#026――組織5
「もう一杯いるか?」――マスターが笑顔で影汰に問う。
「是非お願いします。」――影汰は既に、先ほどまでの考えを改めていた。
確かにカロリーが必要になる――と。茶わん蒸しは、その多くが卵により構成されている為、効率よくカロリーを摂取することが出来るのだ。
それもゼリー状である為、非常に摂取しやすい。
「根源に関する研究は更に進み、やがてほとんどの国がその仕組みを理解し始めた。すると各国は、より有意義な根源を求め始めた。特定の根源を生み出すシーケンスをレシピと呼称し、あらゆる根源の作り方を解明しようとしている。それが今の根源に関する状況なのよ。つまり、あなたがいた研究所もそんな思想によるものね。」
「より有意義な根源…例えば戦闘能力が高かったり、例えば他人の傷を癒すことが出来たり、そういうことですか?」
「そう。そして根源を生み出す為に、豪財会は未来ある子供たちを犠牲にし始めた。研究工程で死ぬ子供は、別段珍しくはない。あなたも体験したでしょうから、知っているとは思うけど、人道に反する行為なんてざらよ。」
あの研究所で受けてきた数々の苦痛を、影汰は脳裏に思い浮かべていた。
それこそ拷問に耐え兼ね、自害する子供だっている。
「それに研究費に資本を割いているから、未だに一部の民衆の貧困は改善しない。中小企業の力が非常に弱まっているからよ。労働力をろくに得られず、極一部の大企業が経済を成り立たせているから、表向きは上手くいっているように見えるけどね。」
「…なるほど。」
――事実、影汰の両親の堕落の始まりは、リストラからだった。
影汰の母がまだまともだった頃に、影汰は母からその情報を聞いていた。
中小企業で汗水たらし一生懸命働いていた父は、ある日突然解雇されてしまったのだ。
それもこれも、中小企業の力が弱まっているからだろう。
元を糾せば、原因は国にもあるのかもしれない。影汰は次第にそう考えるようになっていた。もちろん父の本質にも、問題はあったのかもしれないが。
「今の日本が正しいと思う?少なくとも私は、昔の日本が好きだった。」
「…昔の日本については解りませんが…今の日本は、間違っていると思います。」
「そこまで理解してくれたのなら良かった。」
彼女は渋い表情で、カウンター席の奥にある棚に陳列された、酒瓶を眺めた。もしかするともっと遠くの、壁の向こう側を見つめているのかもしれない。
「マスター、ウォッカを頂戴。」
マスターは直ぐに彼女の目前に、小さなグラスに注がれたウォッカを差し出した。
彼女は、受け取った一息でそれを飲み干し、ガンッ!――という大きな音を立てながらカウンターへとグラスを戻した。
「私たちの理念は、以前の日本の形を取り戻すこと。」
阿久津はそういうと、席を回転させ真正面から影汰の方を見た。
彼女の視線は、真剣そのものである。
「私たちは――【パラダイム零】。
由来は「パラダイムシフト」――革命的な変化からとっているわ。革命前に戻る、それが私たちの目的よ。黒音君たちが生きる未来を、より素晴らしいものに変えると、この場で約束するわ。だから私たちに、力を貸して。」
そう宣言すると彼女は、影汰の方へと手を差し出した。
影汰自身、すでに結論は出ている。
花音の生きる未来を、より素晴らしいものへと変える。
それが叶うのであれば、悪魔にでも魂を売るつもりだった。
――だから影汰は、阿久津の手を握り返した。
その手には、想像以上の力が込められており、阿久津の表情が一瞬だけ歪む。
だからこそ阿久津は、影汰の決意が不退転のものであると理解できた。
彼も世界を変えようとしているのだと、その胸に刻んだ。
「ようこそ、パラダイム零へ。」――阿久津は笑顔を満開させた。
「…よろしくお願いします。」――その瞳を、影汰は真剣に見返した。
後に日本はおろか、世界を変えることになるとは、この時の影汰には知る由もない。




