#033――追跡1
やがて馬渕は、とあるビルの路地へと入って行ってしまった。
もしかするとそこには、何か飲み屋があるのかもしれない。いわゆる隠れ家的な居酒屋にて、馬渕は酒を嗜むのかもしれない。それかバーか、まあ細かいディティールはどうでもいいだろう。
ビルの隙間道は意外にも長く、そうした道を馬渕はスルスルと進んでいく。
そして、なんの変哲もない隙間道で、彼はようやく立ち止まった。
丁度彼が立ち止まった場所の側にある、ビルの裏口にあたる扉を彼はノックした。
(…本当に隠れ家的な店だ。)――影汰はそこが居酒屋であると予想していた。
ノックを受けてから直ぐに、扉が開いて中から人が出てきた。
出てきた男は真面目なスーツ姿であり、警備員にも見えない。
馬渕は、その男と数分間会話をすると、次にその扉から女性が出てきた。
いかがわしい店だったかと、影汰は少しだけ馬渕に幻滅した。当然大人にはそういう側面があって仕方のないことだが、それを受け入れられるほどまだ大人ではない。
それでも観察を続けていると、馬渕の様子には違和感があった。
彼は、いくら話そうとも、店には入らない。
暫く二人から話しを聞いた後に、その場から離れてしまった。
この瞬間、影汰の中で更に謎が深まった。本当に先ほどの場所が何らかの店舗であったなら、少なくとも中には入るはず。
それとも、少しだけ時間を空けてから女性と会うのだろうか。影汰の脳裏に、あらゆる選択肢が浮かぶ。ただその全てに自信がなくなっていた。
更に馬渕を追跡すること十分程度、彼はまた足を止めた。
そして、影汰はその場所を見てとうとう確信を得た。
その場所は、いわゆるラブホテルであり、目的はあまりにも明らかだ。
むしろこれ以上追跡するのは、馬渕に対して不義理になるのかもしれない。影汰の足取りは重くなり、やがて追跡することを止めようかと考えるようになった。
ただ、それでも影汰の足は前進を選んだ。踏み出した足には、馬渕を信じたいという影汰の意思が込められている。
仮にこのまま彼が情事に及ぶのであれば、その時に帰ればいいこと。
馬渕を諦めるのは、まだあまりにも早計である。
影汰は少しだけ億劫そうな表情で、ラブホテルを見上げた。形状としては、ごく普通のマンションタイプなので、屋上からの侵入が有効だろう。
流石にラブホテルということもあり、屋上に警報システムがあることもないはずだ。
以上の考察をもとに、影汰は根源を使用して屋上へ上った。
花音を助けた時のように、足元に階段を形成しつつ普通に上るだけだ。
屋上まで辿り着いた影汰は、直ぐに屋内へと侵入した。
そしてエレベーター手前まで行くと、上部に書いてある階層の表示を眺める。
この建物は全部で十階建てであり、エレベーターは丁度五階部分で一度停止した。タイミング的に考えて、ほぼ間違いなくそれが馬渕だろう。
影汰は非常用階段を使い、五階まで下りた。
既に馬渕の姿は見えず、どの部屋に入ったかまでは不明だ。
五階は全部で四部屋あるようで、そのどれかに馬渕は入っている。
確率は、そこまで低くもない。影汰はどうするべきかと、その場で考えていた。
すると、影汰が一瞬考えることに集中した際、背後から声をかけられてしまった。
「おい、こんなところで何してるんだ?」
「ッ!?」――影汰は驚き、ビクリと震えた。
その声には随分と聞き馴染みがあり、ゆっくりと振り返った。
背後に立っていたのは、影汰の予想通り馬渕だった。
そして、彼は呆れた表情で影汰のことを見下ろしている。
「いや、これは…。」――影汰は直ぐにあらゆる言い訳を考える。
しかし、影汰が言い訳を言葉にするよりも早く、馬渕が先に口を開いた。
「…後を付けてたのか…。まあいいけどよ。俺、疑われるようなことしたか?」
どちらかというと馬渕は、怒りというよりも少しだけ傷ついているようだった。
「いや、その…普段何しているのか気になっちゃって。」
馬渕の表情から正確に感情を読み取った影汰は、正直に理由を告白することにした。
「…なるほどな。ま、ならついて来いよ。」
馬渕は豪快に影汰の首根っこを掴むと、自分が借りた部屋の中へ連れ込もうとする。
瞬間的に状況を客観視した影汰は、全力で抵抗を開始する。
それでも馬渕に膂力で敵うわけがなく、そのまま部屋に連れ込まれてしまった。
まさか馬渕は子供もいける口なのかと――そんなゲスい考えが一瞬影汰の脳裏に浮かびあがった。恐怖で震えたのは、言うまでもない。
それから影汰は、片手でゴミでも放るようにベッドへと投げられてしまった。
ぼすっ!という中々の衝撃音が鳴り、背中にほんの少しだけ痛みが走る。
「多分もうすぐ来るはずだから、そこで待ってろ。」
馬渕は影汰にベッドを譲り、自分は備え付けられた椅子に座ってしまった。
それから腕を組んで少しだけ俯くと、そのまま目をつぶってしまった。




