4の3 寺の住職
親父に連れられて山のふもとの寺に行くと、かみさんが出てきて本堂に通された。
仏壇の前に座らされてしばらく待っていると、仏頂面した住職が偉そうにすり足で現れた。
よろしくお願いしますと親父が頭を下げると、住職は小さく頷いて、俺の顔を見つめて説教を始めやがった。
よく憶えちゃいねえが、俺の心に邪悪な鬼が潜んでいるから、己の煩悩にまず気付き、心を開き真実を知り、生きる知恵を賜わるために精進せよと言いやがった。
天国からお前の悪行を見て涙をこぼしているご先祖さまの、悲涙の声が聞こえぬかと抜かしやがった。
お前の心掛けが変わらぬ限り、間違いなく無間地獄へと突き落とされるから、ひたすら両手を合わせて念仏を唱えよ。極悪非道の罪を悔いて、ありがたいお経を唱えて修行に励め。さすれば仏が救ってくれるというくだりから、俺は目をつぶって聞いている振りして眠っていたよ。
親父が俺の後ろ頭をひっぱたいて、住職に頭を下げて帰って行った。
「あたしゃ、住職の説教はしごく真っ当だと思うけどねえ……」
冷ややかな素振りで言い放つ女囚の言葉をさえぎるように、健吉は右手を上げて唇を歪める。
「まあ聞いてくれ。俺の話を聞いたら姉さんだって、きっと同情してくれるはずだぜ」
懺悔とも告白とも程遠い、健吉のぼやきが口をついてほとばしり出る。
*****
檀家衆が出入りする玄関口にトイレがあって、そこから本堂の裏手に回った奥に三畳ほどの納戸がある。そこが俺に与えられた部屋だった。
窓も電灯も無いから、扉を閉めれば真っ暗だ。まあ、修行の身だからしょうがねえかと往生したよ。
俺は毎日の炊事洗濯を言いつけられた。それが終わると寺の本堂や庭の掃除を命じられて風呂も洗った。これも修行だから仕方がねえと観念していた。
ところがなあ、しばらくして分かったんだよ。俺がやらされてる全ての事が、俺の修行の為を思ってやっているんじゃないってことがなあ。
本堂の裏には墓地があった。墓石は先祖から受け継いだ檀家の人質みたいなものだから、お布施だけはきっちり巻き上げていた。
住職も女房も、朝起き出して顔を見せるのは九時過ぎだ。読経の声さえ聞いたことがない。肉を頬張り、酒をたしなみ、自堕落に楽をして生きていく為の道具として寺を利用している。
そもそも死人が元手の商売だから、人間が存在している限り、食いっぱぐれる危機感はない。サラリーマンみたいにうるさい上司もいないし、会議もノルマもないから真剣に努力する必要もない。
金がなくなれば勝手に理由を付けて、法会を開いて檀家衆からお布施をふんだくる。その準備に俺だけが早朝からたたき起こされる。
修業だと言われて寺に連れて来られたけど、仏の道を諭されることもないし、有り難いお経を読まされたことなど一度もない。
俺を精進させて心を入れ替えてやろうなんて、殊勝な気概など微塵もありゃしねえ。夫婦そろって自分たちが楽をしたいからだけの為に、俺を都合よくこき使っていやがったんだ。
秋の彼岸の法要で、お布施の受付をしながら住職の法話を聞いていたら、地獄に如来が現れて救ってくれるっていう、定番の聞き飽きた話の繰り返しだ。
あの世だかこの世だか知らねえが、極楽とか地獄なんてのは、お前ら寺の坊主がそれらしくでっち上げた作り話だろうがって思ったぜ。
熱意も誠意もない、抑揚のない紋きりの棒読みが白々しくて、この住職にはまるで心が無いと感じたもんだ。
そもそも僧侶ならば、頭を剃って坊主にするのが常道だろうに、なんと住職は前髪をきっちり残した角刈りだった。
それだけじゃない。寺にいる時だけは法衣を纏っているが、夕暮れ時に出かける際にはスーツを着込んでコートを羽織り、夜中に戻って来る時には酒とニンニクの臭いをプンプンさせてご機嫌だ。
檀家衆から巻き上げた銭が、街の飲み屋かキャバクラでパッと気前良く消えているに違いない。
住職がこんな了見だから、女房だって半端じゃない。
そもそも神や仏をうやまう気持なんて露ほどもありゃしねえ。本堂のご本尊様に尻を向けて平気で屁をするし、木魚の頭で鼻くそを拭うくらいは日常の茶飯事だ。
押入れの中には西陣織の丸帯から、イタリア製のバッグに中国産の翡翠の首飾りまで、陳列棚のようにずらりと並んでいる。法事や葬式で巻き上げた金なんか、しょせんあぶく銭だと思っているから、夫婦で海外旅行をして土産に買ったブランド品を見せびらかしている。
温泉巡りだ、海外旅行だと現を抜かす前に、仏に仕える身であるならば、謙虚な気持で精進するのが修行の道だろうよ。
朝っぱらからビール飲んで、肉だの刺身だの食らいやがって、煩悩の塊の罰当たりはお前らじゃねえか。
それでも、このくらいならまだ許せる。どうにも許せないのはこれから先だ。