6の8 歓楽街の娼館
店の入口を入るとすぐ右手に巨大ガラスのショーウインドウがあり、その内側に赤い毛氈の雛壇がある。
その雛壇が、娼婦たちを並べて見せる陳列棚であることを後で知った。番号札を首にぶら下げた女性たちが、その雛壇に座らされて客の指名を待つのだ。
眩いライトの照明を正面から浴びている雛壇の女たちは、ガラスの向こう側の客の姿を反射して見ることはできない。だから客は女たちの容姿をじっくりと見定めて、気に入った娘の番号札を指名できる。
私はそこに売られたんだよ。
その店にはね、タイ人の他に中国人、マレー人、インド人などを含めて五十人くらいが雇われていた。日本人は私一人だった。日本人や白人の娼婦は珍しいんだよ。
みんな若い娘ばかりでね、意外なほどに屈託がなくて陽気だった。食事のときにも笑い声は絶えないし、どうしてそんな風に陽気でいられるのかが不思議だったけど、その理由はすぐに分かった。
若い彼女たちにはね、娼館は悪だという概念がないんだよ。家族の生計を支えるために、年齢がくれば上の娘から順に都会へ出稼ぎに出される。都会に出て金を稼いで仕送りをするのさ。
田舎育ちの彼女たちにとっては、バンコクは煌びやかな寺院やネオンのきらめく憧れの大都会なのさ。喧騒や雑踏やけばけばしい夜のネオンがエネルギッシュな大都会の活気に映えて、そこで働くことにいささかの後ろめたさも気おくれもない。
もしも末の娘の頭脳が明晰だったら、両親の期待はふくらむ。上の娘たちからの仕送りで末娘を大学に行かせ、金持ちの男を見つけて結婚させる。そして一家でそこに寄りかかる。それが村のしきたりなのさ。
だから、そこで働く娘たちには罪悪感がないから、みんな陽気で屈託がない。彼女たちの勤めは家族を支える善行だから、罪の意識のかげりもない。
気前の良い客や鼻の下を伸ばした客をカモにして、過分なお金をふんだくったときには大はしゃぎで喜んでいたよ。
正月だけが彼女たちの楽しみだった。私はねえ、休暇をもらって里帰りする娘たちがうらやましかった。里帰りできなかった娘たちは、近くの寺院に初詣に出かけるのさ。
寺院の前の屋台では、亀や小魚が水桶に入れて売られている。彼女たちは寺院で参拝を済ませると屋台に行って、思い思いの生き物を一匹だけ選んで買い求める。
食べる為じゃない。ビニールの袋に入れた一匹を大切そうに抱きかかえ、チャオプラヤ川の流れに放してやるのさ。捕らえられた生き物の儚い運命を憐れと思い、川に放してやることによって一つの功徳が得られると信じているのさ。
娼館の主人は中背の痩せたおっさんだった。昼間は地方の村にでも出かけているのか姿を見せない。夜になってネオンが灯ると、店頭に立って客引きをする。
本当に店を仕切っていたのは、気丈なやり手のかみさんだった。
女たちは大切な商品だから、国籍にわけへだてなく面倒を見てもらえたし、若い娘たちも愚痴や悩みをかみさんに聞いてもらっていたようだ。
だけど、ただ聞くだけで、相談に乗ってもらえる訳じゃない。年齢を重ねて客の指名がつかなくなれば、情けも容赦もなしに下等な店に売り飛ばされる。
田舎の実家へ戻れる娘は良いけれど、行く当てのない下賤な育ちの娘や外国人は、待遇も悪く下劣な店に追いやられる。しなびた皮膚と小じわを隠して、卑賤な男たちに媚びを売るしか術はなくなる。
バンコクという街は、世界一の歓楽都市だって中国人の客が言っていた。世界中のどこへ行ったって、これほど気違いじみた看板のネオン街などありはしないと。
ライトに照らされた緋毛氈の雛壇にはねえ、タイ人やマレー人や色んな人種の娘たちが並んで座らされていたけれど、ガラスの向こう側から私たちを見つめる客種のほうがずっと国際的だったよ。
貧賤な男たちは路地裏の店に行くしかないが、私の売られた娼館は高級だった。
バンコクの港に寄港した船乗りたちや、香港やシンガポールに在住する裕福な中国人たちで繁盛していた。その中で、おとなしいわりに礼儀知らずなのが日本人だった。ヤクザも代議士もビジネスマンも、とにかく威張り腐ってカモられるのが日本人さ。
中国人だと勘違いして私を指名した日本人の客がいた。
「おい、こっちを向いて顔をよく見せろ。お前、ばかに日本語がうまいなあ、まさか日本人じゃないだろうなあ」
「わたしは日本人ですよ」
「な、なんだと。なんで日本人がこんな所にいるんだよ。なんで日本人の俺が、わざわざバンコクまで来て日本人の女を相手にしなきゃならねえんだよ」
「あんたが勝手に勘違いしただけじゃないか。私は番号を呼ばれて出てきただけですよ」
「なんだ、その口のきき方は。俺は日本人なんか指名したつもりはないぞ。お前なんか引っ込んで別の女をつれて来いよ」
「だったらもう一度入口で、お金を払って出直してくださいよ」
「ふざけんなよ。客に向かってなんだ、その態度は。お前なあ、日本人の恥をさらして、どうしてこんなところまで来て遊んでいやがるんだ。日本じゃ使い物にならなくなったのか。それとも日本人より外人の方が性に合ってるのか」
「遊ばないならさっさと帰ってくださいよ」
「やかましい。ここまで来て何もしないで帰れるわけがないだろうよ」
「だったらお金を置いて、さっさと終わりにしてくださいよ」
「なんだと、このアマ。ぶっ叩いてやる」
騙されたと言って叩かれる。日本人のくせにと揶揄される。金を払わないぞと騒いで脅される。だから私は日本人の客だと思ったら、口を利かずに唖で通した。それ以来、日本語を話す機会もなくなった。
ときたま、旅慣れた日本人のビジネスマンがいて、香水の小瓶や小粋なみやげ物をくれたりするらしい。気分がいいからきっちり奮発してサービスしてあげたよと、若いタイ人の娘が喜んでいた。
― 冷たい雨 ―
タイ人はタイ人、マレー人はマレー人、中国人は中国人と、同じ言語同士で仲間になれるけど、日本人は私一人しかいない。
言葉の違いとか、民族の障壁とかいうものを初めて知った。
日本を捨てた私は、この地で生きて行くしかない。そう思って若い娘たちからタイ語の単語を一生懸命教わった。繰り返し勉強しているうちに、屋台で一緒に食事できるくらいにはなった。
だけど、片言の会話で仲良くなっても、心まで通じ合うまでには時間がかかる。そのうち年を取って指名がなくなれば、すげなく追い出されるか、ごみ溜めみたいな店に追いやられる。
身体を壊して郷里に帰れる者は幸せだけど、帰れる場所のない異邦の女は、腐臭の漂うドブの中で野垂れ死ぬしか仕方がない。
ネオンのまばゆい歓楽街の表通りは華やかだけど、薄暗がりの細い通りに迷い込めば、見てはいけない現実を見て目をふさぐ。
あの日の朝は、前夜からずっと雨が降り続いていた。夜が明けたとはいえ部屋は薄暗くてむしむし暑い。どうにも鬱陶しくて外の空気を吸いたくなった。
裏通りの扉を開けたら小雨が降っていた。空を見上げればどんより覆いかぶさる雲から小雨はやみそうもない。
目の前の道ばたの側溝にふと目をやると、老いてやつれた女が寝転んだまま雨に打たれて死んでいた。ドブネズミの死骸のように捨てられた、行き場を失った女の末路だ。
初めて目にした時はゾッとしたけど、そのうち何の痛痒も感じなくなる自分が怖かった。自分の死骸を当たり前のように見つめているようで怖かった。
老いて横たわる女の姿が、瞼にこびり付いて離れない。その女の上にだけ冷たい雨が降り注いでいるような気がしてならなかった。場末の映画館のスクリーンに映し出された、自分の姿を見ているような気がしてならなかった。
熱海から東京行きの列車に乗った時、誰かのラジオから流れてきた「アカシアの雨がやむとき」の歌声が耳に焼き付いていた。その曲を思い出すとしびれるように切なくて、雨にうたれて冷たくなって死んでしまうのは、自分のことなのかもしれないと、しみじみ思って悲しくなった。
男を殺して、母を欺いて、ミチルを捨てて、新たな人生を求めて佇んでいたらタイに流れ着いた。これが運命だと気楽な気持ちで生きていたけど、異国はやっぱり他人さまの国だと知らされた。
南国の暑さは少しも苦にならなかったし、食事も馴染めて美味しかった。だけど、パスポートを持たない密入国者の私は、生涯日本へ帰ることの許されない異邦人としてこの地に骨を埋める運命なんだと考えた時、生まれて初めてホームシックに襲われた。
孤独にも絶望にも慣れきっていたはずの自分が、望郷の念にかられて狼狽えるなんて信じられなかった。
がんじがらめに閉塞された不安と焦りが、脳味噌をグイグイと押し潰す。視界が奪われ白く濁って、精神が崩壊しそうな恐怖にもがき苦しむ。
蟻地獄に足をすべらせて、観念できずにもがき続ける蟻みたいに、すえた臭気と身じろぎのできない闇の中で涙のシミを腐らせる。
自分のような人間でも、祖国は日本だという思いがどこかにあるのだと知った。そんな時にハッとして思い浮かんだのは、私の身代わりに罪をかぶって刑に服しているお母さんの存在だった。
望郷が孤独を呼び覚まし、絶望が強迫観念となって母の姿を呼び覚ましたのだろうか。あの男さえいなければ母は優しかった。あの男さえいなければ、優しかった母の懐に顔をうずめて安らげた。母への思慕に寂寥の救いを求める。
苦悶の夜には薄暗い便所にしゃがみ込み、壁に向かって「お母さん!」と、小さな声で叫んでいた。
寂しさに背を向けて、閉塞の殻を打ちくだくために、精神の平衡を保つために、あのね、だからね、と日本語で呟いて、お願いだから助けておくれよ、お母さん、と叫んでいた。無我夢中のうちに、狭い便所の板壁に向かって叫んでいた。