第4章 死刑囚・郷田健吉
テーブル越しの女囚に声をかけたのは、厳つい体つきの男だった。
顎が横に出っ張って、坊主頭ゆえに四角い顔が余計に目立つ。太い眉といびつな鼻が、身の丈百八十センチの体躯と合わせて、厳ついというより凶暴な風貌を漂わせている。
「おう姉さん、コップを出しなよ。ついでやろうじゃねえか」
姉さんと呼ばれた女囚の風貌は、白目に黒目がくっきりと浮き立ち、胡乱にさまよう眼光が、細面の感情をかたくなに抑え込んでいるようにも見える。
「ああ、すまないねえ」
右目をかばう素振りの女を細目で覗き込んで、男がぶしつけに問いかける。
「姉さん、だいぶ目が悪そうじゃねえか。俺たちの顔がちゃんと見えてるのかい?」
気にする風もなく、いつもの事のように女が応じる。
「右目はほとんど見えないけど、左目でね、しっかり見えてるよ、兄さん方の男ぶりがねえ」
「おおそうかい。深い事情がありそうじゃねえか。まあいいや。おう、兄さんは何て名だい」
声をかけられた隣の席の男囚は、華奢な体形にナマコ唇が特徴の凡庸な顔つきだが、時折の言葉つきに気品と見識がうかがえる。
「僕は死刑囚の錦小路亰麻呂といいます」
名を聞けばいかにも高貴らしい。そんな人間に初めて接して、厳つい体つきの男はあらわにとまどった。
「随分ド派手な名前じゃねえか。天皇陛下の親戚かい……、それとも歌舞伎役者の成れの果てか……?」
問われた男は表情も変えず、取り調べ中に何度も繰り返したセリフをまた繰り返した。
「平安の時代より朝廷に仕える公家の末裔として、由緒ある血統を絶やすことなく花の都の先斗町界隈で生を得たのですが、ふとした誤解でこんな所に迷い込んでしまいました」
「先斗町といやあ、京都の花街じゃねえか。公家が孕ませた祇園の芸者の隠し子ってとこかい? まあいいや、俺はなあ、郷田健吉だ。寺の住職を殺して死刑囚になった」
女囚が頷き、場を盛り上げる風に会話を振った。
「罰当たりな事をしたもんだねえ。どうして坊主なんかを殺っちまったのさ」
「おう、聞いてくれるかい姉さん。話は長いんだけどよう」
人間はたくさんの思い出を作り、思い出を糧にしてこそ生きていけるんだと、健吉は幼い頃に、親戚の大人から聞かされたことがある。友と出会い、成功と失敗を繰り返し、様々な経験を積み重ねて思い出を作るのだと教えられた。
だけども、死期の近付いた老人たちは、友も知人も次々と死んでいなくなるから、新しい経験などできはしないし、思い出もみんな消えていくと、祖父が嘆いていた。死刑囚だって同じじゃないか。
拘置所に放り込まれてからは、経験どころか未来さえも存在しない。だから、過去の記憶の断片を手繰り寄せて、何度も何度も自分に向かって語りかけて、死ぬまでの時間を孤独に紡ぐしかなかった。
それが今、ようやく他人と共に、自分の思い出をあぶり出して共有できるのだ。それこそが、もう一度人間に戻れる術であり願望ではなかったか。
そう思って健吉は、一息にコップのビールを呷り、胸にしまい込んでいた幼い頃からの記憶を紐解き始めた。