6の2 館(やかた)
無期懲役囚の冴子の身の上話を、郷田健吉と錦小路京麻呂がビールを呷りながら耳を傾けている。
義父を殺して施設に送られた、それから新たな罪を犯すまでの経緯を、長い話になりますよと前置きをして、冴子はゆっくりと語り始める。
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私が十六歳になった時、初老の痩せた紳士が施設に現れた。私を面接するためにやって来たんだと老紳士は言った。
私の頭のてっぺんから足の先までをじっくり見定めてから、なにやら意味ありげにうなずくと、博多駅から熱海駅までの乗車券と寝台特急券を置いて一人で帰って行った。
私は指示された通りの五日後に、否も応もなく博多駅まで行って、特急券に指定されている番号の列車に乗った。
初めて特急列車に乗ってまごついた。おずおずと向かい合わせの座席に座って落ち着かなかった。関門トンネルを抜けたあたりで車掌さんが二等車両にやって来て、両面三段の寝台を手際良く組み立てて行った。
小さな梯子で最上段に上がると、とても狭かったけど天井に挟まれた微妙な空間が心地良かった。うつむけにカーテンを少し開けて窓外を眺めると、遠くにちらつく民家の小さな灯りが少しずつ動いて消える。
列車が通過駅に滑り込んだ瞬間に、パッと明るいプラットホームが視界に広がり眼を細める。人影は疎らで静かだが、華やいだ雰囲気になごんで飽きずに目を凝らす。
いつの間にか夜が明けて、洗面所に向かう乗客たちの足音で急に車内が喧騒になる。
「富士山だ!」と、誰かが叫んだ。
通路側の窓枠一杯に裾を広げた富士山は、とっても美しくて壮麗で風格があって、炭鉱町のボタ山とは別格に違うと思った。
それから三十分ほどで熱海駅に到着した。
ホームに降りると老紳士が迎えに来ていた。一言も口を利くこともなく、私は黒塗りの乗用車に乗せられた。
老紳士が運転する乗用車は、熱海の海岸通りを抜けて丘の上へ向かって走り始めた。坂の途中から脇に入ると石柱の門があり、さらに石畳の坂を上がり切ると古い西欧風の建物が姿を現す。
緑の樹林を背景にして、赤い瓦と白壁を取り囲むコロニアル風のベランダが印象的で、別荘のような建物を老紳士は館と呼んでいた。
― ミチル ―
その館の住人は、ミチルという名の二十歳の男性と、私を案内して来た老紳士と、高齢で気丈そうな女中の三人きりだった。
二十歳のミチルといえばいかにも恰好良さそうに聞こえるけど、少しばかり知恵遅れの精薄児だった。
何のことはない、私はその若者のお相手役としてあてがわれたのさ。精薄児の面倒を見るのが私の仕事だったんだよ。
そのためにはね、私のように身寄りのない障害者もどきで、世間でまっとうに生きていけそうもない若い娘がおあつらえ向きだったのさ。
それでも、私だけの寝室が与えられて、慇懃だけど初老の紳士が執事として、女中が日常の面倒を見て食事も作ってくれる。わずかだけど小遣い銭も貰えたから、ミチルとの鬱陶しい時間だけを我慢すれば極上の生活だったかもしれないね。
館の持ち主がどんな人物なのかを、いまだに私は知らない。ミチルが館の持ち主の息子だったのか、それとも妾の子だか何だか分からない。
きっと、自分たちの生活には邪魔だから、あんな別荘みたいな館に追いやって、私を玩具代わりにあてがっていたんだろうね。そんな話はタブーだから、執事も女中も教えてはくれなかった。
女中の顔は高齢な割に皺が少なくて、能面のように表情がなかった。親切でもなく意地悪でもなく、それでいて感情を押し殺しているふうでも、口を利くのがいやだというふうでもない。何を聞いても、話を向けても、用件以外の話題が返されることはなかった。
ミチルが旦那さまで、私がお妃さまで、女中は二人の世話をする役割に徹することが務めだと割り切っていた。だから、メンスで汚した私のパンツもきれいに洗ってくれたし、新しい下着も買い揃えてくれた。
女中はいつから館に住んでいるのか。どんな過去を生き抜いて年老いたのか。いつごろ過去を失ったのか、それとも捨て去ったのか。そのとき同時に表情も失ったのか、あるいは失い切れずに感情を抑えているのか。
抑えるほどもない過去だったとは思えない、薄氷の底に淀むもどかしさを感じる。顔に刻まれたわずかな皺の密な光沢が、木偶のなりわいでないことの証に思えた。
ミチルは二十歳だといっても幼稚だから、要領さえ心得れば扱いに面倒はなかった。他愛のない遊びに興じ、怒らせず退屈させず、ときには恋人同士のように広い庭を散歩する。
ある日、ミチルがふざけて私の鼻を指で突いた。そしたらミチルはいぶかるように首をかしげて言った。冴子さんの鼻はおかしいよ、奇妙だよと。
何がおかしいのさ、と、言い返したら、ミチルはもう一度、人差し指を近づけて私の鼻先を押さえた拍子に、冴子さんの鼻はタコみたいだ、と、素っ頓狂な叫び声を上げて笑った。
ふざけたことを言うんじゃないよ、と言って、私がミチルの鼻を人差し指と親指で思い切りつまんでやった時、今度は私がびっくりして腰を抜かした。
その時まで、人間の鼻に硬い骨があるなんて知らなかった。あの男から受けた虐待で、いつの間にか鼻骨が砕けて鼻血と一緒に流れてしまったに違いない。
そのとき私は、情けないとか、悔しいとか、憎いとか考える前に、大声を上げて笑っちまった。半盲になっても、ビッコになっても、鼻の骨を砕かれても、それでも私は生きているよって笑っちまった。ミチルも一緒に笑っていた。ケラケラ、ケラケラと笑っていた。
私の部屋のドアには鍵が無かった。ミチルの部屋のドアにも執事も女中も、館中のどの部屋のドアにも鍵が付けられていなかった。というよりも、常にドアが開放されていた。
執事に申し出ればいつでも外出させてくれたけど、必ず執事の運転する車に乗らなければ許されなかった。
館には電話機が無かった。郵便受けも来客も無かった。外部との接点がまるで無かった。
執事も女中も優しくて丁寧だったけど、能面と会話しているようだったから、決して打ち解けることはなかった。
手足を縛られ拘束されている状況ではないけれど、閉塞されたまやかしの自由と開放感に、有無を言わさぬ威圧を感じて息苦しくなることがあった。
館のロビーの壁際には、英国製の大きな古時計が置かれていた。大きな振り子がゆらゆらと緩やかに時を刻んでいた。
春になると、広い敷地の庭には沈丁花やハナミズキの花が色鮮やかに咲き乱れ、館のベランダに艶やかな香りが微風に乗って運ばれる。
夏になると、日差しが強くてレースのカーテンを閉めるけど、窓を開け放てば冷房もいらない程に爽やかな風が走り抜ける。
秋になれば、庭も広場も様々な彩りの落ち葉で覆い尽くされ、心なしか西の窓に映えて差し込む夕日の色が悲しく赤い。
冬になると、リビングの暖炉に火がくべられて、外に出ることもないから寒い木枯らしに肌をさらすこともない。
広い敷地の庭に咲く花々を愛でながら、林間の小道を一人で歩いている時だけが、現実から離れているような気がして幸せだった。だから、寒い冬よりも、暖かい春が好きだった。
ミチルに一度だけ、両親はどんな人かと尋ねたことがある。彼は知らないと答えた。私も彼も、間をおいて言葉を継げずに黙り込んだ。
オギャーと生まれて母親の顔さえも知らされることなく、血のつながりも縁もゆかりも全てを拭い去られて、世間の闇の底に隔離されてしまったに違いない。両親という存在も、肉親という概念すらも認められずに、命だけが与えられて生きている。
だけど私は、彼を決してかわいそうだなんて思わなかった。だって、愛を知らなければ、愛に飢えることはないのだから。
父の情も母のやさしさも知らないうちに、闇の帳に封じ込められてしまえば両親を慕って苦しむこともないじゃないか。何もかも知り過ぎた人間ほど、現実の非情に苦しみ悶えるのだから。
そんなミチルがね、本当は白痴を装っているんじゃないかって疑うような出来事があったんだよ。それは、ミチルの誕生日で特別な晩餐の夜のことだった。