#016――妹2
葛西は、いつも通り自宅で湯を沸かしていた。
そして、お湯を即席麺へと注ごうとした瞬間、突然扉代わりのブルーシートが開いた。
「葛西さん、力を貸してください!」
「く、黒音君!?確かにまた会いたいとは思ってはいたが、こんなに直ぐとは!?」
驚いた葛西は、湯を少しだけ太股に零してしまった。
「あ、熱いッ!?」
驚いて立ち上がると、背の低い段ボールハウスの天井に頭をぶつけ、丁度サッカーボールくらいの穴が開いてしまった。
影汰もその光景を見て、気まずそうにしている。
「いや、いいんだ。気にしないでいいよ。それで?何があったんだい?」
「実は―――。」
影汰は、端的に現状を説明した。葛西の表情は、徐々に険しいものになっていく。
やがて話し終わると、葛西は静かに数度うなづいた。
「なるほど、事情は分かった。つまり、私に妹の売却先を特定して欲しい訳だね。ただ、その金額だと裏ルートである可能性が高いね。…うん、でも大丈夫、手はあるよ。」
葛西は、ポケットから携帯を取り出した。
「え?携帯持ってるんですか?」
「ははは、驚くよね。でも私も馬鹿じゃない。手ぶらで子供たちを救えるとは思っていないよ。最低限の道具と資金は、今も持っている。無駄を極限まで削ぎ落してこんな姿になってはいるが、これは隠れ蓑でもあるのさ。」
「す、凄いですね。」
いや、削ぎ落し過ぎだろ――という言葉を、影汰は呑み込んだ。
そんな葛西の話しに影汰が驚いている間に、彼は早速電話を一本かけた。
プルルル――という電子音が鳴ると、直ぐに相手が出たようだ。
「もしもし、葛西だが。」
――影汰と話している時よりも、より紳士的な声が出ている。
『か、葛西さんですか!!??』
スピーカーモードにしている訳ではないのに、相手の驚きの声は、影汰の耳にまでしっかりと届いていた。よほどの驚きだったのだろう。
「いくつか情報が欲しい。君だけが頼りだ。」
『も、もちろん。葛西さんの頼みだったらいくつでも請け負いますよ。』
「ありがとう。ああ…ちょっと待ってくれ。」
葛西は一度電話を耳から離し、影汰の方へと視線を戻した。
「そういえば、一番重要なことを聞き忘れていた。妹さんの名前は?」
「――黒音 花音です。」
「へぇ…失礼ながら、ゴロが悪いね。」
葛西は失礼な感想を漏らすと、片方の眉毛を持ち上げた。
そして、その名前を電話先の相手へと伝えた。
◇◇◇
影汰が葛西から得た情報によると、花音はとある会社の社長に引き取られたらしい。
幸運なことに、研究所のような大規模な施設ではないので、なんとか助けることは可能だろう。しかし、裏ルートということもあり、彼女が危険な状況であることは間違いないく、早急に花音を救う必要がある。
影汰は目前にそびえ立つ、高層マンションを見上げた。あまりにもマンションの背が高いため、首の筋肉をつりそうだった。
一見すると、入口の警備システムは単純な高層マンションと同じく、管理室に人がいてさらにナンバーロックという、厳重な状態だ。
次に影汰は、マンションそのものではなく、周囲を観察した。
建物の両サイドには、同様に高層マンションがあり、所謂ビル街のような様相だ。
「…あそこからなら登れそうだな。」
建物同士の間には、薄暗く細い道が形成されており、目立ちそうもない。
侵入経路としてはもってこいだ。
もちろん、それも影汰の根源あっての話ではあるが。
「はぁ…あの研究所で得た力は、あんまり使いたくないんだけどな。」
影汰はマンション同士の隙間に入ると、体の前で右手を開いた。
するとそこに、小さな闇が現れた。
その闇を形容するのであれば、水蒸気に近い。
それを紫黒で着色したかのようなイメージだ。
「でも花音を助ける為に、手段は選べない。」
影汰の意思により、闇は形を自由に変えていく。
改めて自分の根源を確認すると、彼はまるで階段を上るかのように、足を持ち上げた。
するとそこに、先ほどの闇が現れ床を形成、一見何の強度もないように見えるが、足を乗せることが出来た。
さらに同様に、足を持ち上げる――そして、床を形成。先ほどまで足があった個所の闇は、空間に溶け込むように消えていく。
「おっと、流石に変装したほうがいいよね。」
影汰は現在、葛西から借りた服を着ている。
研究所にいた頃の服装では、目立って仕方がないと懸念した葛西が、手持ちの洋服をいくつか見繕ってくれたのだ。
大人サイズであり、影汰には少しだけ大きいが、問題になるほどではない。
葛西は普段ホームレスに擬態している為、ズタボロになった服を着てはいるが、実はクリーニング済みの服も複数所持していた。
黒いパーカーにジーンズという非常に簡素な服装だが、目立たなくて丁度いい。フードを深くかぶり、マスクとサングラスをすれば完璧だ。
とはいえ、服装としては完璧なる不審者でしかないので、マスクとサングラスは直前までしてはいなかった訳だが。
服装を整えると、彼は前進――または、上昇を開始した。
そのまま足元に床を形成し、どんどん空中へと移動していく。
その光景は、なんとも奇妙であった。もちろん誰にも目撃されてはいないが。
やがて影汰は、難無く屋上へと辿り着いてしまった。
「さて、こっからは自力でなんとかしなくちゃな。」
彼は屋上からマンション内に入るための扉の前に立った。
一階とは違い、セキュリティは甘い。見たところ、鍵がかかっているだけだ。
人差し指を伸ばし、影汰はそこに闇を生じさせた。
そのまま鍵穴部分に指を近づけると、鍵穴の中へと闇だけが侵入していく。
不気味な光景ではあるが、影汰が闇を鍵穴へ放ってからからおよそ三十秒後、
――ガチャリッ、という音と共に扉が開いた。
「本当に万能だな…これ。」――影汰は、自身の手に生じる闇を見た。
扉を開け中に入ると、早速目前に現れた階段を下る。
葛西の情報によると、花音を買い取った社長は、どうも最上階にいるらしい。
屋上から侵入したので、もう目と鼻の先に花音がいることになる。
最上階のフロアまで来ると、顔を少しだけ前に出し、監視カメラを確認した。
「そりゃ一筋縄じゃいかないよね。」
廊下には、監視カメラが複数個ある。
「とはいえ、引く気もないけど。」
変装済みである為、監視カメラに映ることを許容した。
その為、ここからはスピーディーに作業を終えなければならない。
目標の部屋前まで着くと、屋上から侵入したときの手順を繰り返した。
――ガチャリ、という音がまた鳴った。
「ふぅ…行くか。」
影汰は扉を開け、中へと入った。




