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 4の1 幼い頃から

 瀬戸内の小さな商家に生まれた健吉は、三人兄弟の末っ子だった。

 金物や生活用品などを商っていた父親は、町内にある集会所を借りて空手の道場を開いていた。師範を務める父に従って、幼い頃から兄弟みんなで道場に通っていた。

 いくら親父の指導だからといっても、大人を相手にまともな練習などできるはずもない。だから二人の兄貴は気が乗らないので、型も技も中途半端にいい加減だった。


 ところが健吉だけは、武道に目覚めたのか天性なのか、中学生になった頃には黒帯を相手に試合に臨んでも、引けを取らないまでに技を磨き上げていた。

 だから健吉は、幼いころから苛められた経験がない。というよりも、いたずらと苛めと犯罪の区別があいまいにして希薄だった。


 幼少の頃といえば戦争が終わり、ようやく世の中が平穏に落ち着いているかに見えたけど、目の前で自転車が盗まれたり、駄菓子屋に夜盗が入ったりと、子供の身にも戦後の名残を肌で感じる光景があった。


 町のはずれに小さなほこらがあって、その前で全身を白装束に包んだ男が、むしろの上に正座してアコーデオンを弾いていた。むしろの前には空き缶が一つ置かれ、中には一円玉や五円玉が転がっていた。

 男をよく見ると、正座しているはずの左足の膝から下が無かった。不気味な異物でも眺めるようにじっと見つめていたら、横目に睨み付けられてたじろいだ。


 お国のために戦って足を失った傷痍しょうい軍人だからと親父は哀れんでいたけれど、どうも虫が好かなかった。

 この男が戦場で、どんな思いで戦って足を失ったのか、想像もつかないし、どうでも良い。戦争を知らない健吉にとって、いま目の前の姿が現実なのだ。

 

 こんな田舎町にアコーデオンなんて滅多に目にすることはない。それをこの男はどこから探して持ってきたのだろうかと子供心に訝った。

 目の前を大人が通れば哀れむようにうつむいて、指を動かし曲を弾く。この男がどのようにして曲を弾けるようになったのか、どこに住んでいるのかなんて誰も知らない。

 そんなことなんて知る必要もないとばかりに大人たちは、一円玉や五円玉を放り投げる。薄っぺらな同情で善行を施したつもりになって、空き缶の前を通り過ぎて行く。


 健吉が近付くと、男はうさん臭そうに睨み付けた。健吉は男の視線を無視して空き缶を覗き込むと、空き缶目がけてションベンを引っかけた。

 激怒した男はアコーデオンを肩から降ろすと、松葉杖を掴んで殴り掛かってきた。腹ばいになって懸命にいざりながら、松葉杖を振り回して威嚇した。

 健吉はアコーデオンを蹴飛ばし松葉杖を奪い取ると、男の目玉を突き刺した。何度も何度も突き刺したら、血の涙を流しながら男はうなだれた。



*****

 健吉の話を聞いてあきれた京麻呂が、溜め息まじりの悪態をつく。


「なんと、幼少のみぎりから性悪ですねえ。さすがに死刑囚ともなりますと、ガキの頃から根性の腐りぐあいが違いますねえ。栴檀せんだん双葉ふたばよりかんばしとは、よくいったもんですねえ。生まれつきの悪人などいないと性善説を唱えた孟子でさえも、腰を抜かすほどの先天的極悪非道の宿命ですねえ」


 京麻呂に悪態をつかれてひるむような健吉ではない。バカにするなと言わんばかりに言い返す。


「お前なあ、俺を根っからのワルみたいに決めつけるんじゃねえぞ。お前だって死刑囚じゃねえか。俺だってなあ、町のみんなの為に身体を張って善行を施したことがあるんだぞ。誰もが考え付くことなんだけど、勇気がないから誰もできねえ。それを俺は実行して見せたんだ」


「へえ、死刑囚が善行ですか」


「まだ死刑じゃねえよ、俺は中学生だった。まあ、聞いてくれよ」

 悪びれた風も見せず、健吉の述懐は淡々と続く。



 ― 暴走族 ―


 中学校を卒業したところで高校へ進学するわけでもなし、来年の春には集団就職列車に乗せられて東京か大阪へ行かされる。

 たとえ貧乏でも長男だけは家督を継ぐために実家に残されるが、あとはみんな余りものだから、口減らしのために大都会へと放り出される。

 だから成績なんて親も気にしないから勉強などしない。だからといって退屈しのぎに苛めをしようとか、学校に放火してやろうとか考えるほど精神が歪んではいない。

 そんな健吉が十五歳の夏だった。退屈を紛らせてくれるには絶好の事件が起きた。


 客を乗せたタクシーが二十台以上のバイクに取り囲まれて、運転手と客は無事だったが現金を強奪されて、車体はボコボコにされて廃車となった。


 普段は新聞など無縁の健吉が、社会面に大きく写真入りで掲載された記事を食い入るように目で追った。

 信号無視は当たり前に深夜の路上を暴走し、略奪、破壊、恐喝、強姦などの被害も頻発して、暴力団とも関わりがあるのではないかと記述されていた。

 

 消音器を外して暴走するバイクの爆音に、警察は何をしていやがるんだと苛立っていた健吉が、やるかたない若気の怒りにブチ切れた。

 警察にヤル気がないのなら、羽目を外し過ぎたあいつらに、俺が制裁を加えてやろうと決意した。それは断じて実直な正義感ではなく、彼らの行動の全てが、自分の町と、そこに住んでいる自分に対する挑発だと思えたからだ。


 

 健吉は学校の授業が終わると、自転車をこいで空手の道場へと急いだ。道場は町の集会所だが、師範を務める父や大人たちが集まって来るのは夕刻過ぎで、学生たちは放課後に数人づつ連れ立って来る。


 集会所は特別の行事でもなければ、夕刻以降は空手の道場として開放されていた。柔道場のように畳を備える必要もないし、盗まれるような用具などまるでない。浮浪者が住み着く心配もないから入口に施錠もされない。入口のガラス戸を横に引くたびに、ギシギシ軋んで建屋もかなり老朽化していた。

 

 まだ道場には誰もいなかったが、一人で型をこなしているうちに高校生たちが三人ほど姿を現した。

 彼らが道場に通う目的はただ一つ、喧嘩に強くなることしかありえない。力ずくで強弱が支配される田舎の私立高校だから、校内暴力や恐喝が横行しても、勝ち組に回れるようにと弱者は知恵を絞らねばならない。

 暴走族だってきっとそうだ。無頼な仲間とつるむことによって強者の仲間入りした気分になり、刹那的な自己顕示欲に陶酔できることを知ったに違いない。


 蟻が大群となってムカデを襲って捕食する。お前らは蟻だ。一匹じゃ何もできないが、大群になれば警察だって手に負えなくなる。教室の隅っこでいじけて潜んでいれば良いものを、わざわざ消音器をはずしてつるんで俺の鼓膜をぶち破るから、町民を代表してお前らの息の根を止めてやる。

 普通の人間ならば、そこまで憤って妄想の中で制裁を加えて何もできずに終止符なのだが、健吉の行動力には妄想と現実の見境がなかった。



 道場に通う高校生は十人ほどいたが、中学生の健吉は彼らに一目置かれていた。父親が師範だからではない。筋骨たくましい体躯をもって卓越した技を磨き上げているから、黒帯を相手に試合で負けたことが一度もないからだ。

 

 さっそく健吉は、三人の高校生に企ての内容と決意を明かして協力を求めた。彼らの顔面は一瞬にして強張り、青ざめて身を引いた。

 当然だろう、夜陰の路上にロープを張って待ち構え、先頭のバイクを倒して暴走するバイクの群れを総倒しにする。あらかじめ撒いておいたガソリンか灯油に火を付けて、二度と暴走できないようにバットで打ちのめす。

 死人が出るかもしれないし、失敗すれば袋叩きにされて殺されるだろう。なにしろ奴らは集団だから、俺たちを殺したところで、二十人で暴行すれば罪の意識も二十分の一だ。

 

 健吉の計画はひそひそ話だったのだが、たちまち道場のみんなに噂となって広まり、ついに父の知るところとなって厳しく戒められた。

 だからといって健吉は、諦めきれずに別の方法をあれこれと思案した。そして高校生たちに誘いをかけるのだが、父の咎めと失敗を怖れて応じてくれない。

 

 ところが健吉の企みに、身を乗り出してきた一人のおっさんがいた。黒帯を締めてはいたが体躯や表情に精彩はなく、いつも一人で型の練習をしていた。


 ミンダナオの戦地で死にきれず、傷病の友を見捨てて恥を忍んで帰国した。未だに食うや食わずの飯場暮らしで、何の為に生きているのか分からないまま道場に通っているのだと話してくれた。

 明日の命もしれない定めなら、いっそのこと非国民のあいつらに、死ぬほどの鉄槌を食らわせてスカッとしてやろうかと健吉の肩を叩いたのだ。

 おっさんが持ちかけてきた策略は単純だったが、健吉が度肝を抜かされるに十分だった。


 

 決行の日は月影もなく、分厚い雲に覆われた暗闇の夜だった。健吉は野球のバットを握りしめて無心に待った。勝手に高鳴る胸の鼓動が、怒りなのか、畏怖なのか、武者震いなのか見当もつかない。

 

 耳をそばだて神経を研ぎ澄ましていると、やがて深い闇の先に漁火の流れるような白光がうごめき、幾重にも連なった爆音が轟き始める。ノロノロと隊列を組んで、芋虫のように国道を驀進して近付く。


 おっさんは暴走族の先頭を視野に捉えると、大型ダンプカーのキーをひねってエンジンを全開にした。そしてヘッドライトを上向きに点灯すると、ギアを入れてアクセルをいっぱいに踏み込み突進した。

 

 突然の閃光に視界を奪われ、ブレーキも踏めずに迷走している先頭のバイクに大型ダンプは体当たりした。バイクのシャーシはくの字にへし折れて横倒しに路肩を滑り、後続の隊列も総倒れに重なり合って叫び声が悲鳴に変わった。

 ダンプの荷台に乗っていた健吉はバットを振り回しながら飛び降りて、バイクのハンドルやライトをぶっ壊し、あらがう男たちを次々に殴り倒した。殴って殴って殴りまくって、バットが血だらけになってひび割れた。

 

 パトカーのサイレンが遠くに聞こえて近付いて来たので、健吉は国道を外れて街灯の無い畑地の闇に溶け込んだ。その後、おっさんとダンプカーがどうなったのか健吉は知らない。



*****

「へえー、それで暴走族はどうなったんですか?」

 あきれた表情で京麻呂が問いかける。


「解散したよ。だけどなあ、あれだけの事件で町中が大騒ぎしたってえのによう、翌日の新聞には小さな記事にもなっちゃいねえ。だから、おっさんがどうなったのかも分からねえ。だからな、ひそかに噂が広まったんだ。あのおっさんの正体は、警察が放った闇の仕掛け人じゃあなかったのかって」


「まさか、戦時中のスパイじゃあるまいし、そんなことがあるのかねえ」

 うさん臭そうに女囚が首をひねって言葉を継いだ。


「ところで兄さん、寺の住職を殺して死刑だって言ったけどさ、何があったのさ? 聞かせておくれよ」


「おおそうだ、聞いてくれるかい姉さん。悪いのは俺じゃねえ、住職のほうなんだ。だから、カッとなって殺っちまったんだ」

 健吉はコップの残りビールを一息に飲み干し、唇を歪めて息を吐き出す。


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