#009――実験7
数日後、影汰は模擬戦闘訓練を受けていた。
同じ部屋で、今日は少しだけ違う装いで。
装い、と表現したが、実際に違うのは装備だ。相変らずVRゴーグルは装着されたままではあったが、今日はそれ以外に模擬戦用の刃の潰れたナイフを持っている。
近接格闘において、相手が武器を持っている場合も、少なくはない。
影汰の想定通り、傭兵ビジネスであるのなら尚更だ。
軍人用の近接装備として考えられるのは、ナイフくらいだろう。
格闘術に持ち込まれた際、対応する項目として真っ先に数えられる候補の一つだ。
だからこそ、こうして学習項目の一つとして、並べられている。
そして、いつも通り目前には相手がいて、同じくVRゴーグルを装着している。
相手はいつも通り、自分と同じくらいの少年だった。
もっとも、女性が相手になったことは一度もなかったが。
今まで影汰が経験してきたこの研究所の訓練から想定するに、模擬戦を男女に分けて行うような優しさはないだろう。
だからこそ、マッチメイキングされない時点で、被験者のほとんどが男なのだと影汰は考察していた。
そんな余計な考えを巡らせていると、普段通り画面内に開始の合図が表示された。
「3・2・1」――「0」。
ゲームのような効果音などもなく、文字列だけが無機質に表示される。
普段通り、開始の合図があろうともお互いに動き出すことはない。
ただ一定の距離を取り、観察を続けている。
お互いに構えはオーソドックスだった。ナイフを持つ右手を前に出し、体を横に向け、半身の上体で相手を伺っている。
ナイフの場合、徒手格闘とは模擬戦のルールが異なる。
人体における急所となる箇所に刺突、または斬撃を受けた場合、その時点で終了だ。
だからこそお互いに、不用意に手を出すようなことはできない。
ほとんどの場合、勝負が一瞬で決するからだ。
どの場面でも言えることだが、重要なのは観察することだ。
相手が何をしてくるのか、どんな初期微動を見せるのか、そうした癖を見抜くことが、勝利へ近づく唯一のカギになる。野生が有利に働く場合もあるが、少なくとも影汰はそうした作戦をとったことはない。
ようやく先に動き出したのは、影汰の方――になるはずだった。
先手有利として「すり足」により距離を詰めようとするも、まるでそのタイミングを知っていたかのように、相手が影汰よりも少しだけ早く動き出していた。
動くという指令は既に脳から発せられていた為、影汰もやや遅れて踏み出してしまう。
相手は、そんな影汰の隙に正確につけ込んだ。
まるで、影汰にとってそれが計算外であったことを知っていたかのように。
影汰が最初の一手に選んだ「すり足」は、行動の予備動作を限りなく抹消する為の技術である。それを先読みしたとなると、相手も凄まじい練度だと解る。
このたった二動作で、影汰は未だに対戦経験のない相手だと、想定することが出来た。
これほどの使い手であれば、印象に残らないはずがない。
影汰からすれば未経験であるはずなのに、相手からすれば既知であるかと錯覚してしまうほどに、相手の推測力は凄まじい。
されど影汰も、並みの使い手ではない。一回のミスリードを帳消しするために、あえて動かないことを選択。
一見隙まみれに見える踏み出した状態で、相手の行動選択を落ち着いて待った。
影汰が何か手を出してくることを推測していた為、相手は影汰があえて何の挙動も起こさなかったことに驚き、一瞬手が止まった。
丁度そのタイミングで、影汰の足が再度動き出す。
ナイフよりもリーチが長く、最も反応しずらい蹴りを、相手の足に向かって放った。
それは、ローキック(腿を狙う蹴り)というよりは、カーフキック(脛、脹脛を狙う蹴り)に近いものだった。
そこまで力を入れていなかった為、ペチンという小さな音が鳴った。
相手の意識が、一瞬だけ下に逸れる。
ほとんど流れるような動きでカーフキックから、ナイフを持つ右手を前に出した。
狙いは急所である心臓、影汰の右手は一直線に胸の中心へと伸びていく。
すると相手は、それに反応していた――但し、動揺していたことに違いはなく、咄嗟に出来たことは、ナイフを持たない手で、影汰の右手をはじくことだけだった。
もちろん同様の状況に、他の被験者が陥った場合、反応すらできないだろう。
そして、相手は影汰の右手を見ると――驚愕の事実に目を見開く。
影汰はいつの間にか、右手にナイフを持っていなかったのだ。
つまり、相手が自身の刺突に反応してくることを想定し、カーフキックで気を逸らした瞬間に、右手に持ったナイフを左手へと持ち替えていたのだ。
影汰はそのまま左手を伸ばし、相手の胸元へと模擬戦用のナイフを突き立てる。
勝負を決める決定打を着弾させたその瞬間
影汰は左手に――大きな違和感を覚えた。




