗い部屋に閉じこもって怠惰にしていると、食欲もなくなり外出の気力も失せてしまう。なんだか身体がだるくて栄養失調みたいに痩せてしまった。
そのうち臨月が来て、病院に行って産むこともできずアパートのトイレで産み落としたが、赤ん坊は死んでいた。
何だかとてもやるせなくて、悲しくて、泣いてしまった。悔しくて、虚しくて、しゃくり上げて泣いてしまった。私は赤ん坊にごめんねとささやいて、ていねいにタオルで包んで鞄に入れて外へ出た。
思案に暮れて駅まで歩いた。駅の改札をくぐって山手線に乗り、座席に蹲ったままグルグルと何周も回ったけれど、そのうち臭いがするんじゃないかと気になって、上野駅で降りてロッカーに鞄を入れてロックした。
それから東京駅に行き、博多行きの新幹線に乗っていた。私の行く先は、もうそこしか残されていなかった。