#013――ホームレス
影汰は歩いていた――目的もなく、死んだように。
今日はあいにくの雨で、彼の頭上へと容赦なく降り注ぐ。服もぐっしょりと濡れており表情には生気がない。食事も数日間とっていなかった。
いや、取る気力もなかったのだ。
そんな影汰が辿り着いたのは、とある高架下だった。
柱の陰に力なく座ると、そのまま俯き、目を閉じる。
ただあの研究所跡から離れるために歩いていたので、この場所がどこかもわからない。
食事を摂取していない影響からか、視界もかすみ始めていた。
もはや自分は死ぬのだと、影汰は感じていた。
そして、それを受け入れるつもりでいる。
あの時、治癒師の少女が目の前で死んだその瞬間から、彼は生きていく気力を失ってしまっていた。自分で生命を奪ったという実感だけが彼には残っている。
全ての責任は、自分にある――影汰は、そう考えていた。
そうして影汰がうつむいていると、唐突に誰かに肩を叩かれた。
(先客がいたんだ…。じゃあここで死ぬのも申し訳ないな。移動しよう。)
そうした決意のもと、影汰は目を開いた。
すると目の前には、髭モジャで、とにかく不清潔な男が立っていた。
サンタクロースを埃に合えたかのような、そんなイメージだ。
おそらくホームレスで間違いないが、今時珍しくもない。
経済崩壊が起きた時、失業者は、砂漠の砂のように溢れていた。
「どうしたんだい?」――不潔な男は、首を傾げながら影汰にそう聞いた。
「いいえ、何でも…ないんです。もう行きますね…すみませんでした。」
影汰は再度立ち上がり、また歩き出そうとする。
ホームレスの横を通り過ぎようとすると、丁度男の真横に立ったタイミングで、彼はもう一度口を開いた。
「――泣きたい時は、泣いたっていいんだよ。君は、まだ子供だ。」
影汰が封印していた心の奥底に沈む思いを、ホームレスは正確に射抜いた。
すると、影汰はそれでも冷静に、皮肉で返答した。
「もう涙も出ないんですよ。感情が、壊れたみたいです。」
本音を打ち明けた。ほとんど気まぐれに近い衝動だった。
そして、そんな言葉を聞いたホームレスは、影汰の方はあえて向かずに、正面を向いたままそれに返答した。
「じゃあ、私と一緒だ。どれ、こうして同士と出会ったのも何かの縁、どこかへ行ってしまう前に、私が食事をごちそうするよ。」
不清潔な見た目とは違い、男の言葉遣いは非常に美しかった。
だから、というわけでもないが、影汰は気まぐれに、男についていくことを選択した。
死ぬ前に、誰かに懺悔をしたかったのかもしれない。
この男なら、世間のどこにも事実が漏れずに、話を聞いてくれそうだと。
ある意味想定通りではあったが、影汰は男の住居を見て少しだけ驚いた。
この高架下に位置するそれは、間違いなく段ボールハウスだった。
ある意味王道ともいえるその家は、物珍しさから影汰の好奇心を大いにくすぐっていた。
「さ、中へ入って。いい家じゃないけど、外よりは暖かいよ。」
「ありがとう…ございます。」
入口――とは名ばかりで、暖簾のようにブルーシートがかけられた場所をめくり、影汰は家の中に入った。
中は三畳程度で、確かに外よりもずっと暖かい。
「選択肢はあまりないと思うけど、どこでも座ってくれてかまわない。」
影汰にそう告げると、ホームレスは早速料理を始めた。
とはいっても、ガスコンロを使ってお湯を沸かしているだけだが。
それを部屋の中心まで持ってくると、中はさらに暖かくなった。
そして、その真横に即席麺を二つ並べる。食事そのものが久しぶりであり、影汰の目には即席麺が非常に魅力的に映った。やはり、本能には逆らえない。
やがて沸々と音が鳴り、お湯がやかんから即席麺へとそそがれる。
「ご馳走ですね。」――皮肉にも聞こえるが、影汰からすれば本心だった。
「ははは、そう言ってもらえると、気が楽だね。」
ホームレスの手から、出来上がった即席麺と割りばしを受け取った。
即席麺を両手で包み込むように握ると、カイロのような暖かさが、じんわりと手を伝って全身に浸透する。自然と心がリラックスし始めていた。
三分後、蓋を開け、割り箸をパチンッという音を立てつつ分断、それを即席麺の中へと突っ込み、ぐるぐるとかき回した。
湯気とともに芳醇な香りが沸き上がり、この狭い家を包み込む。
淵に口をつけ、一気に全てをかきこみたい衝動に駆られたが、影汰はその衝動を何とか抑え込み、最初にスープを少しだけ口に含んだ。
細胞の一つ一つが、スープを吸収するような感覚に陥る。
それは、ある種の快楽症状だと表現しても過言ではない。それほどの快感が影汰の脳内に駆け回っていた。
「美味しい…です。」――小さな声で、影汰はそう言った。
「私もこれが好きでね。」
――ホームレスはそれだけ告げると、影汰を笑顔で眺める。
その視線は、まるで何かを懐かしむようでもあり、どこか悲しみを帯びていた。
しかし、即席麺に夢中である影汰は、そんな視線には気が付かなかった。




