#003――実験
影汰は、椅子に座っていた。場所は、白くとても広い部屋だ。
肘掛に両腕を、椅子の足には両足を革ベルトで固定されている。右手首には点滴、更に黒い目隠しを付けられ、ぐったりと項垂れていた。
現状、部屋の中には彼しかいない。
――すると彼の体は、突然痙攣し始めた。
目には見えない何かが、明らかに彼の体には起きていた。
苦しそうに、ただ体を震わしている。
誰かが助けに来るようなこともなく、一度治まれば、また震わせる――それを幾度も繰り返し続けていた。
部屋の壁面の一方には、大きな鏡がある。
影汰から見れば――の話だが。これは鏡ではなく、マジックミラーである。
その奥では複数人の研究員たちが、白衣に身を包んで経過を観察していた。
特に恰幅のいい男が、隣の男に質問する。
「経過はどうだね?」
「現段階は初期症状です。発症から1日が経過しました。点滴による生命維持も問題なく行われています。後は、我々の問題ではなく彼の問題かと。」
「ふむ、そうか。」
ガラスの向こうに苦しむ子供がいても、行われるのは事務的な会話だけだ。
会話をする研究員の二人は、どちらも同情とは無縁である。
もちろん彼らが特殊なだけであり、他の研究員たちは余りガラスの向こう側を見ない。室内には、およそ十人程度の研究員達がいる。
モニターにより、一枚フィルターをかませ、間接的に観察するだけだ。
最初に会話をしていた内の一人、先ほど最初に口を開いた恰幅のいい男が、この研究所の所長:安藤 安武である。
頭頂部の髪は薄く、やけに歯は白い。背は170センチ程度だが、体重は100キロを越える。およそ人間の怠惰を詰め込んだかのような容姿をしていた。
もちろん所長であるということは、この研究所の最高責任者であり、彼にそうした容姿の指摘をする者もいない。彼の腹部は、徐々に膨れるばかりだった。
隣に立つ、先ほど冷徹に受け答えした男は、この研究所の副所長:福部 啓人である。
非常に痩せこけた、皮と骨だけかのような不気味な男だ。小さな丸眼鏡をしている。
この研究所は、彼ら主導で動いており、現在は実験の第一段階だった。
影汰の現状は、全て彼らの独断で行われ、もちろんそこに影汰の同意はない。
影汰は商品なのだ。これは、仕方のないことだった。
「これからが本番なので、彼には頑張って貰いたいところです。」
――福部がそういと
「ふむ、期待しておこう。」――と、安藤が返事をした。
そして、安藤は少しだけ口角を持ち上げ、顎を指先でゆっくりと撫でた。
彼の脳裏には、実験の結果から生み出される自分の利益しか描かれていない。
そこに影汰の苦しみが考慮されることは、一生ないだろう。
◇◇◇
あくる日、影汰はまた椅子に座っていた。
前回と同じ部屋で、四肢の拘束、そして目隠しをされながら。
ただ以前とは違い、落ち着いている。
何もしない、何も感じないことに努めていた。
――全身に鋭い痛みが生じ、体内に電気が流れているのが解る。
身体が強制的に痙攣を開始しようとも、声を上げることはない。
ただ、その瞬間が通り過ぎるのを待ち続ける。
次第に体に流れる電流が止まると、ゆっくりと一度だけ深呼吸をした。
この研究所に来てから約二週間、影汰は更に痛みに強くなっていた。
しかしそれは、研究員たちからすれば、悪い傾向だった。
痛みによる強い精神負荷――ストレスをかけるのが、今の目的だからだ。
マジックミラーの奥では、今日も研究員たちが経過を観察している。
そして、安藤と福部は、芳しくない表情をしていた。
「第一段階を無事クリアしてくれましたが…まさか、ここまで痛みに耐性のある子供がいるとは思いませんでした。」
――福部は驚きを隠せない様子で、安藤へと話しかけていた。
「…ふむ、芳しくないな。このままではコストが回収できない。至急、何か対策を考える必要があるだろうな。」――安藤も福部に同意する。
安藤は額にほんの少し汗をかいているが、それは思わしくない結果によるものではなく、単純に彼が太りすぎだからだ。周囲は汗などかいていない。
「――アプローチを変えてみますか?」――ふと福部が、安藤に提案した。
「というと?」――安藤はその提案に、興味を示す。
「心にダメージを与えるのです。確かに痛みによる精神負荷の方が効率は良い。ですが時に対応を変えて見るのも、面白い化学反応を起こす結果に繋がるかもしれません。」
「ほう?確かに既存の方法だけを試すのは、もう飽きていたところだ。」
安藤は満足げに口角を持ち上げる。
その表情には、独特ないやらしさがあった。
「今までは痛みによる付加だけを加えていましたが、今後は生活圏を汚してみようかと考えています。――どうですか?黒音君に関しては、私に一任して頂けませんか?」
そういった福部の表情は、口角をこれでもかというほど持ち上げ、安藤の普段のにやけ顔よりも、遥かにいやらしかった。彼もまた、安藤と似た性質を持っているのだ。
「…いいだろう。この件は、君に一任しよう。」
そんな彼の表情を見て、安藤は満足そうに、あえて大きく頷いた。時代劇の、己が利に目を晦ました大臣のような素振りだ。
「ありがとうございます。必ず結果を出して見せますので、お待ちください。」
「ふむ、期待している。」
額の汗をハンドタオルで拭うと、安藤はノシノシという音が鳴りそうなほどゆっくりと歩き、退室していった。




