#048――テロリスト3
シャイニングは帰宅した。玄関に入った時点で、その家が豪邸であることが伝わる。
大理石の廊下に、壁面には豪華な絵画が並んでいる。目立たない程度の、室内用香水の香りが、玄関から漂っていた。嗅ぐ者が専門家ならば、その香水がよほどの品であることに直ぐに気づいただろう。
玄関から奥へと進み、彼は自室へと入ろうとした。
丁度そのタイミングで、背後から声をかけられた。彼は笑顔で振り向く。
「戻ったのか。何時だと思っている、遅いぞ。」
そう彼に声をかけたのは、鳳凰院哲司その人だった。
「ごめん、父さん。少しだけ寄り道をしていたんだ。」
「ふん、まぁいい。お前には期待しているんだ、問題になる行動は起こすなよ。」
「もちろんだよ、父さん。」――取り繕った笑顔を、哲司へと向ける。
その表情に満足したのか、哲司はリビングへと戻って行ってしまった。
彼はホッと一息つくと、ようやく自室へと戻る。
そのまま机に向かうと、早速一冊の手帳を手に取った。
そこに今日あったことを、つらつらと記述する。
『20○○年○月○日:ホテルでの会議に参加した。何の実もない会議だった。』
上記の内容を日記に書き留めた彼は、興味なさげにその一行を眺める。
「無能な連中に付き合うのは、心底疲れるよ。まぁでも、仕方がないか。」
そういうと彼は、その一行の近くに記載されている、とある一行を愛しそうに撫でた。
『20○○年○月○日:研究所の警備に参加した。面白い覚醒者に出会った。』
彼はその一行を、愛おしそうに眺めている。
「楽しみだ。何の変哲もない人生に、ようやく起伏が生まれたよ。」
やがて日記を閉じると、彼は日記の表紙を眺める。
そこには――バーコードが刻印されていた。
「彼は僕と、似た匂いがする。他とは違う、特別な存在だ。」
そうして彼は、更に笑みを深めたのだった。
◇◇◇
パラダイム零本部にて、影汰は治療を受けていた。
少女が影汰の肩に触れると、そこがぼんやりと光る。
それからおよそ数秒程度で、影汰の傷は完治してしまった。
それから少女は、遠慮がちに口を開いた。
「終わりました。」――影汰の目は見ずに、少女は俯きながら彼に報告をした。
「ありがとう。助かったよ。」――影汰は彼女に、礼を伝える。
「あの…私は…。」――彼女は何か決意を込めて、口を開いた。
その何らかの決意は、明確に影汰にも伝わっていた。その為、無言で彼女が紡ぐ言葉を待ち構えた。
「私の名前は…蓮見 穂香。これが、本当の名前なの。」
「蓮見穂香――綺麗な名前だね。」
「あ、ありがとうございます。」――蓮見の頬は、少しだけ赤く染まった。
「名前を教えてくれてありがとう。嬉しいよ。」
――何故か影汰も、照れ臭そうだ。
その後、少しだけ間を開けてから、影汰は単刀直入に質問をした。
「僕たちのことは、もう聞いた?」――今度は、影汰が目を伏せる番だった。
「…はい。聞きました。」――蓮見は答えるのに、少しだけ間を要した。
「そう。なら勧誘を受けたんだね?」
元々この作戦の目的は、彼女の勧誘だった。但しそれは、パラダイム零としての目的であり、影汰の目的ではない。
「…はい。」――蓮見は、少しだけ気を落としているように見えた。
「君の意思で決めてほしい。無理なんかしなくていいんだ。」
そんな彼女に、影汰は優しく声をかける。
「でも…黒音さんも、私が必要だから助けたんじゃ?」
「う~ん、実は違うんだ。僕は、純粋に君をあの小さな世界から解き放ちたかっただけなんだ。だから、あくまで君の選択を優先したいと思ってる。それに…凄く危険なことだからね。パラダイム零のみんなは優しいし、君が嫌だと言えば、強制はしないよ。」
「…そう…なんですか。」――蓮見は少しだけ、安心しているようだった。
やはり、勧誘が彼女の重みになってしまっていたのだと、影汰は考えていた。
彼女には自由に生きて欲しい。それが、影汰の望みだった。あの日の彼女のように、狭い世界に閉ざされたまま、彼女に人生を終えて欲しくなかったのだ。
「…黒音さんはあの時、私が救われるべきなんだって言葉をかけてくれました。でも、やっぱり私は――きっといつまでも私は…苦しむ子供たちの夢を見続けると思います。」
「…そう…だよね。」
――影汰は彼女の話を聞いて、少しだけ寂しそうな顔をした。
「でも嬉しかったのも本当なんです。今までそんな言葉をかけてくれる人なんて、一人もいませんでしたから。」
蓮見はそっと、俯く影汰の手に自分の手を重ねた。
「責任を感じるから、私も戦いたいんです。直接の戦力にはなれないのかもしれないけれど、私は…もう二度と私達みたいな子供が生まれない世界を作りたいんです。」
蓮見の瞳に込められているのは、純粋な決意だけだった。影汰と彼女の視線が正面から噛み合った瞬間、影汰もそれを十二分に感じ取ってしまっていた。
だからこそ、少しだけ戸惑っていた。本当はそうして欲しくなかったから。彼女には、少しでも幸せな人生を歩んで欲しかったから。
ただ彼女の決意を否定することは、同時に彼女の自由を否定することになる。だからこそ影汰は、彼女の選択を止めることは出来なかった。
「解った。」――影汰は何か吹っ切れたかのような明るい顔になった。
そんな影汰の表情を見て、彼女もキョトンとしている。
「でも最後に、一つだけ確認させて欲しいんだ。君は、自分の傷も治せるの?」
「えっと…はい、一応。でもどうして、そんなことを?」
「いや、何でもないんだ。興味があっただけだよ。」
そう言った影汰の顔には、明らかに安堵の色が現れていた。
蓮見は影汰のその表情に、深い疑問を感じた。ただ何故か、それ以上は踏み込むことが出来なかった。それについて聞いてほしくなさそうな、どこか寂しそうな印象のある表情に、影汰の顔が直ぐに変化してしまったからだった。
それから蓮見は、直ぐに参加の意思を阿久津へと伝えることになる。
彼女の参加は、パラダイム零にとって大いなる一歩になるだろう。




